「明け方の猫」

だいたい猫は軽々とできることしかしない生き物なのだ。(74ページ)


id:sumita-mさんが以前紹介しておられたので、保坂和志の『明け方の猫』(中公文庫)を買って読んだ。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050722


表題作について。
この作品は、明け方見た夢の中で主人公が猫になる話だ。人間とはまったく違う猫の身体や感覚にはじめは戸惑うが、やがてその心地よさにはまりこんでいき、人間にもどらなくてもいいような気さえしてくる。
この猫が感じる世界の描写が素晴らしい。たとえば聴覚。

いや、そんなもんじゃなくて、物の凹凸をただ見るのと手で触るぐらいの違いだった。これが「音」というもので、人間だったときに聞いていたのは音ではなかった。いや、人間が聞いているのが「音」で、猫が聞いているのが音じゃない別のものなのかもしれなかったが、それを指し示す名詞を知らないと彼は思った。そういう名詞がないということに彼は思いいたらなかった。バイクの音や自転車の音や布団を叩く音やテレビの音という生活音のひとまわり外側で、鳥のさえずりがドームを形成しているように聞こえていた。(62ページ)


人間と猫との違いは、たんに感覚の鋭さということにあるのではなく、抽象的にばかりものごとをとらえる生き方と、具体的に世界と関わる生き方との違いみたいなものだとされる。

音や匂いや触れるものや見るものが猫の心の活動の大部分を占めていて、猫はそれらとそのつど関わりを持ってそのつど世界に送り返している。(中略)そのようにそのつど世界と関わりそのつど世界に送り返す生き方をしている猫にとって、世界そのものは人間よりもずっと濃密で、だから人間は世界から取っている情報が少ないために自分の中にあるものの方が周囲よりも濃密だと考えがちだけれど、猫にとっては自分の中にあるものよりも外にあるものの方がずっと多くて、自分が生きて存在していることよりも世界があることの方が確かなのではないかと彼は思った。(81〜82ページ)


猫であることの素晴らしさ、人間のように抽象性によって世界を把握するのでなく、具体性において世界と関わりそのなかで生きることの充実を、夢の中で「彼」は実感するが、同時に彼は、この「夢」自体への微妙な意識や抵抗感も捨てることができないらしい。
次の箇所は、たいへん印象的である。

夢だったらやっぱりきっとそれがここで与えられた彼の運命で、その運命を甘受しようと決めてミイに近づいていくと、ミイは腰をほんの少しだけれど上げて逃げる体勢になった。感染する運命ではないということだと彼は思った。(中略) 
 しかしそのためにかえって、この夢が自分に与えた運命が何なのかわからなくなった。全ての夢に運命が必要なのかどうかいまの彼にはわからなかったが、この夢にはきっとそれがあるはずだと彼は感じていた。そう感じるように課すのがこの夢のルールなのだとまでは彼はいまは思いいたらなかった。(41ページ)

また、

夢のルールが仕向けるままに自分が考え続けるしかないことを彼は自覚した。(85ページ)


この、運命が与えられているということや、ルールを課されているということについての、強い意識をどう考えるべきか。彼はなぜ、運命を甘受しようとするのだろう。


優れて感覚的であると同時に、徹底して思索的なこの作品の最後に出てくるのは、「前世」という言葉である。

前世でミイとこの家の庭で再会したことを忘れていた自分は、前世でこの先もう一度ミイと会うことができたのかどうかをまったく思い出せずに、考えだけをひたすら空回りさせている。(114ページ)


なんとも不思議な後味を残す小説である。

明け方の猫 (中公文庫)

明け方の猫 (中公文庫)