『死の家の記録』

ドストエフスキーの『死の家の記録』は、先日記事を書いた『二つの同時代史』のなかで激賞されていたので興味があったところ、たまたま近所の古本屋の店先で、中村白葉訳による岩波文庫の旧本(第一版は戦前に出ているが、現物は戦後の刷)が一冊50円で売られてるのを見かけたので、即座に購入。第一部、第二部の二冊からなっている。


この小説の眼目の一つは、主人公である、ドストエフスキー自身がモデルとおぼしき貴族階級出身の流刑囚(ただし、ドストのような政治・思想犯ではない)が、監獄に入ってはじめて民衆と接し、衝撃を受けることだろう。
そのことは、次のように書かれている。(以下、原文とは若干表記の異なる場合があります)

身分のある者はさうは行かない。彼等と民衆とは、底知れぬ深淵に依って距てられている。そして、それが初めて十分に認められるのは、ただ、身分ある者自身が突如として外部的状況の力に制せられて、実際に従前の権利を失ひ、一庶民と成りさがった時だけである。でなければ、よし諸君が終生民衆と交はったとしても、また例へば、長官と部下とかいつた風の勤務的関係なり、或は恩恵者とか、或る意味での父とかいつた風の単なる友誼的関係なりで、四十年間続けて毎日彼等と生活を共にしても、―本質そのものは決してわかるものではないのである。すべては幻覚にとどまつて、それ以上の何物でもあり得ないであらう。(第二部 p164)

これは、他者としての民衆の発見、もしくは階級の発見といったことだろうか。
中村白葉の訳者あとがきの日付は、昭和12年(1937年)秋となっている。そして、この初版が岩波文庫から出たのが翌昭和13年(1938年)。当時の状況は、12年末の人民戦線事件で共産党に続いて労農派も壊滅的弾圧を受け、完全な「転向の時代」を迎えていた。
当時の日本におけるドストエフスキーという作家への関心、とりわけこの『死の家の記録』の紹介と出版は、そうした時代状況と切り離せないのだろうと思う。
花田清輝は、やはり1937年に同じ岩波から出版されたジッドの『ソビエト紀行』が、転向した左翼の人々の自己正当化に大きく寄与したというようなことを書いているが、この本の出版の背景にも、それに通じる意図があったのではないかという気がする。まあ、憶測だが。
 もっとも、上に引いた文章を「民衆の発見」とみれば、いかにも「村の家」のような日本の転向文学に通じそうだが、「階級の発見」と意味づければ、逆に主人公はここから革命思想に目覚めていきそうでもある。作者ドストエフスキーの伝記的事実と重ねるから、「革命から内心へ」といった変化の契機だと捉えたくなるだけで、実際のところはテキストだけでは判断しかねる。
 ドストエフスキーの伝記的事実といえば、彼は子どもの頃、父親を自分たち一家の領地の農奴に殺害されたと言われてるそうだが、そうした体験をしていながら、社会主義的な思想と行動に走ったというのも、ちょっと分かりにくいことではある。
 そうした体験を経て、逆説的だが社会主義思想に走ったけれども、それでもまだ彼のなかの「民衆」は想像的なものにとどまっており、リアルな民衆(そして階級?)に直面するには、「死の家」での体験が不可欠だったということだろうか。
 しかし、それはマルクス主義的な「階級の発見」とは、やはり別のものなのであろう。
 父の死のもたらした効果(それが事実だとして)について、あらためて考えてみると、階級闘争を含む敵対的な情念の暴走に対する警戒心が、その時からドストエフスキーに植え付けられたのかもしれない。後年のネチャーエフ事件に対する受け取り方(『悪霊』)の芽のようなものが、そこに既にあったとも考えられるのだ。
 だから、監獄でドストエフスキーが「民衆」や「階級」をリアルなものとして見出したとしても、それは階級闘争のような政治的敵対性とは別なところに重点のある発見だったろう。
 事実、この小説において主人公が発見しているのは、両義的でありながらも最終的には信頼するべきロシアの民衆の、ある意味でエッセンスのような存在としての囚人たちの姿なのだ。それは、主人公にとって究極的には「愛」の対象だと言えるが、しかしまた、普遍的な「人類」というよりも、「同胞」と呼ぶべきあくまでナショナルな存在であることも確かである。そのことは、ドストエフスキーの文学の大きな特徴だろうが、体験を基にしたこの小説では、その特徴がとりわけ明確に示されていると思えるのである。


 そして、このロシアの民衆の代表者ともいうべき囚人たちに加えられる、監獄の支配者・刑吏たちの残虐性を告発して、ドストエフスキーは次のように書いている。

私は、どんなに善良な人間でも、習慣一つで、野獣の程度にまで狂暴にもなり、鈍感にもなり得るものであることを主張する。血と権力とは人を酔わせる―狂暴、放縦は成長する、初めは、知性や感情に僅かに受け容れられるやうな異常な現象も、しまひには、甘美なものとなるのである。暴君の心では、人間や公民は永久に滅びてしまひ、人間としての品位や、悔悟や、甦生に帰ることは、彼にとってもう殆ど不可能になってしまふのである。のみならず、かうした我儘の実例とその可能とは、社会全般に伝染する―かうした権力は誘惑的だからである。(第二部 p60)

 真の暴力は、犯罪者たちではなく、彼らを罰する権力のうちにこそあるのだが、それは人間の本性に深く根差したものであるゆえに、社会全般へと伝染するような暴力なのである。結局、犯罪者たちを閉じ込め罰している、この社会の方が真に(そして過剰に)暴力的なのだ、ということになる。
 ドストエフスキーは、社会の暴力を、いわば内在的に告発しているのである。


 この小説で描かれている、もっともリアルな光景は、望みのない閉塞した状況に置かれた人々が、非現実的な「希望」に頑なにしがみつくことで、過酷な日常の現実から逃避していようする乖離的な姿だ。

どんな囚人にしろ、その刑期が長からうと短からうと、彼等は自分の運命を、何か積極的な、決定的なものとして、また、実生活の一部として考へることは、本能的に断じて出来ないのである。どんな囚人でも、彼はわが家にいるのではなくて、まるで客にでも来ているように感じている。(第一部 p173)

口にこそ出さないけれど、はっきり現はれているこの常住の不安、時としてはわれにもなく口走られるばかりでなく、屡々譫言ではないかと怪しまれるほど頼りない希望、また何より驚くべきことは、一見極めて実際的な知識に豊富らしく思はれる人々にまで見受けられるかうした希望に対する不思議な情熱と焦燥、これらのものがみな、この場所に異様な特徴と風貌とを興へていて、かかる特徴こそ、或は監獄の持つ特色の中で、最も特異な風格をなすものかも知れないと思はれた。(中略)その希望が実現性に乏しければ乏しいほど、そして、夢想者自身がそれを強く感じていればいるほど、その男は益々執拗に、益々操守堅くそれを心中深く押隠して、しかも捨て去ることが出来ないのである。(第二部 p157〜158)

 僕には、これはまったく身につまされる話だとしか思えないのだが、皆さんはどうだろうか。
 ところで、これらの文章を読んだとき、僕はベルグソンの『精神のエネルギー』(宇波彰訳 レグルス文庫 第三文明社)のなかの、次のような個所を思い出した。

このようにして、われわれの現実的な存在は、時間のなかで展開していくにつれて、潜在的な存在、鏡のなかのイマージュによって二重化される。したがって、われわれの生のすべての瞬間は二つの側面を示している。つまりそれは一方では現実的であり、他方では潜在的である。(p157)

そこから、二つの異なった自我が生ずる。そのひとつは自分の自由を意識し、もうひとつの自我が機械的に演じる場面とは無関係な観客になる。しかし、この二重化はけっして最後まで行かない。(中略)前者は、われわれが自分の自由について持っている習慣的な感情を包含し、現実世界のなかへまったく自然に入り込んでいる。後者は、われわれに自分が覚えた役割を反復しているのだと思わせ、われわれをロボットに変え、われわれを演劇もしくは夢の世界に連れて行く。(p161)