『やさしくキスをして』

もう紫陽花が咲いている。


ケン・ローチ監督の映画、『やさしくキスをして』を見た。
イギリスのグラスゴーを舞台に、カトリックの学校で教えるアイルランド系の女性と、パキスタン移民でイスラム教徒の男性との恋愛を描いた作品。
ローチ監督の映画は、以前から関心があったが、見るのははじめて。
とにかく、これだけ正面から事柄をとらえて映し出していること自体に、感動するほかない。よく、名匠とか巨匠とかいうが、ほんとうに「匠」(たくみ)という感じだ。イギリスって、時々こういう芸術家が出るんだよね。


この映画は、宗教や人種差別ということも、もちろん大きなテーマだろうが、それと重なって、コミュニティと個人、みたいなことが重要なテーマになっていたと思う。
それは、移民で人種も宗教も少数派の人たちにとって家族などのコミュニティがとても大事であるということもあるが、イギリスをはじめ、今各国の社会でコミュニティというものの機能が大きく問い直されているということも関係しているだろう。今読んでいる『魂の労働』という本でも、ブレア政権の唱える「コミュニティ」主義の理念が、実際には新自由主義の展開を補完するものとして機能しているというイギリス社会の現実が、批判的に論じられていた。グローバル化ということが、色んな形で人々がコミュニティというものを意識せざるをえない世の中になっている。そういう時代のなかで出てきた作品だと思う。


イギリスでのカトリックの人の立場というのがよく分からないんだけど、カトリックの学校といっても公立で、そこにパキスタン移民の子供たちも通っている。主人公の男性の妹は、改宗はしてないはずなんだけど、いっしょに教会で賛美歌を歌ってたりするのが面白い。議論の時間みたいなのがあって、「イスラム教徒を一括りのイメージで見るな!」みたいなスピーチをすると、拍手とブーイングが半々ぐらい起こる。その後で、兄が車で学校に迎えに来ると、悪ガキ達が集まってきてものすごく侮蔑するんやな。それで大騒ぎになり、音楽室になだれ込んで楽器を壊してしまう。それが馴れ初めで、この兄と、音楽教師のヒロインとが恋に落ちる。
ところでこのパキスタン移民の一家なんだけど、お父さんが商店主で、中流ぐらいの感じの家庭なんだよね。主人公は、出資者を見つけて、パキスタン人の友達とクラブハウスを始めようとしている。親戚みたいな人たちも出て来るんだけど、息子はアメリカの一流大学で学位をとっているエリート。いわゆる「グローバル・エリート」というやつやな。
つまり、少数派なんだけど、階級的には決して低くない。これは、グローバル化以後の世界の特徴だろう。
アメリカでも、移民してきた人たちが「グローバル・エリート」として社会の上層に上がり富を築くことへの反発として、グローバル化を進めたクリントン政権への批判が高まり、ブッシュ政権が誕生した。これが、アメリカの多数派の人たちの家族やコミュニティへの回帰と関係していた。
一方で、移民してきた人たちは、どこまでいっても自分たちは多数派にはなれないという意識があるから、コミュニティの維持に専心する。


主人公の男性は、長男でもあり、すごく親思いで、自分がキリスト教徒の女性と付き合っていることを打ち明けられない。女性の方は、そんな男性の態度に「あなたは自分で何かを決めたことがある?」と迫る。でも、男性は、親たちの苦労を見ているので、どうしても決断ができない。
一方、男性の妹はイギリス社会で自立して生きていこうとする意識が強くて、離れた町の大学に進学しようとするんだけど、親元を離れることを父親に反対される。このとき、主人公が父親側につくような発言をして、妹からコップの水を浴びせられる。この男の人、ほんとに気の毒でした。
アイルランド人の女性の方も離婚歴があったりして、一人でものすごく頑張って生きている。異教徒の男性と同棲しているということで、教区の司祭や教育委員会から圧力をかけられ(公立学校なのに、政教分離してないんだな)、無宗派の学校に転属させられてしまう。
一方、パキスタン人の家族の方も、長男が家を出てしまったことで、姉の結婚話がご破算になったり、すごい影響が出てくる。この姉に、ヒロインはすごく責められる。
個人の自由や愛情を貫こうとする主人公たちと、周囲のコミュニティとの、複雑な葛藤が浮き彫りになっていく。


とにかく、現代の社会の問題を正面からしっかりととらえた作品だと思いました。