『サマリア』

韓国映画『サマリア』の公開がもう終わりそうなので、見に行った。
たまたま同じ映画館の隣のホールで『バンジー・ジャンプする』という韓国映画をやってたのだが、平日の昼間にもかかわらず立ち見が出そうな盛況であった。「韓流」恐るべし。
それに引き換え、『サマリア』の観客は10人ぐらい。こういうアートっぽい映画が受けないのは、さすが大阪やなあ。このゲンキンさにはアンビバレントな感情を抱いてしまう。


いい映画だった。ここ半年ぐらいの間に見た映画のなかで、一番好きかも知れない。『誰も知らない』や『殺人の追憶』も良かったが、それに劣らない。
前半は退屈だったが、後半はぐんぐん引き込まれた。
その大きな理由は、前半は援助交際をはじめた少女二人の物語であるのに対して、後半になると主人公の少女の父親である中年男(職業は刑事)の苦悩と怒り、愛情といったものが中心になっていて、ぼくとしては入っていきやすかったということだろうと思う。
最近見た韓国映画でよかった『殺人の追憶』も『大統領の理髪師』も、また『オールド・ボーイ』、それから一番好きな韓国映画の『ペパーミント・キャンディ』も、すべて中年のおっちゃんが主人公である。これは、自分が昔で言う「中年」になったということだけではなくて、ぼくは若い頃から「父もの」に弱いのだ。小津の『晩春』とか、イタリアの貧しいお父さんの映画とか、『パリ、テキサス』とか、カサヴェテスの『ラブ・ストリームス』という駄目親父の出てくる映画とかね。
少女たちの目線からの物語というのは、ぼくには昔の大林作品みたいに思えて、懐かしい気はしたが入っていきにくかった。
ストーリーとしても、ぼくは後半のエピソード、特に父娘が母の墓参りを兼ねた旅に出て以後が心に残った。あの最後の運転の練習をさせるシーンは、ほんとにいいよなあ。
宗教とか、難しいことには触れないでおく。


主人公の父親を演じたイ・オルという俳優は、鬼気迫るというのか、たいへんな名演だった。あれは怖いよなあ。
主人公の少女を演じたクァク・チミンという女優も、最初は目立たないのだが、どんどん良くなっていく。
キム・ギドクという監督の作品ははじめて見たが、日本でいうと青山真治北野武の映画に似ていると思った。といっても、青山監督の作品は『月の砂漠』一本しか見たことがないが。
この映画のよくない点は、きれいな映像に「狙いすぎ」の印象があることだ。時々それが鼻についた。ひょっとすると、北野映画に関してよく言われるように、欧米の映画ファンや審査員を意識しているから、そういう映像になるのかもしれない。
ただ、東洋風の非常にきれいな風景を撮ったりする場合、それは欧米の観客が期待する「東洋」の像にあわせて撮っているということなんだろうが、非常にスマートに処理されていて嫌味はない。こういうのは「オリエンタリズム」みたいな概念では割り切れない現代的な要素だろうと思う。


この映画のたいへん良い点は、『誰も知らない』や『アカルイミライ』といった最近の日本映画の秀作と同様に、確信のもてない未来への展望を無理やり提示したりしていないことである。暗い現実のなかで希望を持ちたいという人々の願いは切々と描かれるが、「行くべき道」のようなものが示されることはない。そこがいい。


もう一点。非常に重い内面を背負った主人公たちの映画なのだが、視点がそこだけに閉じられていない。個人が担っている生の視点よりも「ほんの少しだけ広い」、他人たちの領域としての「社会」が描かれているように思った。
たとえばどういうところかというと、深刻な思いと決意を秘めた父娘が行きずりに宿泊した山中の農家のおじいさん。この老人は、たぶん地元の素人をひっぱてきたんじゃないかと思うが、台詞らしい台詞もなく、主人公たちの内面の物語に関わることのない無口な小さな役柄である。だが、父娘が車で立ち去っていく後姿をじっと見送るこの老人の意味ありげな眼差しを、カメラは映し出す。
つまり、主人公たちの(同時に観客のでもあるが)内面の物語の外側にいる無口で見えにくい人物から、この主人公たちの姿がどう見えているかを、一瞬垣間見させるのである。ここでいわば、この内面的な物語が脱中心化されている。
また、イ・オルが乗り込んでいった、援助交際の客である中年の男が家族と共に暮らすマンションでの食卓の光景。この丁寧な描き方も印象に残る。主人公たちの世界だけでなく、主人公たちがたまたま関わる人々を通して、より広い社会の姿が描き出されていくわけだが、それは「社会全体」といった俯瞰的な視点によってではなく、主人公たちの身体と直接つながる、しかしそこに同一化されるよりは「ほんの少しだけ広い」、他人たちの領域としてなのである。
要するに、この映画は他者を描くことに成功している。こういう映画は滅多にない。
映画というよりも、これは長編小説の視点に近い。その意味でも、(どうも小説家に転身してしまったらしい)青山真治に、キム・ギドクは似てるといえるかもしれない。


「父もの」という話に戻ると、この作品をはじめ韓国や欧米の映画に比べて感じられるのは、最近の日本の映画には、魅力的な中年の男性が描かれることが少ない、ということだ。
これは、現実の社会がそうだから仕方ないのか。


まことに申し訳ない限りである。