連休中の出来事

満開の藤がきれいでした

楠絶えず風生む母の日なりけり

                                     今村俊三


きのう書いた、トラックバック送信の件ですが、分類をやり変えた際にトラックバック先のURLをはずさずに再登録したことが原因だと、思い当たりました。
完全にぼくの不注意です。
削除をお願いしようかとも考えましたが、考えた結果、お願いしないことにしました。意図はしていませんでしたが、送信してしかるべきものだったと思いますので、残しておいてください。
今後は、こういうことのないよう注意しますので、ご容赦ください。


さて、連休中の一日、知人と一緒に大阪府箕面の滝を見に行ってきたので、今日はそのことを書きます。


箕面に行くのは、今年の初め、ちょうどこのブログを始めた頃に、やはり知人を訪ねて以来のことだった。
阪急の箕面駅を出ると、すぐ前方から上り坂の道が始まっていて、両側に土産物屋が並ぶなかを少し歩くと、もう渓流沿いの遊歩道となっている。街中から国定公園である自然のなかへの、この距離の近さはあっけにとられるほどである。
駅からほど近いあたりの川沿いには、料亭を兼ねているらしい旅館が立ち並んでいて、ぼくは以前からこんな場所で商売になるのか不思議に思っていたが、今回気がついたのは、大阪あたりに住む人にとっては、休日に遠出するよりも、こういうところに泊まってのんびりする方が時間のロスも無く落ち着くかもしれない、ということだった。実際、宿泊客らしい浴衣姿の人も何人か見かけた。こういう近郊の観光地の店の存在意義が、いままでピンとこなかったのは、それだけ視野が狭かったということだと思う。自分がまだ気づいていないものが、世の中には一杯あるということだろう。
この日は、晴天にめぐまれたゴールデンウィークの一日だったので、たいした人出であった。日差しが強く、谷川に下りて水遊びをしている子どもや若者の姿も多く見受けられた。毛並みのふさふさした犬も、のんびりと浅瀬に身を浸してじっとしている。川原でピクニックをしている家族連れや、渓谷の平たい岩に腰を下ろして本を読んでいる人の姿もあった。
路傍にはフリーマーケットも出ていて、衣服や古本、皿などを売っていた。ぼくは、長袖のシャツを百円で買った。いくら金がなくても、さすがにこれは買えた。
また、満開の大ぶりな藤の花や山つつじ、日陰の山肌に咲くシャガなどが、とても美しい。シャガは、黒澤明の『七人の侍』で、木村功が寝転んでいて村の娘に会う場面の、あれがシャガの花だったのではないかと思う。こういう山中の日陰の場所にだけ咲く花だそうだ。


箕面の滝というのはたいへん有名であるが、ぼくはまだ見たことがなかった。ずいぶん奥まったところにあるらしいが、この公園がこんなに奥行きがあるということ自体を知らなかった。道が途中から二手に分かれていて、ハイキングコースになっている厳しい山道の方を選んで、知人と二人登っていく。これが、かなり本格的な山道である。
やはり今年の初め、別の友人と京都鞍馬の山道に踏み入り、予想していなかったあまりの険しさに難儀をしたが、あれほどではないまでも、ずいぶんと長く険しい登りが続く。
大阪の市街地や近郊の住宅地の目と鼻の先に、こんな深い自然があったとは、まるで知らなかった。何十年もこの土地に暮らしていながら、箕面という場所の奥深さをはじめて知った。思えば浅はかであった。
この土地は、昔は修験道の修行の地で、いまも山伏の人たちの行事が行われているらしい。熊野や比叡山と同じような性格を持つ土地なのだ。それもなるほどと思わせる地形と眺めだった。
途中、大きな岩が二つに割れていて、その間の狭いところを通るようになっている。映画などで見る鎌倉の切通しのような感じだが、それが崖ではなく岩の側面である。そこを通るとき、これもなんだか不思議な感じがした。
落石が多いのだろう、両側の崖は厳重に金属の網が張られている。


くたびれはて、途中木製の手すりに腰掛けて休息をとったりしながら、やっとの思いで目的の滝にたどりついた。
たいした大きさだ。これもまったく想像してなかった。よく耳にする「箕面の滝」とは、これほど立派なものだったのか。水量はさほどでもないが、かなりの高さから落ちて滝壺を作っている。日差しが強く暑いせいもあるのだろう、たくさんの人が滝の下に集まり、勇壮な光景を見上げている。いかにも観光地という感じだ。
ぼくは、数年前の夏に訪れた韓国の済州島の海岸近くにある巨大な滝を思い出した。流れ落ちる水の音の激しさで話し声が聞こえず、ずいぶん離れて立っていても飛沫で全身が濡れる、それほどの大きく激しい滝だった。あれほどの巨大さではないが、この箕面の山中の滝も、間近に見ると自然の「侵しがたさ」のようなものを感じる。
滝の両側は岩肌がむき出しになっていて、鷲のような鳥が巣を作っているらしく、何羽も飛び交っていた。こんな眺めも、伝説か昔話の世界のようである。
岩肌の下方の茂みのなかに、熊みたいな大きな獣の影が駆け下りるのがちらりと見えたと思ったら、これがあの「悪名高い」箕面の猿だった。ニホンザルといっても、テレビで見るアフリカのヒヒぐらいの大きさに見える。これも、大きな自然の景色のなかで見たせいか。お約束どおり、観光客で賑わう展望台のテラスに闖入して、食べ物を掠め取ろうとしたらしく、嬌声があがっていた。
知人と二人ぼーっとして、しばらく滝を眺めた後、そこを後にした。山道とは別の、平坦な道を通って戻り、渓流沿いの喫茶店のテラスで珈琲を飲んだ。夕方になり、日がかげると肌寒くなった。やはり山のなかに居るのだと、あらためて実感した。