遺骨発掘を体験して

北海道の猿払村というところで行われた、遺骨の発掘作業を中心としたワークショップに参加した。
発掘の成果についての報道はこちらなど。

http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060825&j=0022&k=200608256104
http://www.stv.ne.jp/news/streaming/item/20060824184923/index.html


NHKBS1では、今月31日(木曜)の夜10時10分から「今日の世界」という番組のなかで、この催しのことが紹介されるそうだ。
ぼくの家は衛星放送に入ってないので、誰か録画してくれる人があれば、ありがたいんだけど・・。
ここでは、今回の発掘作業を経験して感じたことを書いておきたい。


すでに書いたように、今回の催しは97年から続いている「東アジア共同ワークショップ」の延長上にあるものであり、ぼく自身は99年からこのワークショップにずっと参加してきた。
そのなかで01年に、やはり北海道の朱鞠内というところで行われた遺骨の発掘作業にも参加している。だが今回は、「遺骨を掘る」ということに、とくに強い関心をもって参加した。
それは、前回のときには、自分はこの作業に打ち込むことができなかったので、今回はできるだけ真面目にそれをやりたいということだったけど、今年このワークショップに参加するにあたって、特別な感じをどこかでもっていたということがある。
99年からずっとこのワークショップに参加してきたことの意味を、このワークショップの始まりとなった遺骨の発掘という特異な作業を体験することをとおして、自分なりにあきらかにしたいという気持ちが、強くあったのである。


発掘の現場は、北海道の北の端の、うっそうとした森のなかで、ぼくが掘ったところの地面は、折からの降雨と腐葉土の堆積のために湿りを帯びてやわらかくなっていた。
そのじめじめした黒っぽい土を、絡みあった木の根を引き抜いたり、掘り起こした土を一輪車で運んで捨てたりしながら、何日か黙々と掘った。
結局、ぼくが掘っていた場所から遺骨が出てくるということはなかったが、遺骨の掘り出された穴を、さらに深く掘り進める作業もやった。
また、掘り出された骨の白い破片を、土のなかに混じっている状態から拾い出して、その微細な海綿状になっている表面の手触りを何度もたしかめるという、忘れがたい体験もした。


そのときに感じたのは、こういうことである。
ここに埋まっている骨、それはたしかに、歴史のなかの見知らぬ他者の骨なのだが、同時にぼくにとっては、ぼく自身の一部でもあったのだ、ということだ。
そのように実感されたのは、発掘作業に入るまでのワークショップでの話し合いなどの過程で、自分という人間のなかの、他者と深く関わって何かを伝えあおうとする意欲の稀薄さを、痛感していたからだと思う。この他者との関係に対する意欲の稀薄さは、これまでの人生で、ずっと自分が背負ってきたものだった。
本来なら自分の中心部にあるはずの、生への意欲を抑えつけ封じ込めることで、自分はこれまでの人生を、1962年から2006年までの日本の社会のなかで生きてきた。
ぼくをこの場所に呼び寄せたのは、その森の奥の土の下に埋まっていた、湿った土の下に埋められて忘れ去られようとしている、そのぼく自身の体の一部だった。
そう考えたときに、ぼくがこのワークショップに参加するようになり、ずっと関わり続けていることの意味が、やっと少し分かったように思った。


こう考えることは、奪われ失われた他者の生や欲望を、自分の欲望のもとに同一化し収奪するということだが、同時にその逆に、声や身体を奪われた他者の生や欲望が、ぼくの声と身体を必要とするということであり、ぼくはそれらを他者に譲り渡すほかない。
他者に「呼ばれる」とは、そういうことなのだ。


きっと他者とは、この私を「奪う」ものだ。そのことによって、他者は私を、属性や固有性の桎梏から引き剥がし、生と世界と歴史のなかに投げ入れるのである。
ぼくの人生も欲望も、もはやぼくにだけ属してはいない。
「歴史」という名で呼ばれる、他者との関係のなかに、土中から掘り出された自分の生が再び位置づけられ、息づきはじめる。
生きているのは間違いなくぼくだが、同時にそれ以外の何かである。


追記:下のサイトで、発掘時の写真などが見られます。

http://www.asajino.net/