サルトルの友愛

詰まらない雑感だが、参考にする(批判も含めて)人が居るかもしれないので、書いておく。




昨日も書いたことだが、80年に書かれた文章「<或るサルトル経験>」のなかで、鈴木道彦氏は、サルトルが書いたファノンの「地に呪われたる者」の序文を最初に読んだ時から、自分はそれを暴力論という以上に、「一種の責任論として、何よりもまず倫理的に読もうとした」と書いている。
そこで思ったのだが、ぼくは以前鈴木氏の『越境の時』についての不満を、何回かこのブログに書いた。そのとき、自分でそうとは意識してなかったけど、今思うと、被抑圧者の暴力の肯定を語るサルトルの文章を、「暴力論」という以上に「責任」や「倫理」の問題としてとらえる鈴木氏のスタンスに、どこか不満を感じていたのではなかったか。
つまり、倫理の問題ということは、どこか民主主義の枠内というか、植民地主義とも結びついた現在の社会の根本的(で、暴力的)な変革という主張の切実さを打ち消している、そのように捉えたのではなかったか、と思う。


ところが、今この「<或るサルトル経験>」を読んでみると、「倫理」を重視する観点から、対談「今こそ希望を・・・」に示されたサルトルの晩年の変貌(?)を評価する鈴木氏の構えが、ぼくにはむしろ共感できるものに思えるのだ。
これは、いいことかどうか分からないが、そういう変化があったということらしい。


それからもう一つ、日高六郎によると、「今こそ希望を・・・」のなかで、サルトルは「友愛」と「民主主義」ということを「目的」「希望」として語っているそうであるが、ぼくが思うには、そもそもサルトルは若い頃から、ある意味では常に「友愛」だけを語ってきたと言えるのではないか。
例えば、上記のファノンの本の序文に

彼ら(アルジェリア人)の友愛は、彼らがわれわれに対して抱く憎悪の裏側である。彼らの誰もが殺しているという点で兄弟なのだ


とまで書いた時、それでもサルトルは、「友愛について」ではなく、サルトル自身の「友愛」そのものを、それだけを語っていたのではないか。
サルトルの暴力論も、じつはそれこそが本質ではないのか。


するとむしろ、それを友愛の言葉として受け取れなかった(われわれの)側にこそ、友愛を阻むものの根があった、今もあると、考えるべきではないか。