大統領の理髪師

Arisan2005-04-18


韓国映画『大統領の理髪師』を見た。
6〜70年代の韓国社会の歴史を背景に、大統領官邸直属の理髪師となった一人の中年男の哀歓を描いている。前半は特にコメディー調に、後半非常に辛い話となるが、ペーソスと虚構を作り上げる精神を忘れず、見事な娯楽映画、かつ歴史の物語、しかも人生ドラマに仕立てている。肩に力の入ったところや、余計な気取りのない映画だが、たいした出来栄えである。ひきこまれて見た。


主演は『JSA』、『殺人の追憶』などで知られる名優ソン・ガンホ。もちろん、名演。また、『オアシス』で強烈な演技を見せたムン・ソリが、打って変わった役どころを好演している。他に重要な役どころとして朴正煕大統領を演じるチョ・ヨンジン、その下にあって激しい確執の果てに79年10月26日の大統領暗殺事件を招来してしまう警護室長と中央情報部長をそれぞれ演じたソン・ビョンホ、パク・ヨンスも、それぞれ達者な演技だった。もちろん、非常に重要な位置を占める子役(イ・ジェウン)も忘れがたい。


一番印象的だったのは、「スパイ」の嫌疑をでっち上げられて情報部に捕らえられ拷問されたために足が不自由になった幼い息子の身体がよくなるために必要だと、呪術師のような老人に言われたソン・ガンホが、自分が12年間仕えてきた朴正煕の葬儀にあたって、その巨大な肖像画の瞳の部分の染料に剃刀を当てて削り取ろうとしてどうしてもできず、最後は泣きながらそれを削り取る場面。
この息子が捕らえられ不自由な体となったのは、もとはといえば父親である彼自身の過剰な職業意識(「大統領の理髪師」としての)のせいであり、また大きくいえば朴正煕による軍事独裁政権のせいであるとも言える。そのために不自由になった一人息子の身体が元にもどるというのだから、主人公は躊躇なくこの憎い独裁者の肖像画に剃刀を入れるのが、普通の映画の筋だろう。
これに先立って、おそらく10歳にもならない子どもに出鱈目なスパイの嫌疑をかけ、電気による拷問を繰り返して不自由な体にしてしまう国家権力の残虐さが、独特の、しかしごまかしのない手法によって描かれているのだから、なおさらのことだ(この場面は、日本映画ではちょっとありえないのではないか)。
だが、この映画は、そういう人間の捉えかたをしない。これは、『殺人の追憶』と共通する点である。


ソン・ガンホ演じる、この主人公にとって、自分を取り立ててくれた大統領は特別な同一化の対象である。大統領の葬式の場面で、この男だけが朝鮮式の伝統的な礼拝を行う。つまり、この「独裁者」である大統領を、この男だけは心の底から愛していたのだ。そして、ためらいの後に、泣きながらその肖像画に剃刀を入れるのである。
時代の支配的な価値観と社会秩序に忠実にしたがって生きた結果、権力者(上司、大統領)に深く同一化し、ついには自分の息子に深い傷を負わせてしまう一庶民の男性の、しかも一人の父親の哀れでちっぽけな生の真実を、深い愛情をこめて描き出している。
ぼくはこのシーンに、この映画の、また今のトップレベルの韓国映画の、歴史と社会と人間に対する見方の深さが、すべて集約されて出ていたと思う。


もうひとつ、映画を見ながら思ったのは、韓国の映画や文学に触れていつも感じることだが、韓国と日本との映画にあらわれる文化的な違いである。
韓国の映画の場合、これはこの作品に限らぬが、歴史や社会の生々しい「真実」を描く場合、その度合いが強いほどに、ファンタスティックな表現を作り上げようとする傾向が強くなる。たとえば、光州事件を扱った『つぼみ』や、障害者の問題をテーマにした『オアシス』のような優れた作品にその傾向が見やすい。これは、現実を「虚飾」するということではなくて、その事柄の「真実性」に触発されるようにして幻想的な表現や想像力が発揮されるという、文化的な特性があるように思う。
日本映画の場合、特に最近その傾向が強いが、歴史や社会に関する事柄の「真実性」は、虚構を構築させることには向かわず、逆にドキュメンタリーフィルムを思わせるような「非虚構性」の表現に結びつくことが多いように思う。できるだけその表現は、虚構性を抑制したニュートラルなものであろうとする。これは、「写生文」以来の近代日本の表現のローカルな特徴に通じているのかもしれない。
日本では、そうした出来事において幻想的な表現を用いれば、「オーバー」だとか「嘘がある」というふうに見られて非難されやすいのではないか。
この違いは、相当大きいだろう。どちらがいいということではないが、ある種の題材を扱うときに、両国の「真実性」に関する表現の感覚の違いは、ずいぶん明確にあらわれるように思う。


ところで、この映画のラスト近く、朴正煕が暗殺されて「次の人」が大統領となり、あらためて大統領直属の理髪師になるよう言われた主人公が、いやいや官邸に出向いていって、その「次の大統領」の「頭」を見ながら言う台詞は、韓国の劇場ではきっと大爆笑だっただろう。
またラストシーンでは、周囲の女性のお客さんはみな泣いていたが、ぼくもジーンと来てしまった。