武田泰淳のカミングアウト

講談社文芸文庫から『身心快楽 武田泰淳随筆選』という本が出ていて、武田泰淳が戦後に書いたエッセイや講演録、出征した日中戦争の戦場から竹内好などに書き送った手紙、また日本に戻って昭和15年前後に「中国文学月報」に連載した戦場体験を下にしたエッセイなどが収められているのだが、非常に面白い本である。
このなかに、昭和34年というから1959年に『浄土』という出版物(たぶん、浄土宗の雑誌なのだと思うが)に掲載された「諸行無常のはなし」と題された講演の記録がある。
武田が浄土宗の僧侶でもあったということは前に書いたが、この講演はどうやらその浄土宗の信徒の集まりの席で行われたものらしい。その冒頭で武田は、自分は僧侶の息子として生まれ、また自分自身「坊さん」の出身であり、『現在でも、まだ浄土宗から破門されてはおりませんから、自分では坊さんのつもりでおります。』、と語っている。
また、次のように明言している。

(前略)しかし、私は現在でも、我々の日常生活が、すべて仏教の哲理によって、とり囲まれている。我々が、生きていること、そのものが、仏教の証であるという風に考えております。

ここから、仏教の本質を「諸行無常」という言葉に求め、「諸行無常」とは『「すべてのものは、変化する」という教えである』とする、『司馬遷史記の世界』や「滅亡について」などにもつながる武田独自の歴史観、世界観、人生観が語られていくわけだが、こうした自身の思想世界の根っこに仏教の思想があることを、これだけ明確に武田が述べたことは珍しいのではないか、と思う。
ぼくは、読んでいてそれがたいへん意外だった。
これは一種の「告白」でさえあるのではないかと思うのだが、このことをなぜ武田が明言したのかというと、この講演の場が信徒たちの集まりの席であったことが、大きな理由であろう。


上に述べた「諸行無常」に関する事柄は、思想的な問題であるが、この講演の場としての特殊な性格が、武田の発言内容に深く影響していたことを思わせる、別のくだりがある。
それは、実際に行って他人に会ってみなければ人間の考えというものは変わらない、この、

我々の考えが変わる瞬間にこそ、我々は、お互いに人間同志であるということがわかるのであります。

という武田の重要な認識を例示する話のひとつとして、彼が九州の炭鉱に行って「炭鉱夫達」の姿に触れて考え方(炭鉱夫に対する偏見、先入観)が変わり、その瞬間に自分と「炭鉱夫」とが「人間的に」結びつくことができたのだ、という体験を語った後に述べられる、自身が僧侶になるときの体験についての次の言葉である。

私は、頭を剃った経験がありますが、頭を剃った心の中、或は苦しみというものは、頭を剃らない人には、なかなか分からない。これはいくら説明しても、一回頭を剃ったことのある人と、頭を剃ったことのない人の間には、なかなかうまく道が通じない。(中略)
 私は、加行にいく前に剃りましたのですが、剃りますと顔の方からなぜていって、頭のところも顔になっていって、ずっと同じになってしまう。顔も、頭も同じ人間がそこに出来上がった。それは、解り次第に非常に緊張します。「ああ、俺もいよいよこれは変わった人種になってしまった。もはや、並々の人間ではなくなってしまった。もはや、ビフテキも食べられないし、恋愛も出来そうもない」そういう風なさびしい気持ちになりますが、実際に、それはそうではない。そうではないということは、明らかでありますが、つまり、その時に一瞬非常な緊張を感じます。


これは、彼のひとつの「カミングアウト」だと思う。
他のところで、「僧であること」の若い頃の苦悩を語った武田の文章は数多くあるが、この発言には、それらとはどこか違ったところがある。自身の体験の、言葉としてではなく肉体的な固有性にまで下りていって、それが「うまく道が通じない」、「いくら説明しても」体験していない人には理解してもらえない出来事であることを示そうとしているからだ。
つまりこれは、「相互理解の不可能性」の立証のための努力なのだが、この努力は逆説的にも非体験者との「人間的な結びつき」への切実な願いに発していることは、疑う余地がない。その願いをこめて、「ここには越えがたい溝がある」と彼は言っているわけだ。


ぼくの印象では、彼はここで、剃髪したときに、自分が一度はっきりと「死」を体験したことを告白しているのだ。いや、むしろ「死」の体験そのものが、ここで武田の言葉の底から顔を表しているようにも思える。
そうでなければ、「死」の体験を自己が言葉にするなどということは、可能にならないだろう。しかし、その「死」の体験の一回性の告白を通して、はじめて語り手(体験者)と聴衆(非体験者)との「人間的な結びつき」の可能性が開かれる。死、つまり「変化」や「滅亡」が、「人間同志」をつなぐ、という武田の世界観、人生観、歴史観の生きた実践の姿を、ここに見ることができるのではないか。


ところで、武田はこの体験のことを、文章でも講演でも、他には滅多に語ろうとしなかった。
このとき、この講演の場において、それは突如として可能になったようにみえる。
彼はなぜ、他の場所では、この内的な真実を口にしなかったのだろう。それは、「言っても誰にも分からない」と、彼が考えていた、ということではないか。
じつはぼくにも、僧侶の友人がいるが、ここで武田が語っているような内的な体験というものが存在する可能性を、ぼくは想像したことがなかった。武田泰淳のこの文章を読んで、はじめてその可能性に思い当たった。この友人も、「言っても分からない」だろうと思っていたのかも知れぬ。
人間と人間の距離というのは、日常の空間においては、大概そういうあやふやなもので、だからこそ武田の言う「変化する」こと、「行って出会うことによって自分の考えが変わること」、そしてそのことによって「人間的に結びつくこと」が重要なのであろう。
そういうふうに思った。

身心快楽 (講談社文芸文庫)

身心快楽 (講談社文芸文庫)