『風媒花』その3 完結篇

最近、みなさんからよくコメントやトラックバックを頂き、たいへん励みになっています。
ありがとうございます。

*

おとといのエントリーの続き。

峯の悪夢

エロ作家峯は、自分の唸り声で目をさました。それは、峯がつくづく自分というものが厭になるような、見えも外聞もない、女々しい悲鳴だった。薬のきれた夜は、夢の内容は忘れても、その醜い悲鳴だけは、屈辱として消え残り、お前は結局のところ、こんな男なのだぞと、うんざりするほど説教するのであった。かつて峯は、留置場でも兵営でも船室でも、肩を並べた仲間に迷惑をかけぬ程度に寝相がよかった。歯ぎしりも寝言も、他人を驚かすはげしさはない。ただ最近、彼の生理に附加された、このきわめて動物的特徴だけが、彼の男一人前の威厳をへぎとって、彼の本性を暴露しようと蠢動した。

このとき、峯が見ていた悪夢というのは、中国の小説家趙樹里が書いた『李家荘の変遷』という物語に出てくる、皆から軽蔑され嫌われる存在であり「徹底的な弱者」である「小毛(シャオマオ)」という名の農民になった自分が、八路軍に占領された村で怒り狂う村民たちに取り囲まれ殺されるという内容のものである。この夢の描写は鮮烈な印象を残す。

彼は、武器を手にした山西省の農民にとりまかれ、はだしの足の裏に、熱い埃を感じて立ちすくんでいる。彼の背丈は五寸ほどちぢかみ、裂け破れた汗まみれの袖や裾が、熱風でそよいだ。銃口や桑の刃が、時々、寒けだった彼の肌に触れた。「小毛を殺せ」という農民の騒動を、中共の委員が両腕をひらいて、とりしずめる。「やがてこうなると思ってたが、やっぱりこうなったわい」彼は、詰め寄せている抗日自衛隊員の眼の列の中から、同情の破片を探しだそうとする。(中略)「・・・ヒヤア、助からねえなあ。どうしたって俺を殺そうとする方が正しいんだからな。ともかく恥ずかしいよ。まずいこったよ、これは。」(中略) 「今、裁かれているのが俺一人でなくて、人類全体だったらどんなにいいだろう。そうしたら俺は、どんなにのうのうと、人間らしく死んでいけるだろう」(後略)

この夢の場面を思い出しながら峯は、こうひとりごちる。

軍地は「峯は現状にあぐらをかいて、居なおる気だろ」とぬかしたっけな。冗談じゃない。小毛には小毛の真剣さがあるのだ。ただその真剣さが四分五裂だから、あんたほどご立派にはみえないだけじゃないですか。

ここでの軍地的「正義」に対する峯(小毛)の位置は微妙である。「武田=峯」は、軍地の「正しさ」を外から批判しているわけではなくて、自己の「弱者(小毛)」性を認めることによって、むしろその「正しさ」を精緻にし、補完しようとしているように思える。
最初に引用した夢から醒めた場面の描写に即して考えてみよう。
ここではさしあたって、「男一人前の威厳」、「女々しい悲鳴」というように、性差に関わる言葉が用いられていることが注目される。
「武田=峯」にとって、軍地が代表するような「正義」、「責任」、そして「政治」の概念は、「男らしさ」に関わるものであった。その欺瞞性が批判される。そのことは分かりやすいのだが、ではそれに対して武田が提示しようとする彼の「立場」とはどんなものだろうか。それは、「男性性」に対して「女性性」を対置するというようなこととは違っている。
「男らしさ」なんて見せかけのものにすぎないじゃないか、という峯の呟きは、軍地の「正しさ」によって「居直り」だと一蹴される。峯は基本的に軍地の「正しさ」を否定するわけにはいかない。だから、峯の真剣さは四分五裂であり続けるしかないのである。この「分裂」が武田の立場だと考えてよいが、その「分裂」(「神経衰弱」)は何に由来するのだろう。

「動物的な力」と「神経衰弱」

はじめの引用文で、武田自身が否定しがたく固持している「男一人前の威厳」をへぎとるのは、自己の制御が利かない「動物的な特徴」に他ならない。終戦直後に書かれた武田の力作『「愛」のかたち』のなかで追求されたように、武田の作品の主人公の男たちが自己に内在していると感じる、この「動物的な力」は、生命力、生活力という意味では「強さ」であり、またより弱い存在(特に女性)に対する暴力性という意味でも「強さ」なのだが、文明的な大文字の原理に収まることができないという意味では現実社会の枠組みのなかで「弱さ」なのであり、その「弱さ」が軍地の正しさの前で峯を四分五裂の「神経衰弱」にさせるのである。彼は文明に適応できない故に「神経衰弱」に陥るのだ。
この「弱さ」を自己のうちに認められなければ、「正しさ」は本当の力を持つことができない、つまり「殺」の思想に対抗しえない、と「武田=峯」は軍地に言おうとしている。それは、「動物」から「人間の文明」に対して呼びかける声でもあろう。
自己のなかに存在する、この文明や文化をはみ出す「動物的な力」への、恥の意識を伴った自覚が、武田の生理的な倫理感の、そして大文字の「正義」や「責任」に対する彼の個人的な「異議」の核心にあるものだといえる。

恥と責任

夢のなかでの峯は、自分が殺されるという事態そのものを不当であるとはかんがえない。
彼は、人間の世界に「正しさ」が必要であることを認めているし、そのために「殺」が行われることも、生の動物的な根源性に照らして必然のことであると考える。武田が、戦後における代表的な「アンチ・ヒューマニズム」の思想家とされる由縁である。
ただ、忘れてならないのは、夢のなかで「小毛」が、殺されることに不満はないが、「恥ずかしい」という言葉を口にしている点だ。ここが、武田の大きな特徴であって、同じ仏教的な文学者(武田は、浄土宗の寺の息子として生まれ、僧職に就いた時期もあった)でも、宮澤賢治のように自然の大きな摂理のなかで自分が殺されることを無条件に肯定しているわけではない。そうするには、彼は自分のうちなる「動物性」を自覚しすぎているのである。
武田的主人公は、全体への無条件の同一化を拒む。彼は、自己犠牲を恥らう。


武田は、戦後日本社会の、広く言えば現代社会の、「人間の尊厳を失った」あり方を改革する原理としての「殺」を否定しない。それは、他の生き物や他人を傷つけ殺すことを、人間が生きていくうえで逃れることのできない宿命であり原理であると考えるからだ。
前回の最後に引用した三田村の手紙に即して言えば、『他人のあたえる激痛と他人にあたえる激痛を忘れはてた』社会のあり方を変えるためには、自分が生きるために他人に与える「痛み」について、どれだけ自覚的に引き受けうるかという「責任」の問題が当然重要となる。三田村が峯に突きつけたものは、それだった。
大きな枠で考えれば、日本人は生きるためにかつて中国を侵略し、また勤め先と収入を得るために朝鮮半島での戦争を必要としたわけだが、その事実にどれだけ自覚的であったか、ということが問われる。
それは、「殺」という生の根源性にどれだけ向かい合えるか、という問題である。

「殺」と「淫」

では、三田村が提示していたような「殺」の思想の危険性に対して、「殺」そのものを先験的に斥けることをしない武田は、どのように対抗し応答しようとするのだろうか。
この小説で、峯の職業が「エロ作家」とされていることは重要だ。
敗戦後、上海からの帰還直後に書かれたエッセイ「淫女と豪傑」で、武田は人間的宇宙の歴史を「殺」と「淫」の二大原理に還元している。この両者は、ともに善悪を越えた生の根源的な力としてとらえられている。武田において、現代社会において失われた生の尊厳を回復するための原理として、「殺」に対抗できる唯一のものと考えられているのは「淫」だったといってよい。
「エロ作家」としての峯の存在自体が、軍地的「正しさ」に対する異議になっており、また三田村が体現する「殺」の正当性への応答になっている、と考えられる。逆に言うと、「淫」を取り込まないような「正しさ」の議論は必ず「殺」の原理に敗北してしまう、という怖れを武田は持っていたと思う。
峯が見た悪夢のなかで、「峯=小毛」は最終的に三田村を想起させる「日本のインテリ」風の美少年に殺されることになり、「峯=小毛」は、それに対して怒りと憎しみをぶちまけるのだが、この納得できない事態の到来への予感が、武田泰淳に「殺」に対抗しうるような生の原理への希求を強いたのだと考えられる。
無論、文明や正義、ヒューマニズムの視点から見れば、「殺」が暴力なら「淫」もまた暴力であり破壊である。しかし、生の尊厳を回復する力としての「殺」の根源性を認めたうえで、それに呑み込まれないためには、「淫」というもうひとつの混沌を持ってくるしかない、ということであると思う。
『「愛」のかたち』をはじめ、「淫」の混沌は武田の小説において、「殺」以上のまがまがしい力として主人公たちを脅かしてきたわけだが、『風媒花』では、この破壊的な混沌の力と作者との間にある和解が見出されようとしている。
「蜜枝」の存在がこの方向への可能性を表象している。


以上のことを総括して、武田の「動物」や「性」に対するかんがえは、非常に複雑だ。
ぼくはこの作家の膨大な全作品中、ごく一部のものだけを不十分に読んでいるにすぎないが、大きな流れとしては戦後社会において、自己のなかのこうした複雑な力との和解の方向に武田の文学は進んでいったのではなかっただろうか。
もちろん、そうでなければ生き残れなかっただろう。彼はある和解によって、『風媒花』に書かれているような強度の「神経衰弱」(作中、峯は「覚醒剤」を常用している)を、かろうじて脱したのだと思える。
だが、ぼくがいまさしあたって関心があるのは、彼を「神経衰弱」に陥らせたこれらの複雑な力についてである。

祖国への手紙・橋

小説『風媒花』について、まだ書いていないことがたくさんあるが、いま自分に書けるのはこのぐらいのことしかないように思う。ただひとつだけ、補足しておきたいことがある。
この小説でもっとも感動的な箇所は、峯の姪に当たる重い障害を患っている少女が愛読しているという、ある老婆が書いた手紙の文章が朗読されるくだりである。この手紙は、敗戦後中国に残留した日本人の手紙を集めた「祖国のみなさまへ」という文集に収められているという設定で、父の不慮の死を直感している重病の少女に、この見ず知らずの老女の文章が読み聞かされるのである。
ぼくはここで、「中国」と、亡くなった武田の妹という、作家の個人的な二つの重要なテーマが結び合っているのではないか、と思う。この二つのものの出会いが偶然といえるのかどうか、われわれはもとより作家自身にもわからないだろう。
この手紙のなかに、中国東北部に残留した日本人の子どもたちに関して、こう書かれている。

とほくの、日本の、こどもわ、ほんとにすなおで、ただしく、じこうはんせい(自己反省)、じこうけんと(自己検討)、すなおにする、こどもを、みれば、とし、とった、わたくしわ、うらやまし。こどもが、おきく、なるときわ、きっと日本わ、すばらし、よのなかに、なること、とおもい、いっしょけんめいに、はたらいて、はたらいて、かちぬく、かくごで、おります

この小説の最後で峯は、中国に行ってみたいという蜜枝の無邪気な言葉を聞きながら、この文面を思い出し、『行くなら、ジコーハンセイとジコーケントしなくちゃな』と、独り言のように呟く。
この両岸に崩れない本物の橋をかけること、それは武田泰淳の、痛切な個人的な願いであったのだと思う。