『熱球の伝説』

おととい、野村克也をとりあげた番組について書いたが、これは、先週五日間にわたって放送された『プロ野球・新時代へ熱球の伝説』というNHKの番組の五回目だった。
これはなかなか良く出来たスポーツドキュメンタリーで、見た人も多いと思うが、見逃した人もいるだろうし、ついでなので各回の感想をまとめて書いておきたい。

第一回は、長嶋茂雄が主人公で、そのプロ入り最初のシーズンの戦いを扱っていた。
インタビューで長嶋本人が出てくるのだが、たいへん元気に喋っている。その画面の下に「平成16年1月に録画されたものです」とテロップが出る。つまり、倒れる前に収録されていたということだ。とすると、普通に考えてこの企画はもともとアテネ五輪直前にあわせて作られていたものが、長嶋の急病やその後のプロ球界のゴタゴタのために放映が延び延びになって今の放送になったもの、という推定が働くが、そうでもないらしい。というのは、二回目で王が登場するのだが、この人は最近眼鏡を変えたと思うんだけど、かけてるのがその新しい方の眼鏡なのだ。とすると、このインタビューは最近行われたに違いない。では、長嶋のインタビューだけがあらかじめ撮られてたのはなぜか?
ぼくはこういうことを色々考えたくなる方なのだが、ここではどうでもいいのでパス。


さて、長嶋の話。
開幕戦での国鉄金田との対決、あの長嶋が4打席4三振を喫した有名な対決にスポットが当てられるが、なんと全打席の全投球の、球種とコースを示して詳しく分析していた。これは、どうやって調べたんだろう。それに、長嶋、金田両者の回想が重なるのだが、どちらもこのときのことを克明に覚えている。驚異。
だがそれ以上にすごかったのは、その年の日本シリーズでの西鉄稲尾との対決の話。
稲尾は、相手打者との駆け引きに抜群の才能を示した投手だったが、長嶋は「配球を読んで打つ」ということをまったくせず、「来た球を打つ」という天才バッターだったので、稲尾は対処に苦しみ、チームも初戦から三連敗して追い込まれる。
ここで面白いことが二つ。ひとつは、第一戦で稲尾は得意球とされていたスライダーを長嶋に痛打されるのだが、実はスライダーが得意球だというのは稲尾自身がシーズン中、マスコミに流していた偽情報で、本当の彼の得意球はシュートだった。シュートを打たれてなかったというのが、稲尾の余裕につながった。
もうひとつ。これがすごいのだが、稲尾は考えに考えた末、「長嶋は何も考えず、来た球を打ってるだけ」ということに気がつく。その上で、内角の球を待ってるときと、外角球を待ってるときとで、長嶋のフォームに微細な違いがあることを発見し、マウンド上で投球モーションに入って球を手放す最後の一瞬にその違いを見極めて、それに応じてシュート(内角球)とスライダー(外角球)を投げ分ける、という離れ業をやってのけるのだ。
ここはぼくはよく分からないんだけど、零コンマ何秒という動きのなかで判断してシュートとスライダーを投げ分けるというのは、普通ではありえないことらしい。稲尾の場合、特殊な球の握り方をしていたこともあって、それが可能であったという。
結局、これが効を奏して長嶋は以後完全に押さえ込まれ、西鉄は4連勝。大逆転で日本一となる。
このくだりは、五回全体を通しての、この番組のハイライトの一つだったと思う。
稲尾って、すごいね。


第二回の主人公は、王。プロ入り4年目のシーズンに一本足打法に切り替えたときの苦労話。例によって、荒川さん登場。いつもどおり、最後は合気道の話にスライドするのだが、なかなか面白かった。合気道の先生の話として、「ピッチャーの投球は必ず目の前を通るわけだから、自分の構えさえ不動であれば、どんな球が来ても当然打てるはずだ」というようなこと。これ、説得力あったなあ。これは、長嶋的な「来た球を打つ」というのとは、また別だろう。
動く球に対応するのではなく、静に動を呼び込む。「一本足打法」というのは、結局逆転の発想であったと思う。
ところで荒川は、実は王を子ども時代から知ってたらしい。川原で草野球をしていた王を偶然見かけて、右打ちだった王に「坊や、左で打ってみな」と声をかけたら「はい」と即答して左打席に入ったのが、二人の出会いであり、左打者王の誕生の瞬間であったという。
試合中「左で打て」と見ず知らずの大人に言われて、すぐさま打席を変えるなんて、野球少年なら普通ありえないと、荒川も言ってた。たしかにそうだと思う。天才的な素直さ。
王はプロ入りして三年間はパッとせず、毎晩遊び歩いていた。これも、よく聞く話。荒川がコーチに就任して一本足打法を考案するが、シーズン当初から三ヶ月ほどはまったく結果が出なくて苦しんだそうだ。この三ヶ月は、その前の三年よりも長かっただろうな。
荒川は、「王選手は三年間怠けてても、十分取り返しが利いた。出遅れてもあきらめて投げ出してはいけない、と今の若い人たちに言いたい」というふうなことを言っていた。シンプルだが心のこもった言葉だった。荒川さんは、年をとってずいぶん感じが変わったなあ、と思う。以前は、失礼ながら、もっと押し付けがましい感じがあった。少年野球を指導したりした経験が大きかったのか?
最後に王が、「バッティングフォームは、百人居たら百通り、千人居たら千通りあるものだ」と言ってたのには、さすがにいいこと言うなあ、と思った。王がこういうことを言うと、言葉の力が違う。


第三回は、江夏が1シーズン401個の驚異的な日本記録を作ったシーズンの話。
この年の江夏には、林義一という名コーチとの運命的な出会いがあったらしい。この人がまだ元気でインタビューに出てたが、たしかに名コーチだったろうなあ、と思った。説明が合理的で分かりやすく、しかも信念がある。
日本記録となる三振を巨人戦でライバルの王から奪うと公言し、その通り三振を取ったつもりが、一個勘違いしていて、まだタイ記録だった。王の次の打席まで打者八人を「三振を取らずに」うちとらねばならない。それがたまたまペナントの行方を決めるような大事な試合で、最強時代の巨人打線を相手に、江夏はこの離れ業をやってのける。そして、王から公約通り新記録となる三振を奪うのだが、番組では当時のテレビ中継の画像を、このシーンノーカットで全投球放映した。これは圧巻だった。
じつは、この試合に始まる巨人阪神の甲子園4連戦は、球史に残る大熱戦。江夏が完封したこの第一戦に続き、翌日のダブルヘッダーでは有名なバッキーVS荒川の大乱闘劇が起きる。これは、ぼくも子ども時代かすかに、テレビ中継を見て興奮してた記憶が残っている。親戚みんな興奮してた。
阪神の先発バッキーの投球が、続けて王の顔面すれすれに行き、怒った王がバットを持ってマウンドに詰め寄ると、両軍ベンチから選手が飛び出して乱闘に。このとき、先頭にたってバッキーにつかみかかった荒川コーチの顔面を、バッキーが利き腕である左手の素手で殴り、両者退場。バッキーはこのとき指を骨折して野球が続けられなくなり、アメリカに帰って引退することになる。試合再開後の初球、代わった阪神権藤が王の側頭部にデッドボールをぶつけ、王はタンカで病院に運ばれる。ファンもグラウンドに入ってきて騒然となるなか、再び再開直後に長嶋が本塁打を放ち、試合の大勢を決する。
江夏はその翌日の試合に中一日で登板して再び完封するという離れ業を演じるが、この無理がたたったのか、その後の巨人戦では滅多打ちされてしまう。燃え尽きた感じ。
そんなこんなで阪神はこの年も優勝できなかったのだった。でも、当時の阪神というのは、こういう感じのチームで、勝負弱いが本当に「虎」という感じだった。巨人V9終了以後は、こんな阪神を見たことがない。
ただ、乱闘のことだけど、日本のプロ野球は、大リーグの悪いところばっかり真似してる気がする。この頃はそうでもないが、段々「乱闘になったら全員参加しろ」とか、マニュアル化してきた。そんなとこで「総力戦」やってどうする?


4回目は、金田と稲尾の引退が対照的だったという話。
現役最後に巨人に移って400勝を達成し、華やかに引退した金田に比べ、稲尾の引退の事情は、有名な「黒い霧事件」の影響などもあって不本意だったということ。
この回を見ていて分かったのは、金田と稲尾という、セ・パを代表する大投手二人が、実に対照的なスタイルであったということ。上述のように、稲尾はずば抜けた観察力とインサイドワーク、工夫の天才であった。これに対して金田は、自分は王に対する以外、相手打者の研究というものをしたことがないと豪語する。
これは、実際そのとおりであっただろうということと、また金田の場合には、豪語することによって道を切り開いてきた人なんだろうなあ、とも思った。
それと面白かったのは、この二人は仲が良く、オフシーズンによく会っていたらしいのだが、「稲尾さんをライバルとして意識しましたか」という質問に、言下に「ありえない」と否定した金田が、「セとパは違う!」と大声で言い切っていたことだ。この感覚は、いまはもう分からなくなっているが、当時は本当にそうだったんだろう。リーグを越えた移籍というのが、本当に難しかったらしい。
今は選手が「自由」(移籍のこと)になったのはいいけど、「非日常の対決」みたいな面白さがないから、オールスターもあんまり盛り上がらない。これは、競馬で外国産馬がクラシックレースにも出場できるようになって、妙にフラットになってしまった事情と、ちょっと似ている。まあ、社会の仕組みが変わったということだろうが。
それにしても、金田が全然年をとってないのにはびっくり。概して番組に登場した元選手、コーチたちはみなすこぶる元気なおじさん、おじいさんたちなのだが、なかでも金田と川上は特筆ものだった。
川上の場合、もしかすると死なないのかも知れない。


全体を通して、元名選手たちの超人的な記憶力に驚嘆した。
数十年前の「あのときのあの打席」のシチュエーション、配球、ボールカウント、「あの一球」の映像や感触、空気を、みんな克明に覚えているらしい。驚異的な集中力。
たしかドゥルーズ=ガタリが、記憶には「長い記憶」と「短い記憶」の二種類があるということを書いてたが、これは後者だろうな。
一流のスポーツ選手はみな、天才なのだ。