ETV特集『遺された声』

19日夜、ETV特集『遺された声〜ラジオが伝えた太平洋戦争』を見た。
この番組の一部分は、以前にも見たことがある。再放送か、新しい部分を加えて新たに作ったものだろう。はっきり分からない。
満州国で放送された数多くのラジオ番組の録音盤が中国ではじめて公開された。そこに残された人々の肉声をもとに、当時を知る体験者や関係者、遺族の証言を聞いたもの。体験者といっても、満蒙開拓団など開拓移民の人たちはもちろんのこと、特攻隊に参加して戦死した日本人や朝鮮人の遺族、生き残った元特攻隊員の人たち、当時を知る中国の人たちなど、さまざまな人の証言が集められている。森繁久弥志村正順など、当時放送に携わった人たちにもインタビューされているし、有名な甘粕大尉の肉声も聞くことができた。


見ながら思ったこと。
戦争に参加した人や、あの戦争の時代を生きた人の気持ちは、いまからでは想像することが難しい。とにかく、一概に言うことができない、ということしかいえない。「愛国者だった」とか、「被害者だった」とか、言い切れるものではない。
これは、前に書いた『東京大空襲』を見たときにも感じた。
今回の番組で見ても、特攻隊の経験者の間でも、当時を知る遺族の間でも、当時の自分や肉親の内面についての考え方、解釈、感じ方が、みな違っている。これは、個々人によって違うということもあるが、ひとりの人のなかでさまざまな気持ちや考えが交錯し続けているのであろう。
「みな国を愛して死んでいった」という言い方も、「みな国家に騙されていたのであり、戦争の被害者だったのだ」という言い方も、人間を平板化してしまうことになる。
太平洋戦争の終戦後、日本でも韓国でも中国でも、さまざまな状況があり(朝鮮半島でも中国でも、それは「戦争の終わり」ではなかった)、生き残った人たちは、自分のその感情になんらかの型を押し当てることによってしか生きてこれなかった、ということがあったかもしれない。しかしそれでも、録音盤に残された肉親や親友の声を60年ぶり、70年ぶりに耳にして、平板化できない、言葉や形にできない交錯した感情が、こみ上げこぼれだして来る。この番組は、その様子をよく画面に収めていたと思う。

ぼくは特に、特攻隊に入って死んだ若い韓国の人の幼馴染の老人の話が印象的だった。
出撃直前の愛国的な語りを収めた日本語の録音を聞いて、この老人は、最初日本語で「あの時代の教育は徹底的だった。」と話す。すぐに韓国語で「ただ、特攻隊に入る前に、あのとき自分に一言相談してくれていたら」と悔やむ。
「あの時代の教育は徹底的だった」という言葉は重い。それは、「軍国教育批判」というような平板なものではない。二十歳前に死んだ幼馴染、日本語で愛国の言葉を叫んで戦死した友と、あの時代を経験しそれ以後の人生を生きてきた自分自身とに対する、鎮魂の言葉であると思う。
そして、これに続く韓国語の言葉は、韓国人や日本人である前の、一人の人間としての、一人の友人に対する真実の思いだろう。


また戦後中国残留孤児になった人の証言で、敗戦の直後、開拓民だった父親が泣きながら自分たち子どもの首を絞めようとする姿を見た記憶も語られていた。壮絶な証言だった。
戦争が終わる前、同じような体験をどれだけ多くの現地の人たちがしただろうか。そして戦争中も敗戦後も、あの土地でどれだけ多くの日本人や中国人や朝鮮人が、同じように苦しみ死んでいっただろうか。
人々の人生を徹底的に壊したり歪めてしまう巨大なものの恐ろしい力、ということしか思い浮かばない。戦争の時代には、その巨大なものの姿がむき出しになる。
「誰が誰に対して加害者か」といったことだけでは、語りつくせないものがある。そういうことをはっきりさせた上で、なおそれよりもはるかに大きな恐ろしい力が、その時代もいまも変わらずあることを忘れてはいけない。


その力の前で、ひとりの小さな命であり続ける、ということの大事さ。


それからこの番組を見ていると、戦争の時代のことだけでなく、証言者たちが日本や中国や韓国でそれぞれに生きた、太平洋戦争の終戦以後の長く苦しい歴史の重さも、想像せざるをえなかった。


(この番組の再放送予定は不明です。)