南京証言集会にて

12月7日(土曜日)、大阪天満のPLP会館であった南京証言集会に行った。

特に印象深かったのは、今年92歳になる幸存者の男性のお話(南京で収録された映像)で、この人は日本軍による虐殺で3人の肉親を失った方だが、最後にこう言われていた。正確ではないが、僕が聞き取った意味合い。

 

「私たちは、あの戦争で多くの中国人が殺されただけではなく、多くの日本人の命が奪われたことももちろん知っている。(たとえば)東京大空襲や、広島・長崎の原爆。

 ただ、(大事なことは)それらの日本の死者たちも、中国の死者たちと同じく、日本が行なった侵略戦争の被害者だということだ。平和のために、そのことを日本の人たちに言いたい。」

 

この言葉を聞いて僕は、僕たち(日本人)は、この呼びかけに応えられないまま、今まで来てしまったのだな、と思った。

ゲバラだったか郭沫若だったか忘れたが、広島の原爆の慰霊碑を見て、「あなたたちは、二度と悲劇を起こしませんと誓うのではなく、悲劇を起こさせませんと言うべきではないのか」と問いかけた人があった。

それは、日本の民衆に、天皇制国家からの分離・独立を求めた言葉だったと思う。それが出来た時にはじめて、人間同士の連帯の道は開かれるのだ。

日本人は、その呼びかけにも関わらず、自国の死者たちが自国による戦争の犠牲者だということを認めず、自国(国家)と天皇を免責してきた。それは、自分たちと国家や天皇との一体性を守るということであり、そのことによって僕たちは、アジアの人々との連帯の可能性を切り捨てたのだと思う。

広島・長崎への原爆投下を非難する言葉が、日本(天皇制)国家の侵略戦争への非難と結びつけられて明言された例を、僕は寡聞にして知らないのだが、それがなければ、戦後の現実政治の中での平和(核の無い世界)への言明は、日米軍事同盟の「核の傘」の下で核廃絶(あるいは米国の軍事的行為への擬態的な非難)を叫ぶという、いかにも奇妙な構図をとらざるをえないのではなかろうか。もちろん、これは核兵器の問題に限られない。

南京の虐殺から80年以上が経った今でも、この問いかけは生々しい力を持ち続けている。そのことから、私たちの社会の無作為の暴力が(とりわけ東アジアの現在に対して)もたらしたものの大きさに、あらためて思い及ばざるをえない。