領土・徴兵・徴税

先日、日本はアメリカに資源や食料を依存しているということを書いたが、資源に関しては自国の領土内でかなり自給できる可能性があるそうだ。日本の近海には豊富な海底資源が存在することが分かってきたからだ。最近報じられることの多い日韓の間の領土問題もこれが大きく関係しているようである。
国家(=資本)にとっては「領土(大地)」というのは結局、食料と資源だろう。同じく国家にとっての「人間」というのは税収及び労働力・軍事力のこと。戦前と同様、いやむしろそれ以上に、こういう本音が、どんどん露呈してきた。
アメリカのイラクへの攻撃も、石油などの地下資源の確保が大きな理由であることは間違いない。南沙諸島などの問題から類推すると、中国が台湾問題で強硬な姿勢を示す理由の一つもここにあるのか。また小泉訪朝の背景にも、シベリアからの天然ガスのパイプラインを確保したい日本の財界の意志があったと言われている。たぶん、そういう要素は大きいだろう。何より72年の日中国交正常化が、日本にとっては自前の資源確保を目指す政治的意図の産物だったことは、今では周知の事実だ。
日本は戦前も、「自前の資源確保」(「生命線」)を目指してアジア全体を巻き込む大戦争を起こした国だ。「竹島」問題の裏にこれがあるのだとすると、簡単に引くことは考えられない。
どこまで事態が悪化していくか分からない、と思えてきた。
日本の首相や外相は、「冷静な対応を望みたい」と他人事のように言っているが、毎度のことながらよく言えたものだと思う。


それにしても、日本の近海に眠っている大量の天然ガスを海底の泥みたいなもののなかから抽出する技術を、日本はカナダの協力を得て開発してるという話だったが、あれはうまく行ってるんだろうか。もしそれが可能になったら、日本は資源を外国に頼らなくてもよくなるということだったが、そのめどが立ったから領土問題に熱心になってきたのか?
「二百海里」が決まったときは、こういうことが問題なのだとは、正直分からなかった。
でも、これはアメリカとしては面白くないだろう。ひょっとすると、日米間に資源問題をめぐって大きな溝が生じる可能性があるのではないか、と思う。平壌での会談のとき、ケリーが邪魔に入ったのはその先触れだったかもしれない。


それと、日本をめぐる状況については、米軍の再編の結果として、今後自衛隊が国防の前面に出て行くことになるだろうが、そのことによって情勢がどう変わるか。いまアメリカは、自国の政策との関係で日本の改憲を支持しているだろうが、ずっとそうである保証はない。だからこそ、「改憲」派は事を急ぎたいのだろう。日本が「自前の国防力」を整備した時点でアメリカとも関係がおかしくなるということになると、本当に太平洋戦争前夜みたいな状況になるかもしれない。
そう言えば後藤田正晴は、2010年になれば日本の周辺の国際情勢の展望が大体見えてくるから、それまで改憲は待つべきという主張だった。あれは、そういう含みもあったのか?


いずれにせよ、少子化の問題も関係して、税収の不足をどう補うかということと、米軍再編に伴う自衛隊の人員不足にどう対処するかが、日本政府にとっては当面大きな課題となる。
少子化はほんとに核心的な問題で、「オタク」バッシングとか、「ジェンダー・フリー教育」攻撃とか、風俗産業への取り締まり強化とか、全部これが遠因になっていると思う。
再生産への性の一元化ということ。


兵員の不足についていうと、国民皆兵思想に基づいた全面的な徴兵制度というのは、いまの日本の支配層の意図にそぐわないだろうから、そうなると考えられる解決方法は二つしかない。
ひとつは、アメリカのやり方をまねることで、国籍取得にともなって得られる権利を二重化した上で移民を増やすということ。つまり、徴兵が可能なように、移民してきた人に国籍はすぐ与えるが、既存の国民と同等の権利を得るためには兵役義務などに就かなければならないようなシステムを作ってしまう。
これは、税収を増やすことにもつながるだろうし、安価で流動性の高い単純労働力が欲しいという産業界の要請にも応えられるが、やはり日本の行政権力は、なかなか移民の大量受け入れということには踏み出せないかもしれない。
そうなると、既存の国民のなかにどこかで線を引いて、そこから下の人だけを兵役に就かせる、ということしかない。当面、「フリーター」や「ニート」といわれる人たちを半強制的に自衛隊に入隊させるということを考えているようだが、それだけで間に合うだろうか?
最終的には、徴税と関連させて、『一定以上の税金や年金などが払えない層の人は、変わりに軍隊に行け』という制度になるんじゃないか。
律令時代の「租庸調」みたいなものだ。


上のいずれの方法を選択するにせよ、日本でも「国籍」という概念がずいぶん変わってくることは間違いないだろう。「一級国民」「二級国民」みたいな感じだ。


それにしても、徴兵、徴税とはよく言ったもので、やはりこの二つの事柄は「国家(=資本)」の本質をなしていて、互いに深く結びついているのだ。
だが、律令時代に戻るとは・・・。
ポスト産業社会は、古代国家の「全面的奴隷制度」に近づくはずだという、『千のプラトー』の分析は正しかった。「社会的服従」の原理から、「機械状隷属」の原理へ(同書第13章)。


最近、思い出して身に沁みる思いがするのは、万葉集のこういう歌だ。

水鳥の 発ちの急ぎて 父母に 物言はず来にて 今ぞ悔しき
                    防人(巻20-4337)
父母が 頭かき撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる
                    防人(巻20-4346)
大君の 命かしこみ 磯に触り 海原わたる 父母を置きて
                    防人(巻20-4328)