歌と遺骨

北海道猿払の遺骨発掘現場では、求められるままに古い演歌を何曲か座興として歌った。
どこに行っても、わりに緊張した場面で歌を歌ったりすることが好きだが、あの遺骨発掘の現場で歌を、それも日本の古い流行歌を歌うということには、さすがに躊躇した。
でも、韓国の友人の強い勧めがあって、マイクを握って歌うことにしたのである。
実を言うと、なかでも菊池章子が歌った『岸壁の母』は、どうしてもこのワークショップで歌いたい曲だった。


歌い終わったとき、その韓国人の友人が、「何十年ぶりかで楽しそうな歌声を聞いて、この土のなかに眠っている人たちも、きっと嬉しい気持ちだろう」というふうなことを言った。
そのときは、無理に理屈付けをしているような気がしておかしかったが、いま考えるといい言葉だとおもう。
60年以上も前に、この異郷(たぶん)の地で若くして死んでいった人たちは、歌を歌って楽しく騒ぐことも、それきりなかった。酒も恋も諍いも、親や家族や友との再会も、団欒も醜い抗争も希望を抱いた旅立ちも、身を焼くほどの怒りも音楽も、人生へのすべての欲望や願いは断ち切られて、厳しい寒さの大地の湿った土の下に封じ込められたのである。
そうおもうと、歌声にかぎらず、今回のワークショップの共同作業・共同生活の過程で経験した、さまざまな摩擦や不和や苦悩のひとつひとつが、土のなかで60年以上眠ってきた、いまもなお眠り続けている人たちへの供養になっているような気がする。
苦しさや醜さを含めた生の葛藤のすべてが、死者たちにとってはきっと懐かしく愛しいものなのだ。