『モーセと一神教』を読む

フロイトの晩年の論文『モーセ一神教

モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)

モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)

を読んだ。
この雄大な論考は、先年物故したエドワード・サイードの最後の著作が、この論文に関して2002年におこなわれた彼の講演の記録(『フロイトと非ヨーロッパ人』)であったことから、最近世界的な注目を再び集めることになった。また日本国内では、1989年に出版された『探究Ⅱ』のなかで、柄谷行人がやはりこの論文を重要なものと位置づけて論じたことから、多くの人々によってすでに注目されていた。
ぼくはこの柄谷やサイードの本を通して、この論文のことを知っていたが、実際にその翻訳を読むのは今回が初めてだった。だいたい、フロイトの書いたものというのは、『夢判断』や『精神分析学入門』は以前から文庫化されており、また、ちくま学芸文庫から中山元の非常に読みやすい訳文による二つの論文集(『自我論集』、『エロス論集』)が出版されているのだが、現在もっとも読む価値が高いとおもわれる晩年の文明論的な諸論文については、いまのところもっぱら全集でしか読めない状況だ。これは、非常に不満のあるところだ。これはぼくの、日本の出版文化への不満である。
本書は、1998年に日本エディタースクール出版部というところから単行本として出されていたのだが、読む機会がなく、金もなくて買えなかったところが、今回文庫化されているのに気づいて購入してみた。


以下、この本を読んでかんがえたことを、まとまらない形ではあるが書きます。でもたいへん長いので、関心のある人は時間のあるときに読んでください。

分かりにくい論文

ある民族の子孫たちが最大の存在と見なし誇りに思っている人間に対して不遜な論難を加えるなどということは、決して、好きこのんで、あるいは軽率に企てられるべきではない。とりわけ、自身がその民族に属している場合はなおさらであろう。しかしながら、いわゆる民族的利益のために真理をないがしろにすることは、そのような先例があるにもせよ、避けるべきである。さらに、事態の解明によって、われわれの認識の深化に役に立つ収穫が、実際、期待されてもよい。

この書き出しに、この論文の執筆と発表に対するフロイトの並々ならぬ覚悟のほどが示されていよう。いや、覚悟だけでなく躊躇や逡巡も示されているのだが。
上に語られている「ある民族の子孫たちが最大の存在と見なし誇りに思っている人間」というのは、言うまでもなくモーセのことだ。旧約聖書のなかで、エジプトに捕われて奴隷にされていたユダヤの人たちを率いて脱出し、ユダヤ人に自分たちの国と宗教をもたらしたとされる『ユダヤ民族の解放者にして立法者たる男』モーセが、じつはユダヤ人ではなくエジプト人であったという途方もない推論が、この論文の眼目であり出発点である。そして、上の文からわかるように、フロイト自身がユダヤ人だった。
パレスチナ人、キリスト教徒、アメリカ合衆国市民として、自己の民族的・文化的なアイデンティティに関して非常に複雑な思考を展開しつづけたサイードが注目したのが、この点であったことは想像されよう。ユダヤ人であったフロイトが、自己の民族の物語のもっとも中心的な人物を「外国人」であったとする偶像破壊的な論旨をあえて大胆に展開したことが、サイードを強くひきつけ、重要な講演を行わせるに至った。
イードの本については、ここではくわしくふれないとおもうが、『フロイトと非-ヨーロッパ人』という本は読みやすいし、そんなに高くないので、関心のある人は読んでください。
一方柄谷行人の場合には、『モーセ一神教』に対する関心の中心はこれとはやや異なっているが、こちらに関しては後ほどぼくの読解の手助けのために登場してもらうことになるはずだ。


実際、今回現物の翻訳に当たってみてはじめてわかったのだが、この長い論文のどこに注目するか、また全体を肯定的に見るか否定的にとらえるかが、発表当初から著しく分かれてきた大きな理由は、この論文があまりにも非統合的な印象を与えるものであるからだ。
ぼくは、柄谷やサイードの本をさきに読んでいたので、この論文については肯定的なイメージだけをもっていた。だが、全体を読んでみると、問題点も非常に多いものだとおもえる。それについては、おいおい書くとして、もっと困るのは、諸般の事情から(この「事情」がまたややこしいのだが)三度にわたって発表されたこの論文の構成が、フロイト自身の悩みやためらいを如実に反映して、すっきりとした全体像を結びにくいものになっている点だ。こうしたことは、フロイトという思想家の特徴でもあり、最大の魅力だともいえるが、この長い論考の特に後半に進むにつれて、彼は自分の議論への不安やためらいをさかんに書きつけるようになっていく。それが、なんとも不思議な、いや不安な印象を読むものに与える。

なにはともあれ、この長大な論考の要旨をはじめの部分から追ってみよう。

モーセエジプト人

まず、まだオーストリアに居た1937年に発表されたはじめの論文「モーセ、ひとりのエジプト人」では、モーセユダヤ人ではなくエジプト人であったいうフロイトの主張が、論拠をあげて説明されている。これは、精神分析の観点から、モーセの出自に関する伝説を論じたもので、ここには特に混乱はみられない。その代わり、今の視点からすると、さしたるインパクトもない。ああなるほど、という感じだ。これは、この後に展開されるフロイトの思索への序曲のようなものだが、この論文を発表した段階では、この後の部分を公表することをフロイトはかんがえていなかった。
それが、そのすぐ後に気が変わり、二番目の論文「もしもモーセがひとりのエジプト人であったとするならば」を発表することになる。やはり、ウィーン時代のことである。今度の論文はなかなか刺激的な要素を含んでいる。柄谷やサイードが反応したのも、もっぱらこの論文に対してである。
この二番目の論文では、もしモーセエジプト人であるというフロイトの説が正しいとするとどういうことが帰結するか、という話が進められるのである。この場合に出てくる最大の疑問は、なぜユダヤ人はエジプトからの脱出に当たってわざわざ外国人、それも彼らを支配していたエジプト人の一人をそのリーダーとしたのかということであろう。しかも、このモーセというエジプト人は、ユダヤ人に「モーセ教」と呼ばれる宗教を「強制した」とされているだけに、なぜこんなことが起こったのかというおもいは、いっそうふくらむ。
これに対するフロイトの答えは、エジプトにすでにアートン教と呼ばれる一神教が存在し、モーセはその信徒であって、エジプトにおけるこの宗教の失墜に直面して、ユダヤの人たちをこの宗教の後継者として選び出し、彼らを率いてエジプトを脱出したのだ、ということである。
これは非常に面白い仮説だ。

フロイトの「一神教」観

ここで、フロイト一神教に対する考え方の特徴をいくつか述べておくと、まず彼は一神教多神教に対して「洗練された抽象化の高み」にあるものとかんがえ、高い精神性のあらわれであるとみている。この独断的な考え方には、異論を挟みたくなる人が多いだろう。この背景としては、フロイトがここで暗にイメージしている「多神教」というのは、世界宗教の普遍性に対する、ローカルな信仰や閉鎖的な民族主義のことを指しているとするかんがえかたがある。もっとはっきりいうと、この「多神教」というのは、ナチスの背景にあるゲルマン的な「野蛮さ」のことであって、フロイトはこれに普遍主義的な文明の理念を「一神教」という言葉によって対置しようとしたのだ、というわけだ。
この見方には、疑問が残る。大体、上に「世界宗教」と書いたが、それが「普遍性」と結びつくものであることを仮に認めるとしても、「世界宗教」は「一神教」とイコールなのだろうか。ユダヤ教は、むしろユダヤ民族(もっと厳密に言うとユダヤ教を信じる人たち)だけのための、ローカルな宗教にすぎないのではないだろうか。
だが、フロイトの考えの要点は、一神教であるユダヤ教の教えのなかでもっとも重要なものは「偶像崇拝の禁止」だということだ。これをフロイトは、感覚性(欲動)を断念して精神性と倫理のもとに生きようとする人類の内面的な進歩の姿であるとかんがえている。つまり、フロイトのいう「一神教」という概念は、人間が感覚と欲望の支配を脱して精神的(抽象的)な理念のもとに生きることを示すものなのだ。この意味で、「偶像崇拝の禁止」という戒律を徹底したユダヤ教は、キリスト教以上に優れて「一神教」的であり精神的だというのが、フロイトの見方だ。
いろいろ文句をつけたくなるところだが、先に進む。


二番目の特徴は、ところがフロイトは、一神教が普遍的であることは主張しつつも、それには「他宗排斥」の「宗教的な不寛容さ」があることも認めていることだ。つまり一神教は、普遍的だけれども不寛容だ、というわけだ。この不寛容は、先のローカルな多神教の信仰に対して向けられるもので、つまり普遍性という理念への絶対的な帰順を、一神教なるものは強いる、ということである。これは、文明(普遍性)を、大衆にとっての「うっとうしさ」と位置づけるフロイトの独自の文明観の核心にふれるかんがえだろう。結論を先に言うと、この「うっとうしさ」、倫理的な厳格さの故に、モーセとその宗教は、後にある時期ユダヤ人自身によって除去され振り払われた、というのがフロイトの主張である。


三番目に、そもそもこの普遍的な一神教なるものがエジプトに発生した大きな理由として、フロイトは帝国の拡張ということをあげている。多様な領土と民族を支配することになったために、それまでのローカルな多神教では間尺にあわなくなったというのが、フロイトのかんがえだ。つまり普遍的な宗教(世界宗教)と帝国の存在・拡大とはつながっている、という発想である。
彼のいう「帝国」はたしかに、多くの民族がひとつの世界のなかに共存するというコスモポリタン的なイメージの表現ではあるのだが、これも今日の目から見ると抵抗があるところだ。

「外国人」による「選民」

ともかく、こうした一神教というものが、ある時期エジプトで信仰されたが、エジプトの民衆は、その精神的(抽象的)な普遍的宗教の厳格さに耐えられなくなって、それを排除してしまった。その信徒であったモーセは、当時奴隷としてエジプトにいたユダヤの人々を、この宗教を継承する民として選んだ、というのがここでのフロイトの結論である。つまり、ユダヤの「選民思想」という言葉がよく使われるが、ユダヤ人を選んだのは神ではなく、モーセだったというのである。

モーセは新たな民族とするためにこの人びとを選んだ。(p52)

モーセは、この厳格な信仰を継承する「聖なる民」としてユダヤ人を選んだために、この人びとを他の民族から孤立させ、しかも厳格な戒律を守ることを強いたのだ、とフロイトはいう。この「強制」の過酷さの故に、先に述べたようにモーセはやがてユダヤ人自身によって殺され、一神教もいったんは捨てられることになる。
また、これにやや関連してフロイトは、ユダヤ教の神であるヤハウェが、もともとはユダヤ人とは無縁なアラブ系の人々が信仰する火山の神であったという、これも大胆な仮説を示している。


ここでのフロイトの考えから帰結する重要な点はなにかというと、まず、この一神教という普遍的な理念の力が、「外国人」であるモーセによって、ユダヤ人にもたらされたということ。先に述べたように、サイードはここに自民族中心主義を解体しようとする、コスモポリタン的なユダヤ知識人フロイトのアクチュアルな意志を読み取った。この理解は間違いではないが、『モーセ一神教』でのフロイトの「民族」に対する態度は、じつは非常に複雑なものだ。
次に、この普遍的な理念が、ユダヤ人にとっては「強制」(つまり、「うっとうしい」もの)としてもたらされたということである。
このいずれの場合にも、フロイトが「普遍的」という語に無条件に肯定的な意味を与えているのは、明白だ。つまり、ここでのフロイトは、まだ揺らいではいない。

フロイトの普遍主義の問題点

ナチスドイツのオーストリア侵攻によるフロイトのイギリスへの亡命によって発表が可能になった*1もっとも長い三番目の論文「モーセ、彼の民族、一神教」の内容は、全体としては『トーテムとタブー』を含むフロイトの過去の理論体系と、このモーセに関する独創的で破壊的でさえある推論との整合性の確立のために苦心惨憺しているという趣がある。
彼は、ここでいろいろな意味で自分の学問と知的営為の限界に直面し、それを否認することも、かといって自分の理論体系を放棄することもできず七転八倒しているのだ。
その壮絶な姿を読み取るのが、この最後の論考の醍醐味ということになるだろうが、正直読んでるこちらまで七転八倒してしまうほどややこしい。


彼の構想する普遍的な平和の思想は、「野蛮」に対する「文明」の、多神教に対する一神教の、感覚に対する精神の抽象性の、優位の思想だった。
こうした点に、フロイトの文明観、ナチスに対抗した彼の平和の思想の両義性があるとかんがえられる。
また、これはフロイトの学問・思想の全体についていえることだが、その男性中心主義的な性格は『モーセ一神教』においても明瞭だ。この本でのフロイトは、サイードの読解とはやや異なり、ユダヤ民族に対する自民族中心主義的なかんがえから分離していないとおもえるが、このことは当時のユダヤ人が国際社会で置かれていた状況にだけよるものではなく、彼の思考の男性中心主義的な性格と深く関係していることは間違いないだろう。
だがこれについても、ここではこれ以上ふれない。

フロイトにとっての「民族」の複雑さ

次に、フロイトキリスト教世界における「ユダヤ人憎悪」を含めて、ユダヤ民族という集合体が有し、あるいは背負っているものの総体を、モーセと不可分のものとしてとらえているのが印象的だ。

ユダヤ人を創造したのはモーセという一人の男であった、と敢えて言ってもよかろうと思う。ユダヤ民族は、その強靭な生命力を、また同時に、昔から身に受けいまもなお身に受け続けている周囲の敵愾心のほとんどすべてを、モーセという男から受けとったのだ。』(p179)

モーセが「外国人」であるとかんがえられていることからすると、この主張はたしかに自民族中心主義とは逆のものであるようにみえる。フロイトのこの書物に自民族中心主義解体への意志をみようとしたサイードの読解は正当であろう。しかし同時に、フロイトの関心が、ユダヤ民族と、彼がかんがえる「普遍性」との特権的ともいえる結びつきに向けられていることも確かなのだ。フロイトはこの書物のなかで、当時史上最大の苦難の中にあった自分の民族に対する情熱的な賛美を幾度も口にしている。
だが、このユダヤ民族の精神的な特権性をもたらしたのは「外国人」であるモーセに他ならなかった、ということである。この本でのフロイトの「民族」に対する考えがたいへん複雑なものであることが、ここによく示されている。
またこのことは、彼の「宗教」に対する両義的な態度と重なるものだとかんがえられるのだが、その意味はこれから明らかにされるだろう。

「欲動断念」と「偶像崇拝の禁止」

先にも書いたように、この三番目の論文「モーセ、彼の民族、一神教」の論旨の雄大さと複雑さは、ぼくの理解の能力をはるかに越えている。だが、非常に重要で面白いことが書かれているとおもうので、なんとか全体の骨組みを把握し、何がポイントかを明瞭にしておきたい。
そこで、先にあげた柄谷の『探究Ⅱ』における読解を手がかりにして、この最後の論文をあらためて整理し、かんがえてみることにする。柄谷が『モーセ一神教』を集中的に論じているのは、同書の第三部第二章以降においてである。


フロイトは、モーセによるユダヤ人への一神教の「強制」という出来事を、「個人心理学」における「感覚性に対する精神性の勝利」、「欲動断念」という精神分析の概念をモデルとしてとらえようとする。
これはフロイトの場合、「母」に対する「父」の優位(精神性)というかんがえと重なっている。

精神性における進歩の本質は、直接的な感官知覚に反対して、いわゆる高度の知的過程、すなわち記憶、熟慮、推論過程に重きを置く態度決定に存する。たとえば、父親であることは母親であることのように感覚の証言によっては明示されないにもかかわらず、父親であることが母親であることよりも重要だと決められている事実。(p196以下)

ちょっと首をひねりたくなるところだが、フロイトがかんがえる「精神性」というものがどんなものかはよくわかるだろう。
子どもはある時期に、欲動を断念し、それをみずから制限することを覚える。これをフロイトは、「精神性の進歩」と呼び、また「倫理」とよぶ。これは、ローカルな共同体の宗教である多神教を人々(ユダヤ民族)が断念し、モーゼによって押し付けられた「偶像崇拝の禁止」という「うっとうしい」理念をもつ一神教を受け入れたことに対応すると、フロイトはかんがえた。
ところで、柄谷のかんがえでは、「偶像崇拝の禁止」とは、神秘的な領域、この現世の外部を信じることの禁止であったということになる。つまり、ローカルな「神秘的な領域」(中沢新一なら、トランセンデンタルな、というだろう)への信仰を排除して「この現世こそ全てだ」という「倫理」をモーセユダヤ人たちに強いた、とフロイトは考えたのだ、というわけである。それが柄谷のかんがえる「世界宗教」の意味である。
モーセの宗教は、律法や厳しい戒律といった硬直した理念性をユダヤの人々に課したと一般にはかんがえられていて、それこそがこの人々にとっての「うっとうしさ」であったとわれわれもかんがえそうなところだが、柄谷は、モーセユダヤ人に課した戒律のなかで重要なのは、この「偶像崇拝の禁止」だけだと、フロイトはかんがえているというのだ。
たしかにこうかんがえると、次のフロイトの一節はよく理解できる。

神の姿を造形することの禁止でもって始まったこの宗教は幾世紀もの経過のなかで段々と欲動断念の宗教へと発展していく。(中略)倫理とは、しかし、欲動の制限である。(p198)

フロイトが個人心理学における「欲動断念」を、モーセによる「偶像崇拝の禁止」と重ね合わせ、ここに人間の感覚性(欲望)から精神性(理念)への「進歩」というテーマを見出そうとしたという読解は、間違いないもののようだ。

「欲動断念」モデルによる一神教受容の説明

さてここからフロイトは、ユダヤ人たちがなぜこのうっとうしい一神教を、一度はモーセ殺害によって振り払いながら、最終的には保持し続けたのかという、困難な問いに入っていく。この部分は、柄谷の解釈からは離れて素描してみる。
まず、「欲動断念」という概念からの説明だと、答えはこうなる。
欲動の断念には二種類ある。自我が何かを具体的に欲望し続けることが危険だと判断してそれを制御する場合。フロイトは「外的世界の妨害による欲動断念」と呼んでいるが、これは端的にいうと、「駄々をこねすぎるとお父さんに怒られる」ということだ。子どもはこれを恐れて、おとなしくするようになる。だが、これだと、「倫理」や戒律は子どもにとってはたんに「うっとうしい」強制とかんじられるだけなので、こうした一神教の厳格な教えを積極的に守ること、何千年も強固に守り続けるということは生じようがない。
そこでフロイトは、もう一種類の「欲動断念」のあり方を語る。それが有名な「超自我」の形成である。この怖いお父さんのような外部の存在が、内在化されることが生じるというわけだ。それは、「強制」ではあるが、「内部から生じる強制」であると、フロイトは言う(ちなみに、このフロイトの考え方は柄谷の平和憲法肯定論の骨子になった)。この「超自我」の働きによる「欲動断念」で重要なのは、それが自我に「強制」に従う苦痛のみでなく、快感をももたらす点だ。

この欲動断念は、避け難い不快な結果のほかに、自我に、ひとつの快の獲得を、言うならば代理満足をも招来するのである。(p195)

それは、自分は超自我(父親が内在化されたもの)の愛を値するという誇らしさの感覚であると、フロイトはいう。

権威そのものが自我の一部と化したのち、このかなり快適な感情は、はじめて、独特に自己愛的な誇りという性質を帯びるようになった。(p196)

フロイトがここで言いたいのは、モーセの教えがユダヤの人々に内在化されたことで、それを厳格に守ることは、いわばメタフィジカルな快感となったということだ。だからユダヤの人たちはこの厳格な教えを何千年も守り続けた、という理論である。
これはこれで、ぼくには非常に魅力的なかんがえだ。「禁欲」がある種の「快」や「陶酔」をもたらし、それが倫理性や道徳性の発達の原因でありうるというかんがえは、ぼくには大脳生理学的な人間精神・文化の説明であるとおもえるからだ。だが、それについては後述する。

「反復」(回帰)モデルによる説明

ところでフロイトは、この説明に結局満足しないのだ。
彼によれば、上記の「欲動断念」の二つの種類、つまり外部からの強制と、内部からの強制(超自我)とは、とどのつまり同じものにすぎない。「超自我」といっても、結局は「父」が内在化したものにすぎず、せんじ詰めれば、怒られるのが怖いから道徳的に振舞うという「権威の圧力による欲動断念」に過ぎないのだ、というわけだ。
これは、フロイトが最終的に自己の理論体系のなかでしか、上記の「快感」の問題を考えられなかったことを意味しているのかもしれない。
それはともかく、そうした「社会的な理由」だけでは、この宗教がなぜこれほど強固に受け継がれてきたのか、とりわけ一度はモーセ殺害によって捨て去られたこの一神教を、なぜこの人々がまた信仰する気になったのかを、十分に説明できないとフロイトは言い出すのである。


じつは柄谷も、『モーセ一神教』のここからの展開をもっとも重視している。
フロイトは、この問題については、「社会的な理由」に対して「宗教的な理由」を考えなければならないと語る。そこから『トーテムとタブー』で展開した「原父殺し」という人類の始原的な出来事を「宗教の起源」として持ち出してきて、モーセ殺害をこの出来事の反復としてとらえることで、ユダヤの人たちの一神教の受容とその後のこの宗教の発展(キリスト教の歴史)という全体をひとつの理論体系のなかで説明するという、精神分析的な作業を遂行する。

フロイトの思想的態度の決定的転回

しかし、この理論自体は重要ではないと、柄谷はいう。重要なのは、フロイトがここで「精神分析」という自己の知的・学問的な体系の限界を見出しているということだと。
どういうことかというと、フロイトは宗教の歴史を「原父殺し」という出来事の反復による発展の過程ととらえることで、宗教なるものを「集団神経症」と断じたことになる。起源にある出来事を抑圧したために、その出来事が強迫的に反復されるのだというわけだ。
これは宗教への啓蒙主義的な批判の態度なのだが、同時にフロイトはそうしたものとしての(一神教、「世界宗教」)を肯定してもいるのだと、柄谷はいう。
柄谷の主張は、精神分析もまた、フロイトという「偉大な父」を創始者とする一個の「世界宗教」(一神教)であり、それ自体「集団神経症」であることを免れないという事実にフロイトが気づいているということだ。柄谷の読みでは、『モーセ一神教』の外的な文脈は、ナチスドイツの台頭ということだけではなくて、「偉大な父」フロイトに対する弟子たちの「感情転移」による精神分析運動の混乱という現実でもあったということになる。


細かいことはよく分からないが、ぼくはこの読み方に基本的に同意する。
フロイトは、「宗教」という「倒錯」(集団神経症)を、治療の対象としてではなく、自己の思想的・学問的な立場の根底に重なるものであるととらえた。いわば、自己の立場が矛盾と「病的」な混乱の上にある事実を肯定したのである。この驚くべき率直さに、フロイトの思想家としての最大の魅力と脆弱さがあるといえよう。
いずれにせよここには、この倒錯が不可避的にもたらされる人間のこころの現実に対する、フロイトの認識の徹底性が示されていることを、ぼくもかんじる。それは、次のような一節からもうかがえるだろう。

倫理の件に立ち帰るならば、われわれは最終的に次のように言ってよかろう。倫理上の諸規定の一部分は、個人に対する共同体の権利を、社会に対する個人の権利を、個人に対する個人の権利を限定するための必要性から合理的なかたちで正当化される。しかし、われわれにとって偉大であり秘密めいており神秘的なありかたで自明と思われる倫理は、その特質を、宗教との関わりから、父親の意志に発する来歴から受けとっている。(p203)

フロイトは、「社会的な理由」ではなく「宗教的な理由」の解明が必要だと語り、「神聖なるものとされるのはどんなものか」という歴史的な問いに踏み込んだときに、じつは自己の学問と「知的」立場の安定性を放棄し、「宗教」と呼ばれる人間の精神のあり方と、別の関係、抜き差しならない関係を取り結んだといえるだろう。それは、自己の学問と思想全体を「宗教」(神経症、倒錯)として見出すということだった。
フロイトにとって「宗教を問う」ことは、自己と自己の学問の根底を問うことに他ならなかったのだ。

矛盾と葛藤に踏みとどまるフロイト

「宗教」という偉大なものを理解するためには、個人心理学とのアナロジーで理解可能な「社会的な理由」だけでは十分でなく、「宗教的な理由」を考慮するしかないと書き記し、「神聖なるものとは何か」という問いこそ重要だと語ったときに、フロイトは、宗教というものを自己の学問にとっての研究対象ではなく、もっと重大な存在として見出している。
それは、「神秘的な領域」や「語りえないもの」(ヴィトゲンシュタイン)の存在をフロイトが認めたということではない。それでは、フロイトが「安定」のなかに逃げ込んだというだけのことであり、結局「学問的立場」に立てこもったのと同じことになるだろう。
フロイトは、「宗教」を「集団神経症」であると学問の立場から断じた。また、「民族」という観念に対しても学者の立場からは同じように考えていたであろう。だが、そう語っている自分の思想と学問が、じつは「一神教」(普遍化の運動)としての倒錯と矛盾をはらんでいるという事実を、フロイトは認め、しかもそれを肯定したのだ。これは彼が、制度への帰属による「安定」を拒み、自己の混乱と葛藤のなかに踏みとどまったことを意味する。
モーセ一神教』という論文自体、宗教を論じながら宗教的なものの偉大さ、量りがたさに震撼せざるをえないフロイトの、また「モーセエジプト人説」と普遍的宗教(理念)の精神性の強調によって「民族主義」の解体を意図していながら自己が属するユダヤ民族への熱情を吐露し続けることになるフロイト*2の、「病的」なまでに矛盾し混乱した姿をあからさまに見せているところに、最大の魅力と偉大さがある。

ある宗教の成立に関する事柄には、もちろんユダヤ教の成立に関しても同じなのだが、一切の出来事に何かしら偉大なるものがつきまとっているのであり、この偉大なるものは、これまでのわれわれの説明では手に負えない。(p213)

フロイトはこの論文で、それが「病的」であるという理由で「宗教」や「民族主義」を否定することの限界を確認した。なぜなら、フロイト自身、また精神分析そのものがもっとも「病的」で矛盾しており、そこにこそその偉大さと効用があるのだから。
宗教の起源とその「反復」としての発展を、個人心理学における「妄想」や神経症の症状と重ね合わせて論じている次の文章は、フロイトの「宗教」に対する、またおそらく「民族主義」に対してのかんがえをも、もっともよく示している文章だが、それはまた彼自身が創始した「精神分析」という学問と運動のあり方に対する彼のかんがえを示してもいるとおもう。

このような理念は強迫的性格を帯びているゆえ否応なく信仰されざるをえない。歪曲されている点を重視するならばこの理念は妄想と記されてもよいだろうが、この理念が過ぎ去ったものの回帰を示す限りにおいて、この理念は真理と呼ばれなければなるまい。(p217)

回帰してくるこの理念の力強さ、不可避さを「妄想」と断じて片付けたところで、何の意味もない。ただ、そう断じる「精神分析」という学の、あるいはフロイトという個人の「神経症的」な性格、矛盾した異常な精神の運動が隠蔽されることに寄与するだけである。
ここでのフロイトの宗教への態度は、宗教は人民にとって麻薬だが、麻薬を使用しなければ生きていけないような現実の矛盾をなくさない限り、宗教への啓蒙的批判など何の価値もないとするマルクスの宗教論にほとんど重なり合っている。
フロイトはここで、「宗教団体」や近代科学の「学会」や「国家」「組織」といった安定した体系、共同体を批判する場に自らを置きえている。それは、彼が自己の矛盾や「妄想」を否認せず、それを肯定する位置に立ったということだ。
フロイトという思想家の本当の偉大さは、彼が安定した体系や自己同一性へのいかなる帰属をも拒んで、自己の矛盾と動揺のなかに踏みとどまったという点にある。『モーセ一神教』は、その証明だ。サイードのこの書物への共感も、じつはこの点にこそその本当の理由を見出すべきであろう。
それゆえに、彼は「牧師の息子」であった高弟ユングや、友人ロマン・ロランのような宗教的な安定した人格に対して、終生コンプレックスを持ち続けた。だが、このコンプレックスをついに否認することがなかった、また出来なかったという点に、思想家としてのフロイトの偉大さと可能性の全てがあるのだ。


だが、「宗教」の何が彼に強い不安を感じさせたかについては、別の解釈も成り立つ。それに関することを以下に書く。

付論 精神の物質性への怖れ?

以下は、本筋からは少し外れて、ぼく自身言っていることにあまり自信がもてない部分だ。といっても、今まで書いてきたことも自信はあまりないが、これ以降はもっと曖昧だ。先に少しふれたフロイトの大脳生理学的な書き方に関する感想なのだが、じつは全然見当違いの意見かもしれない。
なので、付け足しとして別に記す。


この最後の論文(「モーセ、彼の民族、一神教」)では、フロイトの大きな関心は、なぜユダヤ人は、かつてエジプト人がおこなったようにこの普遍的な「一神教」という「うっとうしい」ものを最終的に振り払わなかったのか、という問題に向けられている。
彼らは一度はモーセを殺害し、この宗教を排除するが、最終的に「一神教」に戻るからである。
先に述べたように、これについてフロイトが提示している面白いかんがえのひとつは、感覚性に対する精神性の勝利、「欲動の断念」という行為(これを、フロイトは「文化の進歩」と捕らえるわけだが)が、人間にある種の「快」をもたらすということだ。これを彼は、「超自我」の存在と結びつけて説明している。本書の訳者である渡辺哲夫によると元来「エス」を論じるフロイトの学説は『官能の学、「感覚性」の学』(解題より)なのだそうだから、これはフロイトの思想全体の大きな特色といえるのかもしれない。
だがこうしたことは、現代では大脳生理学的な説明も可能な事柄ではないだろうか。
じつは、フロイトはひそかにそのことを予見しているらしくおもえる。こうしたことを書くときのフロイトの率直さは、感動的でさえある。

それゆえ、人類が発達するなかで感覚性が徐々に精神性によって圧倒されていく現象、人間がこのような進歩のたびに誇りを感じ高められたと感じる現象が確かに目の前に存在するだけになる。けれども、なぜそうであるのか、誰にも分からないのだ。(中略)ひょっとしたら、人間というものは、単純に、より困難であることをより高きことと解するのかもしれず、人間の誇りとは、困難を克服したという意識によって亢進させられたナルシシズムに過ぎないのかもしれない。(p197以下)

「父」の観念にかかわる自己の論理体系へのパラノイア的な執着から解放された瞬間のフロイトの思考には、ときおりこうした天才的なひらめきが見いだせる。


また、ぼくは人間の精神についての、フロイトの次のような表現がとても気になる。

『人間の集団には感嘆賛美する権威への、屈服すべき権威への、それによって支配されたいと願う権威への、場合によってはそれによって虐待されたいとすら願う権威への強烈な欲求が存在しているのをわれわれは知っている』(p183以下)

『父なる神に対したときの気持ちは、未熟な乳幼児の環境を思い描くことによってはじめて十分に理解されるようになるだろう。乳幼児の感情の動きは、成人の場合とはまったく別次元の強度と汲み尽すことのできない深度を持つのであり、ただ宗教的エクスタシーのみがふたたびこの感情の動きをもたらしうる。それゆえ、偉大なる父親の回帰に直面して真っ先に起こった反応は、神への服従から生じる陶酔なのだ。』(p223)

『そして、飽くことを知らない、途方もなく深い源泉からやってくるこの罪の感情を満足させる必要から、この掟はますます厳しくますます小うるさいものになって行かざるをえなかった。道徳的禁欲がもたらす新たな陶酔のなかで、人びとは、新たな欲動断念をつぎつぎとおのれに課して行き、結果として、少なくとも教義と掟においては、他の古代民族が近寄れないほどの倫理的な高みにまで到達した。』(p224)

これは、「禁欲」(欲動断念)がもたらす「陶酔」が、人々を反復へと導き、精神的・倫理的な高み(一神教)へともたらした、とする説明の仕方だ。
「欲動断念」は「抑圧されたものの回帰」をもたらすというのがフロイトのかんがえなのだが、ここではその回帰(反復)してくるものの力がもつ、精神分析の理論によっては説明し切れない強度を目の前にして、フロイトは震撼し、「陶酔」という今日の言葉で言えば大脳生理学的な要素を持ち出さざるをえなくなっているように思えるのだ。それは、宗教がもつ「何かしら偉大なるもの」に対するフロイトの恐れと不安の表明だが、これは人間主義や普遍主義、また人文科学の無効性についての予感ではないだろうか。
フロイトを震撼させた直接のものとは、外的にはナチス全体主義(ソ連)の存在であっただろう。しかし、フロイトの思考は、これは『モーセ一神教』だけの特徴ではないのだろうが、人間の精神の物質的な本質ということに対して非常に敏感だとおもう。
それは、フロイト精神分析の理論の限界を自覚し、大脳生理学的な人間の生と社会、文明の理解の妥当性を認めたことを意味しているのではないだろうか。人類史と人類の世界の全てが結局は大脳生理学的記述のみで理解しつくせるのなら、「理論」や人文的な学問にどんな意味があるだろう。
理念・思想の発展や芸術・文化の存在などがなくても、脳への化学的・薬学的な働きかけのみによって、個人と人類の全ての不幸は除去される。これは人文科学とすべての文化的営為の否定につながる、まったく全体主義的な発想と呼べるものだが、フロイトはそのかんがえの正当さに気がついてしまったのではないだろうか。
フロイトの「宗教」に対する怖れと不安は、この認識にこそ深く結びついていたのではないか。人間の「精神性」と呼ばれるものが、じつは100%物質的な根拠しかもたないものであり、すべて人工的に作成・操作が可能なのだとすると、全体性としての宗教が苦悩する個人に平安をもたらすのなら、この「麻薬」を否定することにどんな理由があるだろう。「個人の自由」は幻想でしかないと、フロイトはすでに洞察しているのである。思想や文化よりも、脳への生理学的な働きかけの方が人々を救う。いや、思想や文化そのものが、大脳生理学的記述のみによって説明されるのなら、人文科学と文化の存在は虚妄にすぎない。「精神分析」なるものもまた、無意味だということになろう。
フロイトはここで、全体主義的解決につながりかねないこの恐るべき真実を前にして震えているようにおもえるのだ。

*1:彼がこの論文の発表をなんどもためらったのは、その内容がオーストリアカトリック教会の怒りを買うことを恐れたからだったらしい。

*2:1930年代後半のユダヤ人の状況をかんがえれば、ユダヤ人の誰が自民族中心主義的にならずにいられただろうか。それを非難することは、現状でパレスチナ人の民族主義を非難することと同様に愚かしい。