「倫理主義」悪玉説は本当か?

上にベンヤミンのことに触れて、ユダヤ人に関する話をしたので、ちょっとおもっていることを書いておきたい。

よくイスラエルが行なっていることがなぜ国際社会で黙認されてきたのかということについて、ヨーロッパのキリスト教徒の国であるナチス・ドイツが「ホロコースト」と呼ばれることを行なったことにたいして、ユダヤ人に対する罪の意識と負い目が欧米をはじめとした国際社会にあって、だからユダヤ人の国であるイスラエルへの批判があまりされなかったのだ、というふうにいわれる。でも、これが本当に主な原因なのだろうか?
上のような見方から出てくるのは、ユダヤ人を絶対的な弱者・被害者としてみてしまうような過剰に倫理主義的な態度が、結果としてイスラエルによる蛮行を黙認することにつながったという、「いきすぎた倫理主義への批判」みたいな意見だろう。このタイプの言説は、今の日本ではよく聞かれるものだとおもうんだけど、ぼくが疑問なのは、こんな事例がイスラエル以外にあったかということだ。もし歴史上や、現在の社会で大きな被害を受けた人たちが、その被害の大きさゆえに特権的な(批判がされにくいような)位置を獲得するということが一般的にあるのなら、ブッシュ政権自民党が権力を握ってるという状況にはなってないだろう。
ぼくは、イスラエルが国際社会で批判されずに来た主な原因というのは、たんにユダヤ人に力のある資本家や金持ちが多かったことではないかとおもう。これは人種の問題ではなくて、アメリカの社会のあり方や世界の資本主義の構造の問題だろう。つまりこれは、富裕なものや権力を握ってるものが横暴に振舞ってるという話で、弱者や被害者の特権性云々ということはあまり関係がない。
ホロコーストに関する欧米の知識人やマスコミや国際社会の過剰に倫理的な態度がイスラエルの横暴を許したというのは、アメリカ政府や大資本による作り話ではないだろうか。この作り話は、資本や大国にとっても隠れ蓑になるし、欧米の知識人は「お人よしだけど、道徳的だ」みたいにおもわれるし、保守派や右派の人たちにとっては「倫理主義は危ない」「弱者に気を使いすぎるな」という主張をするための格好の口実になる。
どうもアメリカでも日本でも、このタイプの論理が幅を利かせてるようだが、よく注意したほうがいいとおもう。

ただ、このホロコーストにかかわる倫理主義的な要素が、イスラエルの正当化に影響したということがまるでなかったとはいわない。
たいへん興味深いのは、アイザック・ドイッチャーが『非ユダヤユダヤ人』

非ユダヤ的ユダヤ人 (岩波新書 青版 752)

非ユダヤ的ユダヤ人 (岩波新書 青版 752)

のなかで言っていることで、戦前、シオニズムに反対してユダヤ人労働者とヨーロッパ諸国のマジョリティの労働者との共闘を進めようとしたユダヤ人の左翼のなかに、戦後、こういう感情があったという問題だ。
でもこれは長くなるので、またいずれ書きます。