『兵役拒否の問い』

兵役拒否の問い/イ・ヨンソク – 以文社

 

韓国の兵役拒否運動や、徴兵制の実情について全く知らなかったので、大変勉強になった。韓国では2000年以後に兵役拒否運動が大きな広がりを見せ、その結果、2020年に良心的兵役拒否者への代替服務制(軍務に就く代わりに、現役服務の二倍にあたる36か月間、刑務所で合宿生活を送りながら福祉施設などで働くというもの)が遂に実現した。

長らく、兵役拒否という行為はありえないこととされてきた(例外は「エホバの証人」の信者たち)韓国の社会において、これは大きな出来事だった。このような成果を、なぜ達成できたのかという経緯が、今後の課題と共に語られている本である。

本書が提起している事柄については、出版社のサイトに、韓国の運動事情に詳しい論者による詳細な書評が載っているので、そちらも参考にして欲しい。

http://www.ibunsha.co.jp/contents/kagemoto2/

 

 

2000年代に入ってからの兵役拒否運動で特徴的であったのは、兵役拒否という行為が、信仰やイデオロギーから離れて、(脆弱でもある)個人の良心の問題として捉えられるようになったことと、フェミニズムの強い影響ということであったのが、この本からよく分かる。そうした運動の体質的な変容が、「兵役拒否」という行為を通して「軍事主義からの脱却」という根本的な課題を社会に問いかけ広げていくという方向性(運動の展望)を見出させ、またその為のアプローチの方法の創発に結びついていった経緯が、実践的に書かれているのである。

それは、植民地責任を放棄することと相即的に確立された日米安保体制(より正確にはサンフランシスコ体制)の下で、沖縄に(また自衛隊についてはアイヌモシリにも)基地を押しつけたのと同様に、朝鮮半島や台湾に軍隊と「戦争」をアウトソーシングすることで、見えざる軍事主義≒家父長制の構造を温存するどころか強化さえしてきた日本社会の読者にとっても、重要な示唆を与えるものとして読まれるべきことだろう。

 

 

著者のイ・ヨンソクは、この運動の中心的な役割を担ってきた人物だが(ただ、本書中にも書かれているように、この運動ではチェ・ジョンミン等女性たちが中心的な役割を果たしてきたことも特記すべきだろう)、自身2000年代の初めに兵役を拒否して刑務所生活を送っている。

前半では、その体験の回想が綴られるのだが、その内省的な雰囲気が、今世紀に入ってからの社会や運動の変化に対応した、この運動の性格をよく表していると思えて、僕には印象深かった。

 

『だが本来、良心は弱くて脆いものだ。民主主義国家において良心の自由が保護されねばならないのは、個人の両親が民主主義の核心的な要素だからでもあるが、国家が保護しなければ良心の自由があまりにもたやすく砕け散り、侵害されるからである。(中略)あとから結果だけみると、監獄をも辞さない強固な決心を固めていたかのようにみえるかもしれないが、決してそうではなかった。比較的淡々と兵役拒否を決心したわたしでさえ、数百回は逡巡した。(p37~38)』

 

 

『わたしは、恐れこそ勇気の最も重要な要素であると考えている。暴力を恐れないひとは、勇敢な人間なのではなく、勇敢なふりをしている人間だ。かれらは自分のなかの恐れを隠すために、むしろ暴力的な態度を取る。本当に勇敢なひとは、自分に降りかかる暴力のみならず、自分が行使する暴力をも恐ろしいと感知し、その恐れをとおして暴力について考察することができる人間であり、恐れを感じながらも、その恐れ自体を真正面からみつめる人間である。恐れを認めることは、暴力に対する省察を可能にする最も重要な力である。(p69)』

 

 

『出所直後、わたしの家族や友人は、わたしがかなり変わったという話をした。他人をおもんぱかり、関係を省みる感情労働の重要性を悟り、変わろうと努力したからだろう。(p82)』

 

 

『過去の社会運動は構成員間の同質性を基盤に強力な力を発揮する反面、非同質的な人びとに対しては排他的な側面をもっており、そのせいで新たな集団やアイデンティティをもったひとたちが社会運動に入り込みにくい問題があった。それに比べ、兵役拒否運動は同質性を基盤にした組織の目標よりも、個々人の良心が重要視される社会運動だった。自分の良心が組織の方針と相反するとき、みずから進んで自分の良心を重視するひとたちが兵役を拒否するからだ。(p112)』

 

 

また、フェミニズムの影響については、

 

『兵役拒否運動が代替服務制の導入という変化をつくりだすことができた(国際的な連帯とならぶ)もうひとつの大きな要因はフェミニズムにある。(p172)』

 

 

フェミニズムは、兵役拒否運動を平和運動として位置づける際にも多大な影響を及ぼした。わたしも軍事主義と軍事安保に対する批判の言語をフェミニズムから学んだ。軍事主義は二分法にもとづき機能し、たえず二分法を強化する。軍隊にいく「正常な」ひとと軍隊にいくことのできない「異常な」ひと、友軍と敵軍、保護者と被保護者、勝利と敗北。こうした世界では「正常な」ひと(健常者、異性愛者、男性、そして軍人)が「異常な」ひと(障害者、セクシャルマイノリティ、女性、移民、そして兵役拒否者)を保護する。これこそが軍事主義的な安保意識であり、これは必ずしも軍隊のなかだけで機能するものでもない。(p174)』

 

 

最後に、圧倒的に敵対的もしくは無関心だった社会に問いかけていく運動のあり方については、ここでは次の一節だけを引いておこう。

 

『わたしたちは兵役拒否者に対する嫌悪を扇動する政治家やメディアに断固として立ち向かうとともに、たえずいろいろな人びとに会い、対話した。兵役拒否は宣言であると同時に声かけであり、それがわたしたち独自の生存方法だった。(p128)』

 

 

なお、巻末に付された詳細な訳者解説も、韓国での運動の歴史や現状が見通せる優れた内容である。