『黙々』(高秉權)

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本書の著者、高秉權(コ・ビョングォン)さんは、元々は「スユ+ノモ」に居た韓国の哲学者だそうだが、2009年頃からの数年間を「ノドゥル障害者夜間学級」という夜学で教え側として過ごした。この本の内容は、その体験から得られた考えが大きなウェイトを占めている。

「ノドゥル障害者夜間学級」は、運動をする障害者たち自身の手で作られたもので、学校といっても受験勉強をするようなところではなく、むしろ運動する障害者を育てる、それ自体運動体のようなものらしい。

韓国には、経済的・社会的に困窮している人たちに、教育や育児・保育の場を提供しようという市民たちの自律的な運動の場所が昔から多くあるが、ここもその一つなのだろう。

その体験を通して自分が学んだものを、韓国の今の社会や運動の空間に、どう投げ込み、変えていくことが出来るかが模索されている、と言っていいだろう。

といっても、長文の難しい文章ではなく、いくつかのところに連載されたエッセイをまとめた内容である。

 

『実際はわたし自身が聞くことができなかったのに、決めつけてかれらは語ることができない存在なのだと宣言してしまった。わたしのなかの賢い哲学者が、自分の聞けないことをかれらの語れないことに取りかえてしまったのだ。しかし何十回でも同じ単語を繰りかえし語ってくれた夜学の学生たちのおかげで、ようやくいくつかの言葉を聞きわけられるようになった。そしてわかったことが一つ。世界に声なき者はいない。ただ聞かない者、聞こうとしない者がいるだけだ。(p5)』

 

『なぜここまで力を込めて夜学に出てくるのかという問いに、そしてなぜそのように体をケガしてまで闘争するのかという問いに、ノドゥル夜学の人びとは「仕方がない」という言葉をよく言う。どのようにであれ「生きぬかなければ」ならないからだ。生を諦めるのか、生きぬくのか。わたしは人文学の勉強の領域はここにあると考える。どのようにであれ生きぬかなければならない、それも「よく」生きぬかなければならないという自覚、生に対するそのような態度、そして姿勢のようなもののことだ。(p23)』

 

この本で語られているのは、今日の社会において人間や動物が置かれた、「生存」と「よき生存」とを共に否定されるような現実だとも言える。

そして、その現実の暴力に対抗して、われわれが生命として共に生きるような場所を切り拓こうとする著者の思考が、特にマルクス魯迅、またニーチェディオゲネス、プリモ・レーヴィやアルンダティ・ロイ、それに聖書や古代ギリシャの文献などとの思想的・実践的な対話を含みながら展開されている。

原著の出版は2018年だが、今現在の世界情勢を考えれば、優生思想と新自由主義的な思考が支配する社会の行く末を、主に障害者をめぐる問題から見とおした、次のような文言には誰しも心を動かされざるをえないだろう。

 

『ロイの言葉を深く吟味しよう。いわゆる「声なき者たち」とは、声を聞かない者たちがつくりだした「沈黙」であるということだ。声が「聞こえない」のではなく、わたしたちが「聞きたくないから」そのようになったということだ。ロイは「聞くことのできない無能力」を超えて「聞こうとしない意志」を暴露している。(p44)』

 

『たとえば魂の奥底に「異邦人は敵だ」という認識を持つ人は、ある恐ろしい事件を体験した時、異邦人たちを閉じこめる死の収容所を簡単に推論してみせる。事件の衝撃波がその認識の枝をしばし揺らしさえすればよいのだ。(p90)』

 

『視野の外にいる存在たちは掃き捨てられるのも簡単だ。あの使い道のない存在たち、あの重荷みたいな存在たちをいつまで抱えていなければならないのか、と。そう誰かが慎重に言葉を吐きだす日が来るかもしれない。(p98)』

 

『戸締りをしておけば今すぐに被殺者になることは免れるかもしれないが、殺人者になることは免れえないのだ。そして誰かを死ぬがままに放置することは、結局自分のなかの人間を死ぬがままに放置することである(p127~128)』

 

 

だが、なかでも私が強烈な印象を受けたのは、「わたしたちが暮らす地はどこですか」という文章である。

これは2017年11月23日に、障害者闘争の座り込み現場で行なわれた「障害解放烈士」についての講演の記録である。

標題の言葉は、韓国で障害者の激しい闘争が大きく沸き起こる80年代末に先立つ時代、1984年に「飲毒自決」を遂げたキム・スンソクさんという障害者男性が残した、遺書のなかの言葉だそうだ。

この講演で著者の高秉權は、かつて1980年代には韓国の民主化運動のなかで内実を持って用いられていたが、今では死語のようになってしまった「烈士」という、闘いのなかでの死者を指す言葉が、障害者運動の場においてはまだ生きて用いられていることに注意を促し、この言葉の真に意味するところを探ろうとする。

以下は長文だが、著者の丁寧な思考のあり方がよく示されている部分だと思うので、あえて書き写したい。

 

『もう一度自問してみます。烈士とは誰でしょうか。わたしはこのように考えます。その人は死後を生きる人です。今この「障害者解放烈士学びの場」が一例です。死後を生きるということは来世を生きるということではなく、現世で「死後の生」を生きる人だということです。死んでわたしたちのそばにやって来て、またわたしたちとともに生きる人です。それゆえ「死んだ」という事実がその人を烈士にするのではなく、今ここに「生きている」ということが、その人を烈士にするのだと考えます。その人は生者たちの言葉と行動、意志と闘争のなかで生きている人です。

 しかし、その人が「死んでも」わたしたちのそばに生きていることができる理由は、死以前の生、つまり生前の生ゆえです。その人が「死んだ」からではなく、その人が高貴に「生きた」がゆえに、その人は死んでもわたしたちのそばに生きているのです。わたしたちがその人の死を記憶するのはその人の生を記憶することです。わたしたちはその人の死からその人の生を読みとります。その人は生きようとし、生き、生かそうとしました。

 しかしもう一度言いますが、高貴な生を生きたということでも充分ではありません。模範的な生を生きたということでは誰かを烈士と呼ぶことにはなりません。その人が死にながらさけんだ言葉は、生の知恵とは異なります。その人の死はその人の生の完成ではありません。その人の死には「やりつくせなかった」何かがあるのです。ある切実さ、ある恨(ハン)の凝固したものがあるのです。その人は自分に与えられた時間、自分が属した時代と沈んでしまうことのない言葉と行動、意志を残した人です。一言で言って、その人は歴史を貫通して、完成されない何かを伝達する人です。それゆえその人は歴史のなかに存在せず、現在に生きているのです。(p153~154)』

 

著者の関心の重心が、死ではなくあくまで生にあること、だがその生とは、ここでは、生き残った者たちの傍らに無念さを伴って在り続ける死者たちの生(「死後の生」)であることが分かるだろう。

そのうえで、韓国の社会が(そして私たちの社会が)、今なお(最悪の意味での「収容所」につながる)障害者差別体制のもとにあることをはっきりと非難しながら、著者は次のように言っている。

 

『「わたしたちが暮らす地はどこですか」。エジプトを離れたモーセが定着すべき場所を知らず神に捧げる祈祷のように聞こえる言葉。しかしキム・スンソク烈士のこの言葉は祈祷ではありません。この言葉は「この地で暮らすことのできない存在」としての「わたしたちは誰なのか」という問いであり、領土から物理的に、心理的に、社会的に、経済的に、公安的に排除された者の大地に対する自己権利の主張です。それは「この地でわたしたちが暮らせるようにせよ」という要求であり、「この地で暮らす」という宣言です。「わたしたちが暮らす地はどこですか」。これは先ほどのあらゆる話を凝縮している、いかなる時間の歯によっても噛みきることのできない、ダイアモンドのような文章です。(p161)』

 

ここで(シナイにおける)モーセのことが引かれていることに、(やはり今現在の世界情勢、つまりガザのことを考えるなら)私は強い印象を受けるのだが、それはもちろん、この聖書の物語についての、フロイトと晩年のサイードによる反植民地主義的かつ脱民族主義的な解釈を思い出すからだ。

そして、この講演の最後は、キム・スンソクが夢見ていた、ささやかだが普遍的でもある解放の空間のヴィジョンを提示して、次のように終えられている。

 

『かれはそこで暮らそうとし、わたしたちにそこで暮らせと言い、この地をそこにつくれと言いました。この地を「わたしたちが暮らすことのできる地」にしようと夢見て、念願していたその人は、全身にそのメッセージを込めて死にました。いや、そのように死んだので、今なおわたしたちのそばに生きています。(p172~173)』

 

この本で語られる思想は、不正義に満ちた世界に抗して、死者と共に生きぬくという意志に関わっている。