『公共性の構造転換』

公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究

公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究


原書の出版は1962年。この第2版は1990年に出たもので、著者による長い序言が付されている。


ハーバーマスは、この本でまず、われわれが近代的なデモクラシー(民主主義政治)と呼んでいるものが、西洋のある時期の歴史的経験の産物に他ならないことを明確にしている。
その経験とは、重商主義の経済政策の結果としてもたらされた産業資本主義の発達であり、そこから生じた私有財産制の確立と、それに基づくいわゆる「自由市場」の形成という事態である。
私有財産制は、近代的家族というものを生み出したが、それによって形成されるのが「私人」という概念であり、「私人」の自覚を持った私有財産の所有主(家長)たちが、その自立と自由とを標榜して行う政治的論議の場が、デモクラシーの基盤となる「市民的公共性」という領域である。

すなわち、この市民的公共性は、市民社会の私有圏への公共的関心がもはや単に政府によって保護されるだけではなく、臣民自身によってみずからの関心事として考慮に入れられるにつれて、発展していく。(p35)

このような歴史的に固有の条件下で成立し発展した公共性の形態(市民的公共性)は、この条件が歴史の中で変容すると、当然、そのあり方を転換させていく。執筆当時の現在(1950年代末頃か)を、著者は、そうした転換の時期として捉えたわけである。
ところでハーバーマスは、こうした公共性の近代的な性格を、「政治的に機能する公共性」という重要な概念で表しているのだが、興味深いのは、その前段階として「文芸的公共性」というものの存在が語られていることだ。

公権力の公共性が私人たちの政治的論議の的になり、それが結局は公権力から全く奪取されるようになる前にも、公権力の公共性の傘の下で非政治的公共性が形成される。これが、政治的機能をもつ公共性の前駆をなす文芸的公共性なのである。それはまだ、それ自身の内部で旋回する公共の論議の練習場であり、これは民間人が彼らの新しい私的存在の直接の経験についておこなう自己啓蒙の過程であった。(p48)

文芸的公共性と呼びうるものの存在を、江戸時代後期の日本や、もっと広く言えば当時の東アジア社会に見出しうるとする考え方が、近年出てきているようだ。それらは、西洋の(歴史的には固有な)文芸的公共性が、絶対主義体制下の重商主義政策の下で成立したという事情を考えると、同列には論じられない気はするが、明治以後の日本の政治社会のあり方を考える場合には、示唆的な視線ということが出来るかもしれない。
文芸的公共性の問題は、本書の後半で、市民的(政治的)公共性を解体する傾向を持つ戦後の消費社会の考察において重要な意味を持ってくる。


話を戻すと、私有財産主(ブルジョア)である家長たちの政治理念追求の場であった市民的公共性というものは、現実との関係において大きな矛盾をはらんでおり、その否認と隠蔽の上に成り立っていたものだといえる。ハーバーマスは、そのことを繰り返し強調する。

じっさい、或る意味では、商品所有者は自分を自律的なものとして理解することができる。彼らは、国家的な指令や管理から解放されるに応じて、利潤の原理にしたがって自由に決断することができ、この点では何びとに服従する義理もなく、一見市場に内在する合理性に従って機能する匿名の法則のみに服従している。これらの法則は、公正な交換というイデオロギー的保証を帯び、一般に正義によって暴力を克服しうるという建前をもっている。このように財産処分権にもとづき、交換関係への参加においてじっさい或る程度まで実現されている私人の自律は、このようなものとして如実に現われざるをえない。(p67)

「私人」(近代的個人)は、自分を自由で自律的な存在だと考えているが、その自由も自律も、産業資本主義と自由市場の誕生を由来としている。その産業資本主義と自由市場は、強大な国家の力(暴力)を背景にして初めて成立しうるものである。市民的公共性の論理がイデオロギーとして真によく機能しえたのは、実は帝国主義全盛期の大英帝国においてだけであったという事実は、そのことをよく示しているのである。
私的自律も、自由市場も、そしてそれらを擁護する(広義の)自由主義の理念も、そうした現実的・歴史的条件を基盤として初めて成り立ち、しかもその基盤の否認の上に維持されていたものだといえるのだ。

市民社会が標榜する理念によれば、自由競争の体制には自動調節の能力がある。それどころか、経済外的な権威が交換関係に干渉しないという前提のもとでのみ、この体系は各個人の業績能力に応じて、万人の福祉と社会正義の線にそって機能すると約束するのである。自由市場の法則のみによって規定された社会は、単に支配なき圏であるのみならず、そもそも暴力なき圏であることを標榜する。(p110)

「暴力でなく、理性を」というのが、権力についての市民的公共性の理念なのだが、それは自由市場と私人の領域の自律性という、資本主義社会の市民(所有主)たち、いわゆる「ブルジョアジー」の価値観の表現に他ならなかったのである。
それが、矛盾に満ちた資本主義社会の現実に適合しないもの(イデオロギー=虚偽意識)であったことは明らかである。市民的公共性は、理念としては、(理性を有する限りは)全ての人間に政治への平等な参加を保証することを目的とするものだが、格差と排除を拡大させる資本主義社会の成りゆきが、決してそれを許さないことは、今や誰でも知っている。つまり、支配と暴力は、現実には決して市民社会の原理によって解消されることはないであろう。

こうして憲法規範は、市民社会のモデルを基準にしているわけであるが、その社会の現実はこのモデルに決して適合していない。(p115)

だから、ヘーゲルマルクスも、またミルやトクヴィルを始めとする(狭義の)自由主義者たちも、この市民的公共性なるものが、擬制に他ならないことを暴き、公衆の議論によって形成される政治の意義を、それぞれの仕方で否定した。
だが、ハーバーマスは、次のように言う。

(前略)公衆が自分の存在と行為として信じていたものは、イデオロギーであるとともに、単なるイデオロギー以上のものであった。一階級の他階級に対する支配が依然として続く土台の上で、この支配はそれにもかかわらず、それ自身の止揚の理念を真実味をもってその客観的意味として取り入れる政治的制度を発達させたのである。(中略)イデオロギーという言葉が、社会的に必然的な意識をその虚偽性において示唆するのみでなく、既存体制をしてたとえ単に護教的にせよ自己自身をユートピア的にこえさせることによって真理であるような契機もイデオロギーに含まれているのだとすれば、イデオロギーというものは、そもそもこの時代以後になってはじめて存在するのである。(p119)

産業資本主義の社会、ブルジョア社会が生み出した市民的公共性なるものは、全くの擬制に他ならなかったが、しかし、この擬制には重要な意義がある。これが、ハーバーマスの立場なのである。
たとえば、それはこういうことだ。

一定の集団をもともと排除した公共性は、不完全な公共性であるだけでなく、そもそも公共性ではないのである。だからこそ、市民的法治国家の主体として通用しうる公衆は、自分たちの圏をこの厳密な意味での公共性として理解し、彼らの反省的検討のなかで原理的には万人の帰属性を先取りしているのである。(p116)

近代の市民的公共性は、そこからさまざまな他者を排除したのが現実だが、ただこの公共性は、その原理として、万人をそこに帰属せしめるということを先取りしているのだと、ハーバーマスはいう。この公共性には、暴力ではなく理性化へと向かう傾向が、理念として含まれているというのである。
このようにハーバーマス市民的公共性を擁護するのは、思想史的には、カントとルソーとの対比に重なっているといえる。

この場合(カントの)論述は全くルソーの論法に従っているが、ただひとつの点が決定的な例外になっている。それは、人民主権の原理は理性の公共的使用を前提条件としてのみ実現されうる、という点である。(p148)

カントを批判的に継承するハーバーマスは、理性を持つ人々の公共的な論議による政治の遂行を支持する。それは、このような公共性を経ないルソーの政治原理(人民主権)が、政治における合理性の否定という事態を招来すると考えられているからだ。
ここで、ナチスのみならず、全体主義の国家体制が、ハーバーマスの念頭にあったことは確かだと思われる。
それに対して、政治参加が合理性への意志を手放さないで済むような、言いかえれば、反省的検討によって常に自己を修正する意志を保ちうるような唯一の公共性のあり方として、ハーバーマス市民的公共性という形態が開いた可能性(理念)を、評価し支持する立場に立つのである。
市民的公共性は、確かに限界と欺瞞に満ちたものではあったが、それだけが、政治を合理性に対して永続的に開き続ける道を示した。つまりそれは、政治システムが自己のあり方を公共的な議論の中で反省的に修正し続けることを保証する、唯一の道筋なのである。
カントの「啓蒙について」の次のような一節を、ハーバーマスが引いているのは印象的だ。

「語り書くことの自由は政府権力によって奪われうるが、考える自由はそれによって決して奪われない、とはよく言われることである。けれども、もしもわれわれがいわば他の人びとと共同に考え、彼らとわれわれの考えを伝え合うようにして考えるのでないとしたら、われわれは一体どれほどのことを、どの程度の正しさで考えることができるというのであろうか」(p145)

本書の後半では、この市民的公共性というものが解体しつつある、現代の社会が分析の対象になるのだが、先にも触れたように、ここでハーバーマスは、文化消費という概念を提出して、これをかつて(プレ近代)の文芸的公共性と対比させている。

すなわち文芸的公共性に代って、文化消費という疑似公共的もしくは疑似私的な生活圏が出現する。(中略)この文芸的公共性は、その機能からみれば政治的公共性の先駆形態にすぎなかったが、それでもすでに一種の「政治的」性格を帯びており、このことによって社会的再生産の圏からは超脱していた。(中略)ところが文芸的公共性が発展して文化消費へ変貌していくにつれて、まさにこの敷居がならされてしまう。いわゆるレジャー行動は、生産と消費の循環の中へひきこまれて、もはや生活の必要から解放された別世界を構成しえないという理由からみても、すでに非政治的なものなのである。(p216)

文芸的公共性とは異なり、文化消費においては、諸個人が「生産と消費の循環」から分離した独立的な領域を見出し、そこで思考と論議とを習熟させて政治的な場を形成する力を獲得していく道は、閉ざされる。
つまり、各人の思考と生活は、消費社会の磁場にすっかり閉じ込められ、社会のあり方を自分たちで変えて行こうとするような「政治的」な意志に目覚める可能性は、あらかじめ奪われることになるのだ。

今日では、消費文化として脱政治化された公共性によって、庶民化された「政治的」公共性が吸収されていく傾向が強まってきた。(中略)すなわち公的領域と私的領域の統合同化に対応して、かつて国家と社会を媒介していた公共性は解体した。(p232)

たしかに、従属化された公衆は、ぼう大に拡張された公共性の圏内で、今までとはくらべものにならないほど多面的に且つしばしば、公共的な拍手のために動員されているが、しかし同時に公衆は、全く権力行使と権力均衡の過程の埒外に立たされているので、公共性の原理によってこの過程を理性化するというようなことは、保証はおろか要求さえされることもできないのである。(p236)

この社会においては、国家と社会、公的領域と私的領域とは統合され、その間を媒介するものとして捉えられていた「政治的に機能する公共性」の存立の余地は、急速に失われていく。
では、このような社会において、新たな公共性はどのような政治的機能を持つものとして現われるだろうか。ハーバーマスは、現代の政治においては、「広報活動」(public relations)が極めて重要な役割を果たすようになったことに、注意を促している。

広報活動は宣伝対象に公共的な関心事としての権威を帯びさせ、これについて論議する民間人の公衆が、いかにも自由に公論を形成するかのような状況をつくりだす。(中略)こうして作りだされた合意は、もちろん公論―相互の啓蒙という辛抱づよい過程の結果として得られる協調―とは、本当のところ、たいして関係がない。(中略)虚構の公益(public interest)という旗印のもとで手の込んだ意見造成事業によって作りだされた合意には、そもそも合理性の基準が欠けている。(p262〜263)

「広報活動」の政治の産物として生じてくる民意は、市民的公共性が元来目指していたような、論議によって形成される公論とは縁遠いものである。

(前略)なぜなら、宣伝心理学的目的でなされた公約は、客観的にはどれほど時宜にかなったものであるとしても、主体たちの意見と意識によって媒介されたものではなく、主として下意識によって媒介されたものだからである。(中略)公共性は、それ自身の理念によれば、その中で原理的に各人が同じ機会をもって各自の好みや願望や主義を申告する権利をもったというだけでは、民主主義の原理となったのではない。このようなものは、ただの意見(opinions)にすぎない。公共性は、これらの個人的意見が公衆の論議の中で公共の意見、公論(opinion publique)として熟成することができたかぎりでのみ、実現されえたのである。(p288)

このような公共性にとって必要とされる政治家の姿は、かつての貴族の時代、封建主義的時代の支配層のそれに近いものである。王侯貴族たちが、地位や家柄を背景としたオーラのようなものを帯びて人々の前に出現することによって機能していた、封建主義時代の公共性のあり方を、ハーバーマスは、「具現的公共性」という言葉で呼ぶのだが、それがまさに、この消費文明の政治の場においては復活して来るのだと、ハーバーマスは(今から見るなら)予言している。

市民社会は、広報活動によって造形されるようになるにつれて、ふたたび封建主義的な相貌を帯びてくる。商品提供の主体は、信徒的な顧客層の面前で、代表的具現の豪華さをくりひろげる。新しい「公共性」は、かつて具現的公共性が賦与していた人身的威光や超自然的権威の風格を模倣するのである。(p263〜264)

これは、ボナパルティズムの名で呼ばれる政治現象を思わせるものだが、言うまでもなく、近年の日本でボナパルティズムの復活が言われるようになったのは、バブルによる消費文明全盛の中曽根政権、そして何といっても(封建領主の末裔であり、戦前の近衛内閣の再来とも言われた)細川政権登場の頃からだろう。
「政治的に機能する公共性」への解体的攻撃(もちろんそれ自体は、世界的趨勢でもあるが)は、あの頃から本格的に始まったと考えられるのである。


ハーバーマスは以上のように、現代における「公共性の構造転換」の様子を叙述する。
ここで彼が試みている重要なことは、執筆当時、消費社会と相即的なものとして確立しつつあった社会福祉国家を、市民的公共性(広義の自由主義)の理念の延長上にあるものとして位置付けることである。
ハーバーマスは、福祉国家の政治的機能は、それが自由主義的な政治の実現を可能にする条件を提供する点にこそある、と言う。

自由主義法治国家社会福祉国家的転形は、この初期状況から出発して理解されなければならない。すなわちそれは連続性を基調とするのであって、決してリベラルな伝統からの断絶によって性格づけられる転形ではない。(中略)社会福祉国家はまさに自由主義国家の法的伝統を継承して、社会的諸関係の計画的設計へ進むことを迫られているのである。(p293〜294)

この公共圏内で、さまざまな組織は国家との間に、そしてまた相互間で、公共性をできるだけ排除して、政治的妥協を追求するのであるが、同時に示威的もしくは操作的な広報活動を展開して、従属化された公衆の庶民的同意を確保せざるをえない。ところが、原理としての公共性を無力化するこの事実上の動向に対して、基本権の福祉国家的機能変化が、一般にいえば、自由主義法治国家から社会福祉法治国家への転換が、拮抗している。(p301)

市民的公共性に内在する「政治権力の合理化」という理念を無効にしてしまう資本主義の過酷な現実に抗して、また「広報活動」という仕方で行われる庶民たちの政治的無力化への策動に対抗して、万人に政治的な公共性への積極的な参加を保証する制度的な方途は、福祉国家という姿をとらざるを得ないだろうと、ハーバーマスは考えた。
いわゆる「壁崩壊」の直後にあたる1990年に書かれた、新版への序言の中では、ハーバーマスは、このような当時の観測に、いくらかの修正を加えているようである。
だが、福祉国家の破壊が、「政治的な公共性」の完全なる解体を目論む勢力によって遂行されたという、後年の経緯は、この初版執筆時のハーバーマスの見方の正しさを証明していると思えるのである。