『講座 現代反体制運動史』

ここ二年ほどかけて、韓国の運動家の友人などと一緒に行ってきた『講座 現代反体制運動史』(青木書店)の私的な読書会が、今日、ようやく終わった。


運動史に詳しい方ならご存じだろうが、3巻組のこの本は、明治維新から60年安保までの日本の社会運動の歴史を振り返ったもので、出版されたのは、60年安保闘争終結直後である。
その最後の「総括」の章は、「歴史変革の遺産と課題」と題され、60年安保闘争を、戦後のみならず、明治維新以降の日本の「人民闘争」のすべての遺産と成果の集約点と捉え、とくにインテリや組織労働者だけでなく、広く一般大衆までが大規模な行動に立ち上がった動きとして肯定的に高く評価しているのだが、同時に、その限界を次のように指摘している。

戦後一〇有余年の運動の全エネルギーをこの一点にぎょう集したかのように、数百万大衆が明確な意識と目的をもって立ちあがりながら、その闘争が結局「政府の危機」をもたらしただけで政治的危機・革命的危機・「体制の危機」にまで発展し転化させていくことができなかったのは、なぜであろうか。(p320)

その理由の一つとして、『運動の歴史的性格が「民主主義の擁護」と「議会主義の回復」という一定の限界内のものであった』ことがあげられ、こうした「体制内」的性格の運動が真に反体制的な運動へと転換していくためには、経済状況の悪化などの危機的な状況が要請されるのに、当時は好況が続いていたということが指摘される。
これは、その後の日本社会において、高度成長とともに、社会運動の性格が体制批判的なものにつながる可能性を(マクロ的に見る限りは)急速に失っていったことと考え合わせると、うなづける分析だと思った。
また、一方で、60年安保の目立った特徴として、社会党・総評・共産党などの指導勢力が、急速に膨張した大衆の動きに対応できず、すっかり埋没してしまい、しばしば実力行使的な運動に対して抑圧的な態度をとるばかりだったこと(それはこの時期に始まったものでもないが)が、大きな問題点として指摘され、次のように書かれている。

ふるい政治的指導の方式も統一戦線の公式的原理も、今日のあたらしい大衆主体の現実のまえには、もはや役にたたない。(p321)

そして、たとえば、「ちがった多様な行動を統一する問題」が、「行動の画一性の要求」ととりちがられてしまうところに、硬直した指導勢力の欠陥を指摘しているところなどは、今の視点から見ても、なかなか先見の明にとんでいたのではないかと思う。


そして、最後のところで下のように書かれているのは、そもそも「国民運動」という枠組みがどうなのかとか、「先進分子」が大衆を「指導」するという発想の問題性とか、異論は多々あるけれども、それは別にして、大枠としては今にも通じる、まっとうな考えが述べられていると思う。

平和運動から新安保体制撤廃闘争にいたるすべての国民運動が、歴史的には「体制内」的運動のそれにとどまるのである。かくて労働者階級を先頭とする先進分子にとっては、これらの国民的諸運動のなかで、いかに体制変革の意思を結集し、組織化し、これを運動にまでたかめていくかという根本任務が課せられている。(P323)

反体制こそ、運動だ。