『戦争は女の顔をしていない』

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)


旧ソ連では、ナチスドイツによる侵攻に際して、きわめて多くの女性たちが兵士として、それも狙撃兵や戦闘機のパイロットといった役割の人たちを含めて従軍し、男性に劣らぬ戦績をあげた者も少なくなかった。この背景には、思想的な「男女平等」ということだけでなく、(自生的あるいは教育された)祖国愛や、侵攻によって多数の男性兵員たちが初期に殺されてしまったこと(そうなった理由の一つは、粛清などスターリンの失策にあったことも確かなのだが)など、複雑な事情があったようだ。
ところが、戦後になると、彼女たちの「活躍」は、国家と社会(とりわけ男性たち)によって否認され、あるいは(同性からも)偏見と揶揄の対象となり、孤独と沈黙の人生を余儀なくなされるようになってしまう。
著者のアレクシェービッチは、1970年代から80年代にかけて、この数知れぬ「忘れられた女性たち」の体験と思いを取材して国中を歩いた。
この本は、そのインタビューの記録である。


戦後の1948年生まれである著者は、序章のなかで、次のように思いを書いている。

田舎の男の子たちは戦後何年たっても「ドイツ軍」と「ソ連軍」ごっこを続けていた。「両手を上げろ!」「後方へ」「ヒットラー、おだぶつ」とドイツ語の言葉を叫び交わしていた。
子供だったわたしたちは戦争のない世界を知らなかった。戦争の世界、それが唯一わたしたちが知っている世界だった。戦時の人々しか知らなかった。今でも、そうでない世界、そうでない人々を知らない。戦争のない世界というのがかつてあっただろうか?戦時下の人々ではない人々がいたことがあるだろうか?(p2〜3)

僕はこれを読んだとき、「戦後」についてのこうした感覚を持っていたのは、日本では地上戦を経験した沖縄の人たちぐらいではないかと思った。
第二次大戦でとてつもない人的被害を被ったソ連では、親族に戦争の犠牲者がいなかった人たちは、ほとんどいなかっただろうし、それどころか家族が全滅したケースも珍しくなかったはずである。
そこには、戦争の結果としての勝利や敗北ということとは、異質な何かがある。
これは、同じ著者の『ボタン穴から見た戦争』を読んだときにも強く思ったことだが、戦争体験と一口に言っても、「侵略された戦争」と「侵略した戦争」とでは、その中身に大きな違いがある。そのことに対する認識は、とくに僕たち日本人に欠けているものではないだろうか。
ある証言者は、こう語っている。

歴史はまだまだ何百年もかけて、これはどういうことだったのか解明しなければなりません。こういうことをした人たちがどういう人だったのか?想像できます?身重の女が地雷を運ぶ・・・赤ん坊がもうできていたんですよ・・・。愛していた、生きていたかった。もちろん怖がっていました。それでも運んでいた・・・。スターリンのために行ったのではありません。私たちの子供たちのためです。子供たちの未来のためなんです。跪いて生きていたくなかったんです。敵に服従したくなかった・・・・もしかすると私たちは、盲目になっていたのかもしれません。多くのことを知らず、理解していなかったことは否定しません。でも、盲目でそのうえ汚れていなかった。あたしたちは二つの部分からできている、二つの現実で生きていた。このことを分かってほしいわ・・・(p104〜105)

これが、「侵略された戦争」を生きた人たちの思いであり、今なお「侵略した」側の国民としての植民地主義的な思考様式とメンタリティから脱却できないままに生きている私たち(ヤマトの)日本人にとっては、もっとも近づきがたい心情だといえる。
もちろん、戦争体験を「侵略された戦争」と「侵略した戦争」とにすっぱり二分することなど不可能だろう。それは分かっている(たとえば、同じ日本の戦争体験といっても、沖縄戦の体験は沖縄の人々にとっては「侵略された戦争」の要素が強いと思う。ヤマトとアメリカ合衆国による、二重の侵略・支配の経験だ)。
だが、侵略した側である自分たちと、侵略された側である他人たちとの、この違いをどこかで踏まえておかなければ、僕たちは「侵略した側」という国家的な枠組みのなかに自分たちを閉じ込めたまま、戦争体験をほんとうに自分のものとして獲得し、真の普遍性へとつなげていくことが出来ないのではないかと思う。
「侵略された戦争」という他者の体験の固有性に目を閉ざして、「戦争はつねに同じように残酷だ」という普遍性を装った実質的には自己中心的・ナショナリズム的な平和主義の主張を語るだけでは、「侵略した側」の国民である僕たちは、(朝鮮半島を含む)アジア諸国や沖縄の人たちが味わった「戦争」の苦難と、それが示唆している生の普遍性の領域というものを、想像することさえ出来ないだろう。
この本が、そしてアレクシェービッチの書くものがいつも僕たちの心を打つのは、彼女がそうした他者の体験の、犯しがたい固有性というものについて、きわめて鋭敏だからだ。


たとえば、こういう証言をアレクシェービッチは記録している。

パラシュートを付けて、任務を待っている時。男たちはタバコを吸ったり、ドミノゲームに興じている。私たち女性は、出撃の合図があるまで、ハンカチに刺繍をしているの。私たちは女のままだった。爆撃手の女の人が家に手紙を送る写真を撮ることになって、みんなでプラトークを探してきて肩章が見えないように結んでやりました。軍服は毛布で隠して。ワンピースを着ているようだった・・・そうやって写真を撮ったの。この写真が彼女は大好きだったわ・・・(p424)

本書の中ほどで、アレクシェービッチはこう述懐している。

彼女たちは喜んでこういう娘らしい工夫や、小さな内緒事、表立っては見えないちょっとしたことについて生き生きと話してくれた。戦時の「男向きの」日常で、「男がやること」である戦争のただ中でも自分らしさを残しておきたかったことを。(中略)その日常と女性であるという存在が切れ目なくぴったり身を寄せ合っていて、女性であった時間の流れが意味を持っていた。戦争を思い出す時も、何かそこに出来事があったというよりは、人生の流れなかのひとつの時期のように思い出す。いくどとなく気づいたのだが、彼女たちと話していると、小さなことが大きなことに勝っていて、時にそれは歴史全体より勝ることもあった。(p284)

上記の証言においてアレクシェービッチが注視しているものが、たんに社会のなかで定められた「女性らしさ」ということではなく、あらゆる人間が破壊されずに保持しているべき生活の質のようなものであることが、ここから分かると思う。
暴力や抑圧に抗して、その人がその人として、人間らしく人生を生きることを保障するもの、その意味での「文化」こそが、アレクシェービッチの言う「歴史全体より勝る」「小さなこと」の別の呼び名ではないだろうか?
戦争の現場において、男性は容易にそれを手放し、国家と戦争の論理に帰順してしまうが、女性たちはそうではなかったのだ。
この本でしばしば語られる戦場の実態は、そうした「文化」の剥奪の極北において実現される世界がどのようなものかを示しているように思える。

戦地では半分人間、半分獣という感じ。そう・・・ほかに生き延びる道はなかったわ。もし、人間の部分しかなかったら、生き延びられなかった。首をひねられちゃう。戦争では思い出さなければならなかった。何か・・・人間がまだ人間になりきるより前にあった何かを・・・。(p98)

それに・・何と言ったらいいの?私はうまく言い表せない・・・。とにかく、一言で言ってこんな男たちを見たことはありませんでした。家ではそんなのを見たことがありません。女たちも子供たちも。とにかく恐ろしいことになるんです・・・。(p126)


そして実は、女性たちが戦争においてさえ、「自分らしさ」(「文化」)を手放そうとしなかったということが、「平和」な日常の秩序が回復された戦後の社会において、彼女たちの戦時における「活躍」の記憶が抹殺されてしまったことの本当の理由ではないだろうか。

でも女たちに向けられる眼は全く違っていた。私たちの勝利は取り上げられてしまったの。<普通の女性の幸せ>とかいうものにこっそりすり替えられてしまった。男たちは勝利を分かち合ってくれなかった。(p182〜183)

戦地にいたことのある娘たちは大変だったよ。戦後はまた別の戦いがあった。それも恐ろしい戦いだった。男たちは私たちを置き去りにした。かばってくれなかった。戦地では違ってた。(p478)

結局、戦時においても平時においても、男たちにとって邪魔なのは、秩序や集団が要請する役割に収まらない「自分らしさ」を、頑強に手放そうとしないような存在、つまりは「普通」でない生身の女性というものなのだろう。
戦地では男たちは女たちを同志として扱ったというのは、それがその時の戦場の論理にかなっていたからだと思える。そこでは上記のような意味での「女らしさ」を手放さない女性たちの振る舞いの方が、かえって男たちには扱いにくい頑強さに映る。だが、戦争が終わって、平時という別の秩序が戻ってくると、規範としての「普通の」「女らしさ」というものが復権し、それにそぐわない女性兵士たちの存在と体験は、社会的な禁忌のようにされてしまう。
一言で言うなら、男性は(そして国家は)、役割や秩序に拘束されない生身の人間を何よりも恐れるのだ。
それは、戦争の暴力や抑圧の体験を自分自身のものとして保持し、それに向き合い、さらには語り継いでいこうとする、そうした人々の存在ほど、彼らの自己意識を揺るがすものはないからだ。
暴力と抑圧の構造を温存し続けようとする者にとって、秩序を逸脱するような「自分らしさ」にこだわり続ける生身の人間(被抑圧者)ほど不安にさせる存在はない。


作家アレクシェービッチが記録しようとするのは、そうした生身の人間、侵略された国の民衆として、また女性としての生身の個々人が語る、戦争と戦後の現実であり、それについての心情である。
彼女のこの営みに対して、ソ連の検閲官は、次のように述べたという。

「たしかに我々が勝利するのは並大抵のことではなかった。しかし、その中でも英雄的な手本を探そうとするべきだ。そういうものは何百とある。ところがあなたは戦争の汚さばかりを見せようとしている。何をねらっているんです?真実が現実にあるものだと思ってるんですか?街に転がっているものだと?俗世のものだと?そんなものではない。真実というのは我々が憧れているものだ。こうでありたいと願うものなのだ」(p28〜29)

国家と男たちが願う公的な「真実」に抗して、アレクシェービッチは、「汚さ」とか「俗世のもの」とか呼ばれる、生身の人間が語る歴史の「現実」についての証言を聞き届けようとし続ける。
他の女性たちのほとんどと同じく不遇の半生を生きた或る証言者は、彼女にこう言ったという。

あたしたちのことは書かなくてもいいよ・・・憶えていてくれたらそのほうがいいよ・・・こうやってあんたと話をしたってこと。いっしょに涙を流したってこと。あたしたちと別れていく時にゃ、振り返ってあたしたちを、あたしたちの小屋を見ておくれ。他人行儀に一度だけじゃなくて、身内がやるように二回だよ。それだけで、他には何もいらないよ、ただ振り返ってくれりゃあ・・・(p399)