『流言蜚語』

流言蜚語 (ちくま学芸文庫)

流言蜚語 (ちくま学芸文庫)


今日が関東大震災の起きた9月1日だというのは、書きはじめてから気がついた偶然なのだが、清水幾太郎の『流言蜚語』という本について、少しだけ書いておきたい。


この本が、ちくま学芸文庫から出たのは、東日本大震災直後の2011年6月であって、僕もその直後に読んで、このブログに感想を書いた気でいたのだが、いくら検索しても出てこないので、きっとアップしてなかったのだろう。
表題作の「流言蜚語」については、粉川哲夫氏による鋭い批判の文章がネットで読めるので、それを参照していただきたい。
「流言蜚語」考
http://cinemanote.jp/books/medianorogoku/m-005.html
この文章は、おそらく1970年代末頃に書かれたものだと思うが、清水に対する批判というよりも、社会学という学問(特に日本における)総体に対する批判ともいえそうで、今読んでもたいへん刺激的だ。
特に最後の一行などは、世界と日本の現状を捉えるのに示唆的だと思うが、どうだろう。


さて、この『流言蜚語』の後半には、関東大震災をめぐる文章が集められている。
その中心となっているのは、家族と食事している最中に被災して九死に一生を得た清水の体験をつづった「大震災は私を変えた」という文章である。
それを含めて、この本に収められている清水の体験談は、知識人によって書かれた大震災の被災の記録の中でも出色のものだと思うので、まだ読んでおられない方には一読をお勧めする。
しかしここでは、そのなかから特に以下のくだりだけを書き写しておく。

夜、芝生や馬小屋に寝ていると、大勢の兵隊が隊伍を組んで帰って来ます。尋ねてみると、東京の焼跡から帰って来た、と言います。私が驚いたのは、洗面所のようなところで、その兵隊たちが銃剣の血を洗っていることです。誰を殺したのか、と聞いてみると、得意気に、朝鮮人さ、と言います。私は腰が抜けるほど驚きました。朝鮮人騒ぎは噂に聞いていましたが、兵隊が大威張りで朝鮮人を殺すとは夢にも思っていませんでした。なぜか、私には朝鮮人の友だちが多く、あの一学期足らずしか在学しなかった神田の商業学校でも、一番親しくつきあったのは、二人の朝鮮人でした。朝鮮人がいかに血迷ったにしても、軍隊の出動を必要とするような事態は想像出来ないことです。軍隊とは、一体、何をするものなのか。何のために存在するのか。そういう疑問の前に立たされた私は、今度は、大杉栄一家が甘粕という軍人の手で殺されたことを知りました。前に述べた通り、私は、判らないながら、大杉栄の著作を読んでいたのです。著書の全部は理解出来ませんでしたが、彼が深く人間を愛し正義を貴んでいたことは知っていました。人間を愛し、正義を貴ぶ。細かいことが判らなくても、私には、それだけでよかったのです。それが大切だったのです。その大杉栄が、妻子と共に殺されたのです。殺したのが軍人なのです。軍隊なのです。日本の軍隊は私の先生を殺したのです。軍隊とは何であるか。それは、私の先生を殺すものである。それは、私の先生を殺すために存在する。いや、もし私が勉強して先生のようになったら、軍隊は私も殺すであろう。軍隊は、私を殺すために存在する。今日の若い人たちなら、軍隊の持つこうした意味に何もビックリしないでしょう。しかし、戦前の教育を受けていた私にとって、このことは、一生に一度か二度しか遭遇しないような事件でした。特に、私の場合、父が一兵卒として日露戦争に出征していたこともあり、また、小学校の六年生の時、学校の遠足で、麻布の三連隊へ見学に連れて行かれ、そこで高橋准尉という人と知り合いになり、小学校を卒業した後も、三連隊へ遊びに行って、池でオタマジャクシを捕ったりしたこともあって、軍隊というものに暢気な親しみを感じていただけに、ショックは言いようもなく大きかったのです。私は、大地震に打ちのめされた生活の底で、今、日本の社会の秘密を一つ掴んだのです。(p282〜283)