『ビヒモス』その二

ビヒモス―ナチズムの構造と実際 (1963年)

ビヒモス―ナチズムの構造と実際 (1963年)



序論に続く第一編では、政治形態・政治イデオロギーとしてのナチズムが分析される。
ナチズムや(イタリアの)ファシズムは、まったく機会主義的なデマゴーグの塊りで、確たるイデオロギーなどというものはないということが、一つの定説になっていると思うが、著者のノイマンは、それを認めた上で、実際にナチスの言説や政策には、どのような傾向が見られるのかを、詳細に分析していく。
そこで浮かび上がってくる重要なことは、ナチスのエリート主義という特徴である。
それはまず、政治運動の主体である「党」を、国家とその装置である官僚機構とに対して優位に置く発想の中に見出せる。
ヒトラーは、「国家は、人種的民族(レイシャル・ピープル)の従僕である」と明言し、人種的民族という生物学的な主体を、国家よりも上位に置く考え方を示した。ナチスイデオロギーにおいては、国家は従属的な意義しか持たないのである。
そして、この人種的民族の運動を担っているものこそ、ナチス党であり、それを指導するエリート集団(SSに代表される)である。彼らが体現している、「民族の維持」、その優秀性の保持と発展という目的のためにのみ、国家という手段は意味を持つ。
これはニーチェの思想を思わせるような、いわゆる人種的エリート教説であり、党の国家に対する優位、少なくともその独立性の強調である。


こうした教説は、ムッソリーニのイタリア・ファシズムと対比すると、非常に特質がはっきりするという。
ムッソリーニは、政権獲得までは無政府主義的なアジテーションを繰り返したが、権力を握ると180度立場を変更し(この男の得意技だが)、国家の絶対性を称揚するようになった。
ノイマンは、その理由を、イタリアでは国の歴史が始まって以来、ずっと国家が弱体であったことに見出している。統一国家という形をなかなかとれず、20世紀に入っても、左右の社会運動の高揚のなかで内乱のような情勢が続いたイタリア。そのなかで権力を握ったムッソリーニも、政権をとることになると、官僚制度を始めとした国家機構を重視するイデオロギーを普及させることで、社会の安定を図る道をとらざるをえなかった、ということだ。
それに対してドイツでは、帝国時代以後、常に強大な官僚機構(軍を含む)が存在してきた。ヒトラーは、党の国家(官僚機構)に対する優位を明言することで、彼を支持し続けてきた党員たちの気持を満足させる必要があったのだ。
運動主体としての党と、国家の官僚機構や国家主義との関係は、実際には複雑なのだが、ノイマンは以上のことから、ナチスイデオロギーが、ヘーゲル的な国家主義の思想の延長上にあるものではないことを強調している。
ノイマンは、国家の官僚制というものを、合理主義の立場から、肯定的に評価しているのだ。

官僚制の合理的な実際行動は、これまで指摘してきた諸理由によって、国民社会主義とは矛盾するように思われる。したがって、国家至上の否定は、軍や官吏に対する党の背信を隠蔽することを意図したイデオロギー的謀略以上のものである。すなわち、国家至上の否定とは、実は、合理的な法律支配をなきものにしようとする、この体制の要求の本心のあらわれなのである。(p73)


ヘーゲル思想や官僚制、国家主義、それに合理主義といったものをどう捉えるかは意見が分かれるだろうが、ナチスの「要求の本心」を、「合理的な法律支配をなきものにしよう」とすることに見出すというのは、説得力のある論だろう。




「党の優位」のイデオロギー上の根拠というべき、人種的エリート教説に関して言うと、ノイマンが、次のような指摘をしていることは、特に注目される。

その政策(ナチスの人口政策)は、国民社会主義の指導者によって発せられた二つの命令を中心としている。すなわち、既婚、未婚をとわずドイツの婦人に対して発せられた子供を産むべしとの命令、S・S隊員に対して発せられた生存に適していないものは殺すべしとの命令、がこれである。可能なかぎりたくさんの子供を産め、そして地球を主人たる人種が支配できるようにせよ。主人たちに病弱者の世話の負担がかからぬように、不健康な者は殺せ。(中略)無力無能な者たちを絶滅することこそが国民社会主義の特技なのである。(p102)


ノイマンは、ナチスによるユダヤ人排除(最終的には絶滅政策へと至る)を、こうした人種差別主義的な「血の純化」の思想とあいまった、極端な優生思想の中に位置づけて捉える視点を示しているわけで(もちろん、それ以外にも政治的・経済的などの目的が考えられているが)、これは現在の社会から見ても、非常に示唆するところの多い卓見といえると思う。
ちなみに、経済的目的としてあげられているのは、ナチスの産業界での支持基盤は大企業だったが、ユダヤ人の経営層は、当時のドイツでは中小企業家に集中していたので、彼らの資産を奪い取ってドイツ人、とりわけ大企業家の手に引き渡すことにより、(中産階級の不満をそらすと同時に)戦時体制に有利な資本の集積と独占が促進された、というような分析である。

アーリアン化は「生産的」資本の犠牲において「略奪的」資本の力を強めた。(p106)


くり返しになるが、ノイマンは、ドイツ民族は、すべての民族のなかで反セム族主義がもっとも希薄な民族だということを書いており(その反面、ドイツの歴史は絶えざる「ユダヤ人いじめ」の歴史だったことも認めているのだが)、ナチスによるユダヤ人迫害は、政治的・経済的・イデオロギー的などの理由で、意図的・社会的に構成されたものであるという見解をとっている。
だがナチスの政権下では、それはあらゆる合理性や戦略性からも逸脱して、「最終解決」へと至る狂気の道に突き進んでいった。
その恐るべき政治の根幹にあったものは、「血の純化」と、極端な優生主義的思想であったと言えようが、そうした政治に支配された社会を他者の目で見るなら、死と破壊の情熱にとりつかれた人々の群れ、としか呼びようがないのではなかろうか。


(次回へ続く)