蔑まれし者、汝の名は

連日深刻な状態が報じられるリビア情勢だが、情報が断片的なため、背景や全体像が把握しづらい。
ただ、多くの犠牲者が出ていることが報じられ、指導者のカダフィ大佐(?)による衝撃的な演説の内容が話題になっている。
http://togetter.com/li/104442


23日には東京でも在日リビア人の人たちによる、政権と虐殺への抗議デモが行われたはずであり、駆けつけた人もあるだろう。
政府や軍による流血の暴力が一刻も早く停止され、民衆の望む体制と社会が実現してほしいと思う。


しかし、同時にぼくが思うことは、これまでリビアという特異な国家や、カダフィが(虚言であったにせよ)標榜してきた(「反米」などの)言葉が、われわれに対して持った意味というもの、それを「独裁」や「虐殺」という事柄への反対のなかで、いっしょに棄て去ってしまってはならない、ということである。
ぼくたちは、目の前の弾圧や虐殺を止めることの「緊急性」や、独裁を否定して民主化を実現することの「正当性」を、中東にリビアという国が存在してきたことのぼくたちにとっての意味を手放すための、アリバイのようにしてはいけない。
そうすることは、ぼくたちが加担して中東に加えられ続けてきた(今も加えられている)巨大な支配と搾取と暴力の仕組みに、ぼくたちがすっかり同一化してしまうことであり、中東の人々に、相変わらずこの巨大な暴力の仕組みのなかでの生を強いることを意味するからだ。


忘れてはならないことは、われわれが作り出し支えている、われわれの社会の巨大な暴力の構造から、中東の人々を本当に解放するための具体的な方策(たんなるプランではなく)を、われわれはまだまったく示しえていないということである。
その主たる理由は、たんに知識や技術が不足しているということではない。そうではなく、われわれがわれわれ自身の国家や経済システムを、非暴力的な方向に向けられずにいるということ、その明確な意志さえ示せずにいるということなのだ。
この支配的な暴力の装置を温存させたままで、つまり戦争などの暴力と、経済的搾取の頚木を中東の人々の体に押し付けたままで、われわれは「民主化」というようなスローガンのもとに、人々を「救い出そう」としていることになる。
この矛盾に苦しみながらも、それでも目の前にある悲惨を救うために、出来ることをしている人たちを、ぼくは尊敬する。
だが最悪なのは、この矛盾に目をつむりながら「救済」を唱えることで、自分たちが日々振るっている根本的な暴力を否認し、自分たちの社会と体制を無前提に正義で非暴力的なものと考え、理解しがたい悪を断罪したり、「善良な」民衆を善き道に導く資格が自分たちにあると思い込もうとする場合である。
そうすることで、国家や資本による構造的な暴力への(私たちの)一体化はスムースに遂行され、私たちは心置きなく、搾取と差別の上に立ったこの日常の「安定」や「繁栄」の享受のために働くことが出来るようになる。中東の人たちの必死の行動は、そのための「犠牲」として捧げられるのである。


無論、実際に中東の人たちの解放のために尽力し、たとえば23日のデモに駆けつけたり、強い関心を持ったりした人たちは、もちろん、この巨大な暴力の仕組みこそを問題にしており、そのなかで虐殺と(独裁による)圧迫の廃絶のために戦っているのだろうと思う。
だが、ぼく自身の場合を言うと、カダフィによる独裁的な体制(公式には直接民主主義と言ってきたのだが)の瓦解を眺める自分の眼差しのなかに、どこかシニカルな、自嘲的な気分を見出すのである。
それは、かりにも(虚言であっても)「反米」や「独立」を叫んで活躍した男の姿と、彼に率いられた(支配された?)人々の国の存在とに、自分が感じていた共感や希望のようなものが無残に失墜していくのを眺める、自嘲の眼差しだ。
こうした失墜を受け入れ、「独裁者」の蛮行を冷ややかに眺めて(怒りを込めてではなく)揶揄したり批判する位置に自分を置くことは、非常に楽な気分を得ることだ。ぼくは第三者として、自分がリビアカダフィに何の思い入れをしたこともなかったかのように、その失墜の様子を、他人事のように冷ややかに眺める。そこには、虚ろな安楽さがある。
だが、そのときぼくは、自分が、この「独裁者」ばかりでなく、自分の中にあったあの共感や希望をも、いや、共感や希望を抱いていた自分自身をも、否定し、まるで存在しなかったもののように見棄てて、嘲笑っているのを自覚するのである。
この自嘲の笑いこそ、私を巨大な暴力の装置に完全に同化させるものであり、私の真の敵だ。







カダフィに率いられたリビアという国の存在が、ぼくたちにとって持った「意味」を棄て去るな、とぼくは書いた。
その「意味」とは、こういうことである。
中東に大きな抑圧と搾取を加え、それと引き換えに巨大な富や力を得てきたのは、われわれのこの社会だ。
その結果として、中東の現在はあり、リビアの現状もある。
だから、この国の存在と現状がわれわれに突きつけてくるものは、われわれの社会の暴力性に他ならないと言えるが、そればかりではない。


ぼくは、リビアという国の存在(それは幻影だったかもしれないが)への共感を通して、自分が自分たちの社会のこの巨大な暴力装置から身を引き離して生きる可能性を垣間見たのだ。
そこに生きる人たちは、そしてその人たちに対するぼくの共感は、自分がこの暴力装置とそれを土台とした日常の外側で、自分たちによって搾取されてきた人々と、共に生きうることへの希望だった。
つまり、国際社会におけるリビアという国の存在がぼくに提示していたものは、ぼく自身の解放の希望であり、ぼく自身が「抑圧された者の生」(それこそが現実的な何かだ)を回復することが出来るかもしれないという期待である。


だから、その希望の像が失われたように感じ、正体をあらわにしたと思われる「独裁者」といっしょに、希望を抱きうる自分自身をまで棄て去って嘲笑おうとするとき、ぼくが唾を吐きかけているのは、その脱暴力的な生への希望を抱いた自分自身であり、民衆(抑圧される側の者)である自分の肉体だ。
民衆とは、その「希望」の故に嘲笑われ、蔑まれる者の別名ではないか?
蔑まれるということは、彼らが持つ「希望」の危険さの証しである。蔑み、遠ざけたい対象を、嘲笑によって侮蔑のなかに置こうとするとき、ぼくらは自分の中の民衆から離れ、自分の真の肉体を失っていく。
ぼくが、「カダフィリビア」に共感していた自分自身を、まるで存在しなかったもののように棄て去り嘲笑するとき、否認できない疚しさを覚えるのは、自分が「侮蔑する者=抑圧者」の側に完全に立とうと欲していることを直感するからだろう。
「侮蔑される者」である自分を見棄て、忘れ去ることによって、ぼくは日常の暴力装置に同化していくのである。


リビアという国の存在が、ぼくたちに投げかけていた意味とは、そうした「希望」だった。
それが実像だったのか、虚像だったのか、それは分からないし、いずれにせよ本当に大事なのは、そのことではない。
大事なのは、私たちが、そこに自分にとっての何を見たか、という一事である。
繰り返せば、そこにぼくが見たのは、自分を自分の社会の巨大な暴力装置から引き離して生きることの可能性、抑圧された人々と同じ大地の上に生きるということへの希望だった。つまり、ぼく自身の「解放」への希望である。


ぼくたちが、決して手放してはならないもの、それはこの非暴力と解放の生への、希望であると思う。
あらゆる形で訪れる、侮蔑と自嘲への欲求に抗して、ぼくたちはこの「希望」の力を肯定し、その栄光を奪還してやらなくてはならない。
支配的な暴力に抗い、それを打ち壊し、人と人を隔てる不当な仕組みを打ち壊すという、かつて「カダフィリビア」のなかにぼくたちが見ていた、そして今や地に落ちた権威を、ぼくたちこそが拾い上げ、真実のものとして回復せねばならないのだ。
ぼくたちの社会を現におおっている巨大な暴力への加担を拒み、その暴力を解体することを通してしか、どんな連帯も共生(民衆的な生)も可能ではないのだから。