サルトル『文学とは何か』抜書き

サルトル全集 第9巻 ― 文学とは何か, シチュアシオン

サルトル全集 第9巻 ― 文学とは何か, シチュアシオン


昭和39年に出た新訳版から。
たまたま今日読んだところから抜書き。この部分の訳者は白井健三郎。

突如として、世界の大平和の最初の年月を、両大戦間の最後の年月のごとくこれに直面しなければならなかった。われわれがその通過するのを会釈して迎えたいかなる見込みにも、脅威を見なければならなかったし、われわれが生きた一日一日が、その本当の顔をむきだしにした。われわれは、なんらの不信も抱かずその一日一日に身を委せていたのであった。そしてその一日一日は、目に見えない急速さと、無頓着な身ぶりの裏に匿された厳しさとを以て、われわれを新しい戦争の方へと向かわせていた。そして、われわれ自身の努力、われわれ自身の長所や欠点、われわれ自身の運や不運、ごく少数の人々の善い意志や悪い意志に依存していると思われたわれわれの個人生活が、その最も小さな細部までも、うす暗い集合的な力によって支配され、その最も私的な環境さえも世界全体の状態を反映するもののように思われた。こんどこそわれわれは、突然状況に置かれていたのを感じた。(p142〜143)

しかし、私は信ずるのだが、われわれの立場の独自性をなすものとは、戦争と占領とが、熔解した世界のなかにわれわれを投げこんで、相対性そのもののさなかで絶対を再発見することを、力ずくでわれわれになさしめたということである。われわれの先駆者にとっては、賭の規則は世界の人々を救うことにあった。なぜなら苦痛はあがなわれるものであるからであり、いかなるものも自分から進んで悪性なのではないからであり、人間の心の底をさぐることはできないことだからであり、神の恵みは等しく【わか】ち与えられているからである。(中略)デモクラシーは、あらゆる意見を、明らかにデモクラシーの破壊を狙う意見でさえも、寛容にあつかうが故に、学校で教えられる共和国的ヒューマニズムは、寛容さをその第一の美徳としていた。すべてが、不寛容さえもが、寛容にされた。最も愚劣な考えのうちにさえ、最も卑劣な感情のうちにさえ、かくされた真実を認めなければならなかった。(中略)悪の観念は、見捨てられたまま、なんらかのマニ教主義者――ユダヤ人排斥者、ファシスト、右翼無政府主義者――の手に落ちてしまっていたのだった。これらの連中は、彼らの怨恨や羨望、歴史を理解する力の欠如を正当化するために、この観念を利用した。これだけでこの観念を信用しないのに十分だった。政治的現実主義にとっては、哲学的観念論にとってと同様、悪は、重大なものではなかったのである。(p145〜146 【】内は漢字)

われわれは、悪を重大なものとみなすべく教えられたのだ。それは、拷問が日常の事実であった時代にわれわれが生きたとしても、われわれの落度でも手柄でもない。シャトーブリアン、オラドール、ソーセ街、テュル、ダッハウ、アウスシュビッツ、すべてがわれわれに、悪は見かけのものではないことを、いろいろと原因を知ったにせよ悪を払いのけることはできないことを、錯雑な思想が判明な思想に対立するように悪が善に対立するものではないことを、悪は、癒されることができるような情熱や、うち克つことができるような恐怖や、言い訳できるような無知の結果ではないことを、陽の光の輝きになくてはならないとライプニッツが書いたような影のようには、悪は、けっして、理想主義的ヒューマニズムに転用され、取戻され、還元され、同化されることがありえないことを、証明した。悪魔は純粋であると、かつてマリタンは言った。純粋なということは、いいかえれば混じりけもなく弛みもないということだ。われわれは、この恐るべき、この還元されえない純粋さを知ることを学んだのだ。(中略)絶大な自由意志の結実である悪が、善のように絶対であることを、われわれは理解した。(p146〜147)

しかし他方で、打叩かれ、焼焦がされ、盲にされ、打砕かれても、抵抗者の大多数は口を割らなかった。彼らは悪の圏を破り人間的なものを再確認した、彼らのために、われわれのために、彼らの拷問者のためにさえ。彼らは、証人もなく、救いの手もなく、希望もなく、しばしば信仰さえもなく、そうしたのだった。彼らにとっては、人間を信ずることが問題であったのではなく、人間を信じようと欲することが問題だったのだ。(中略)彼らは口を割らないでいた、そして、彼らのこの沈黙から人間が生れたのだった。(p147)