京都の集会とデモ

直きを以って怨みに報い、徳を以って徳に報ゆ。(『論語』 憲問三六より)


3月28日に京都で行われた、以下の集会とデモに行ってきた。


『民族差別・外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつくりだそう 朝鮮学校への攻撃
をゆるさない!3・28集会』

http://www5d.biglobe.ne.jp/~mingakko/sasaerukai.htm


京都新聞に、その記事が載っていた。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100328000121&genre=C4&area=K00


記事のなかにもあるように、参加者は約900人との発表が主催者側からあった。
また、やはり記事に書いてあるとおり、デモ途中の何箇所かで、「在特会」との応酬、揉み合いのような場面があった。
ここでは、そのことを中心に感想を書くと思う。客観的な報告としては不十分なものであることを、あらかじめお断りしておく。


私は、この集会の行われることを前日まで知らなかったため、ブログ等でもお知らせすることが出来なかった。
まことに申し訳ない。
当日は、都合で京都に着くのが遅れ、デモ参加の直前になってようやく会場の円山公園にたどりついた。
すでに前田朗さんによる講演など、大半のプログラムは終わっていて、参加団体によるアピールのいくつかと集会宣言の採択だけに立ち会った。


さてデモは円山公園を出発して、河原町の交差点を経由し、京都市役所前で解散するというコースで行われた。
観光シーズンの休日の京都の町は、外国人を含めた大勢の観光客で混雑していて、そのなかを進む形になった。
最近経験したことがないほどのたくさんの機動隊員に挟まれながらのデモだったが、予想されたより参加人数が多かったからか、機動隊が右往左往していた様子が印象的だった。
そして沿道で、困惑したり面食らったり、冷ややかだったりする表情を浮かべている多くの人たちの緊張した様子とは対照的に、興味深そうにカメラを向けたり、デモの参加者がかけた言葉に笑顔で応じたりしている外国人観光客らしい人たちのリラックスした姿が、際立って見えた。
日本と欧米との、デモに対する認識・感覚の違いを、そこに見る思いだったのだ。


デモが最も緊張し、また白熱した感じになったのは、やはり河原町の交差点のところや、市役所の近くで、在特会と思われる人たちと遭遇した(向こうは待ち受けてたのだが)時だった。
正直なところ、お互いに一番自分たちの叫んでいる言葉に強い反応を返してくる相手とぶつかってるのだから、ヒートアップしない方がおかしい。
京都市内の最大の繁華街である河原町の交差点では、すでにこの場所で街宣を行っていたらしい在特会のメンバーと、機動隊に挟まれて通過していくデモ隊とが、警官と警察用車両の厚い壁で遠く隔てられて、お互いに激しく叫びあってるのだが、遠すぎてほとんど聞こえない。
それは何か、遠洋に出航していく客船の乗客と、埠頭で見送る人たちとが、離れていきながらお互いを呼び合ってる光景のようにも思え、鮮烈な印象を受けた。
交差点を渡りきった後、歩道と平行して歩くところでは、デモ隊と在特会とが接近し、警察を間にはさんでせめぎ合うような形になった。このとき、何か「トラブル」が起こったのかもしれないが、私にはよく分からなかった。
こうしたことは、市役所前でもあったようだが、ともかくデモの参加者が多かったことと、それ以上に警官(と警察用車両)の数が尋常でなかったため、遠くの方で何が起きてるのかは分からなかった*1


警察は、ここでなんらかのトラブルが起きてしまうことが、よほど嫌だったのだろう。数がやたらに多く、また緊張していたらしいだけではなく、韓国の「戦闘警察」のような黒っぽい服を着た部隊の姿も見られた。
もちろん警察は、われわれデモ隊を守ろうとしてたわけではないし、一般市民を「トラブル」から守ろうとしてたわけでもあるまい。警察が守るのは、基本的にはいつも秩序と体制だけである。そりゃそうだろう。国から給料貰ってるんだから。


また、これも会場に入ってから知ったのだが、同じ日、在特会はまた京都の朝鮮学校に押しかけると表明してたらしく、そちらにも警察が行ってるとのことだった。
それがどうなったか気になったのだが、その日は分からなかった。
今日ネットで見たら、こちらに情報が載っていた。
http://d.hatena.ne.jp/three_sparrows/20100328/p1

http://d.hatena.ne.jp/three_sparrows/20100329



わざわざこの日に、京都市内と朝鮮学校の二箇所で行動を行ったのは、こちらの数を分散させようという目論見があったのかもしれないが、結果は在特会の方が分散されただけで終わったみたいである。
そして、河原町の方で街宣を行ってた在特会の人は、女性が多かったように見えたが、これもイメージ戦略のようなものだろうか?


ここまで読んで、「なんだデモというより、在特会とのやりとりのことしか書いてないじゃないか」と思った人も居るだろうが、それはこの後書くことに関係しているからだ。




さて、このようにデモではたびたび在特会との応酬、せめぎ合いのようなことがあり、それはたびたび激しい怒号を含むものにもなった。
また、解散地の京都市役所前では、この人々に向かって「帰れコール」が起こったりもした。
きっと感受性の強い人は、これを間近で経験して(傍観者として見て、ということではない)、「相手と同じ言葉を使い、同じ感情をぶつけてしまってるではないか」と、嫌悪感や不信感、失望を覚えただろう。
だが、私はこうした対応は、人間の人間に対する応答のあり方として、正当なものだったと思う。


孔子は、怨みをぶつけてくる相手に対しては、徳をもって応えることは誠実ではなく、「直き」、つまり率直さを以って報いることこそが望ましいのだ、と言った。
在特会の人々が行っていることは、あからさまな差別と暴力の行使である。その行為は、被差別者にとっては、まったく直接的な暴力以外ではありえまいが、われわれマジョリティの市民にとっては(マジョリティ性を自分のなかに少しでも持つと考える者にとっては)、同様ではない。
それは、われわれを含む社会全体に対する「憎悪」(怨み)の表明なのであり、おそらくそのことの表現として、「弱者」に対する暴力が行使されているのである(この意味で、彼らの振るうまったく許しがたい非道な暴力の責任の一端は、まさしくわれわれにもある。憎悪の表現として弱者に暴力が差し向けられるような社会のあり方を許しているのは、私たちに他ならないからである。)。


彼ら排外主義者たちは、社会に向かって憎悪を投げつけているのであり、その表現(現実的な形態)として選ばれているのが、差別と弱者への攻撃ということである。
人を傷つけるその非道な行為によって、彼らは社会と私たちとに憎悪を差し向けている。
ここでは、私たちにとっては、憎悪は、この人々からの、ひとつの「呼びかけ」だともいえる。
この「憎悪」に正当な理由があるのかどうか、私には分からない。
だがそれは、たしかに私たちにこそ向けられている。そう感じる。


私たちがここでなすべきことは、この憎悪に向き合い、それに人間としての応答を返す、ということである。
それは、憎悪に対して「徳を以って報いる」という態度ではありえない。
この非道な暴力の行使に向かって、人間としての率直な「怒り」をぶつけていくこと、それだけが、人としてなすべき誠実な対応である。
それは、「怨み」の連鎖ではなく、「怒り」をもってこの連鎖を断ち切り、いわば人間的なものを、私たちの社会に取り戻そうとする、社会的な責任の遂行である。


「憎悪」はおそらく、それ自体としては、(「怒り」と同様に)まったく人間的な感情なのだ。
だが、それが国家権力の論理・枠組みに組み込まれるとき、たとえば「差別」とか「戦争」というような、非人間的な悪しき形態をとる。
われわれがなすべきことは、この差別と暴力の不正義に対する「怒り」の表明を通して、この(彼らの)「憎悪」を、人間同士の関わりの場へと、いわば国家から奪還することである。
そのようにして、国家や体制の論理に縛られない、人間同士の結び合い、ぶつかり合いの力を、社会のなかに実現することだけが、「他者が共に生きうる」寛容な社会の形成を可能にするだろう。
それは、ひとり「怨み」を抱き、国家の論理にとらわれた排外主義者たちを、この人間的な場のなかに引き戻すということだけではなくして、そのやりとりを通して、多くの冷笑的であったり戸惑ったり苛立ったりしている「傍観者」、一般市民たちを、その場のなかに引き入れる、ということでもある。
街頭での表現とは、まさにそのようなものとしてあるべきだろう。
そしてまた、それはその行動を通じて、いまだ半ばは、この「傍観者」的な位置に立って生きざるを得ない私たち(デモ参加者)自身をも、この人間的な場のなかへともろともに連れ去る行動であるべきなのだ。


だから、あの怒号やシュプレヒコールを通してこそ、人間的な社会や、真の「相互理解」や、また真の「寛容」の可能性も開かれるのだということを、手放しにというわけではないが、やはり確認しておくべきだと思うのである。




終わりに、以上のことに関連するが、集会のなかで違和感をもったことを、ひとつ書き記しておきたい。
それは、在特会のような排外主義者の暴力を「包囲」していこう、という表現が何度か聞かれたことである。
この表現は、排外主義を厳しく非難する態度を社会のなかに広げていくことで、その人々への「包囲」をなしていこう、という意味ならばよい。
また、そうでなくても、こういう表現を使いたい気持ちが分からないわけではない。
だが、その後に起こった「無償化」の問題を通じて明らかになったことは、政権はおろか市民社会の大半が、朝鮮学校への差別の継続や強化さえ支持しているという、過酷な現実である。
そうすると、いくら相手が排外主義者だからといって、この差別を支持している市民社会の大勢と一丸となって(そうでなければ包囲など出来ないだろう)、誰かを包囲するということが、果たして正当なことだろうか?
われわれは、この差別的な社会に対しては、あくまでそれを批判する側に立って、これを「変革」するか、もしくはこの状況を「突破」するというような意志を持つべきだと思う。
そして、在特会のような暴力と差別に対しては、これを「包囲」するのではなく、これと「対決」するのだという主体的な態度を明確にするべきだと思う。
第一、「包囲」といったのでは、主体が曖昧ではないか?
私たちは、一人の人間として、同じ人間が差し向けてくる憎悪と、同じ人間が行使する非道な暴力に向き合い、「対決」するのである。
その「対決」の向こう側にだけ、そしてそれを通してのみ、本当の人間同士の「相互理解」と「連帯」の可能性が、また国家や体制に縛られない(したがって反差別的な)社会の展望が開かれるはずである。

*1:実はこのとき、地下道を通ってこちらに突撃しようとして機動隊に阻止された在特会のメンバーが居たそうである。