『オルタ』新号の内容について

前々回に紹介した雑誌『オルタ』の最新号だが、今回はずっと担当してこられた編集者が、今号をもって退職するということがあり、また終了する連載記事がいくつもあって、ひとつの節目を迎えたような内容となっている。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20100120/p1


そのなかで、私がとくに強い印象を受けた記事は、ひとつには前回も紹介した特集冒頭の、的場昭弘丸川哲史両氏による対談である。
ここでは的場氏による現在の世界の資本主義の状況に対する分析がたいへん興味深く、それに引き付けられて一気に読んだような次第だが、ここではあらためて丸川氏による中国の歴史と現状に対する理解について書いておきたい。
丸川氏の発言から私が教えられたことは、改革開放以後の中国の政策と社会の変遷を、列強による支配に脅かされてきた中国という国の固有の歴史として見る視点の大切さである。
たとえば、

中国は早くから資本主義経済を導入して、その後の東アジア金融危機(九七年)の経験を含め、改革の進め方について大きな学習があったと思います。(中略)こうしたあり方は、「国家を超える資本」といった一般的な新自由主義と逆行するものですが、中国をソ連・東欧のように解体させたくないという強い意思が働いた結果なんだと思います。だから中国の問題を理解するためには、チベット問題にせよ言論の自由にせよ、中国社会に固有の背景や、列強が長期にわたり中国の主権を侵し経済建設を行ってきた歴史を踏まえないと、殆ど意味をなさないと思ってしまうんですね。(p11〜12)


ここから分かることは、ひとつには、中国の歴史を、孫文毛沢東の時代から現在まで、ひとつながりのものとして見る視点の重要さだろう。
このことは、ベンジャミン・ヤンの『トウ小平 政治的伝記』などを読んで頭では分かってるつもりだったが、今回の丸川氏の発言を読んで、あらためて実感したことだった。
それと共に、そのような固有歴史的な視点から見るとき、「市場化」や「グローバル経済への参入」といっても、一概に支配的な外部への屈服であるかのように見なすべきものではなく、その過程を通して自分の国の問題に取り組み解決していく、前向きな契機になることが可能な場合もある、ということを思った。
トウ小平以後の中国の経済改革はそのことを示しているだろうし、また先のヤンの著作に例をとれば、そこで印象的なのは、トウと金日成との強い友情を描いたくだりである。もし金日成が急死せず、この尊敬する盟友の政策にならって経済の開放を実現していれば、朝鮮の社会の状況は、それ以後の現実の歴史とはまったく違ったものになっただろう。
それは、アメリカなどの主導のもとによる「市場化」「経済の開放」と同じことではない(なかった)はずだ。
そういうことである。


しかし、現実には多くの国において(日本を含めて)進行しているのは、このアメリカを中心とする先進国の論理のもとにおける、強引な市場化、それとリンクした軍事力を伴う民主化の過程だろう。
今回のオルタの特集『1989 自由と民主化の神話』がテーマとしているのは、まさにこうした動きだといえようが、その意味で非常に強い示唆を受けたのは、谷山博史氏へのインタビュー記事『アフガニスタン ―なぜタリバーンが支持されるのか』だ。
ここで谷山氏は、アフガニスタンの人々が二十世紀から直面してきたグローバリゼーションの本質(ソ連による侵攻を含むだろう)を、「開発主義」、「植民地主義」として捉え、アフガンの人たちは、このような一元化した価値観の押し付けや覇権構造に徹底して抗う気骨を持った人々であることを強調する。
そして、現在のアフガンの情勢を、市場化と民営化という形で押し付けられるグローバルな価値観に対して人々が抵抗している状態としてとらえるのである。


氏は、冷戦後の世界の特徴を、政治による支配から、「グローバリゼーション」という国際スタンダードに名を借りた「経済による支配の構造」に変わってきた、と概括する。
それが市場化と民営化の動きであり、そのことへの反発がアフガンに見られるような人々の強い抵抗を惹起し、それを抑え込むために『軍事力によって経済のグローバリゼーションを下支えする構造』(「対テロ戦争」)が生まれた、とするのである。
このように説明されると、アフガンの人たちが置かれた現実が、われわれが職場や学校で日常的に直面している現実と、まったくひとつながりと言える部分を持っていることが、よく分かる。


この他にも、今回の号は、私たちが生きている日常を、世界の情勢のなかにあるものとして捉えるヒントになるような記事によって構成されていて、読み応えがある。
そして最後に、この雑誌には、ぼくも二度ほど書評のコーナーに記事を書かせていただき、貴重な経験をさせていただいた。
声をかけていただいた編集者の細野さんは、今回で退職されるのであるが、ここで心から感謝の気持ちを申し上げたい。
細野さん、どうもありがとうございました、そして本当にお疲れ様でした。