敵基地先制攻撃論とは

攻撃されるのが怖いから、外交(交渉)ではなく軍事力を、先制攻撃できる力を持とうという論理で推し進んでいる国は、いま日本の近隣にたしかに在るわけである。
少なくとも、ここ何年かについては、その国は、確実にそちらの方向に向かってまい進している。


今その国を見習って、同様の方向に国防政策を推し進めようという議論が力を強めているということは、わが国の政治家の大半や世論が、どのような政治体制や国家のあり方をひそかに理想としているかを、如実に示している。
しかしこれは、今に始まったことだろうか?


対話ではなく力の強化を、先制攻撃を、その実は、国民生活や地域の平和よりも自分たちの階層や組織の権益の保持を。
この傾向は、少なくとも70年ばかり昔には、この国が実践していたものであり、むしろこちらが本家で、あちらはそれを反復しているだけではないか。
しかも本家の方は、この傾向(本音)を、打ち捨てようと本気で考え行動したことが、一度でもあっただろうか?


今の日本国内の議論と、この地域の情勢が突きつけているのは、ひとつにはそういう問いである。