板垣雄三先生のお話を聞いて

日曜日に行われた板垣雄三さんの講演会を聞いてきましたので、自分が理解し、感じたところを書きたいと思います。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20080516/p2


なお、客観的な報告でなく、あくまでぼくの関心と理解力にもとづいたものであり、紹介する内容も興味深かった一部分に限られることを、ご了承願います(めちゃめちゃ主観が入ってます。)。


会場は盛況で、幅広い年代の人たち、また外国の方も少なからずおられたようです。


まず「ナクバ」という言葉の意味について。
日本語で「大災厄」と訳されることがあるこの「ナクバ」という言葉は、「ホロコースト」や「ショアー」といった語とは、根本的な意味の違いがあるということ。
それを板垣さんは、「人間的破局」という言葉で呼ばれました。
どういうことかというと、「ホロコースト」や「ショアー」がたんに人間に外から襲い掛かってくる災厄とか暴力を指すのに対して、「ナクバ」は被害者自身(である人間)が自分の内側に「痛み」を感じざるを得ないような災厄の体験を指している言葉だ、ということ。
つまり歴史的な大事件、戦争や、大災害などによる混乱のなかで、その災厄により被害を被った人自身が、たとえば火の中の自分の子供を助けられなかったとか、自分の意志や力量でどうにもならない経験をし、そのことについてどうしようもなく悔いや罪責感のようなものを抱いてしまう。その場合、「災厄」をもたらすものは、(それがやってくる)外部にだけあるのではなく、「人間」(私自身)の内部にもあると感じるしかない。
「ナクバ」とは、そういう体験のことである、というお話だったと思います。
具体的には、カナファー二ーの小説『ハイファに戻って』のストーリーを紹介しながら、このことを説明されていました。


次に、「ナクバ30年」(イスラエル建国時の「ナクバ」が起きた48年から数えて)であった70年代終わりごろの日本社会の、パレスチナ情勢とのかかわりの様子を詳しく回顧され、それと「ナクバ60年」である現在の状況を比較して、現状を「最悪である」と批判されました。
70年代終わりごろというのは、日本社会の非常に幅広い層、政府サイドも含めた広い層に、アラブ社会、パレスチナ問題への関心があった。
現在では、そのような広がりや熱気の持続が見られなくなっている、と批判されていました。


次に、板垣さんの言われた言葉のなかで、とくに印象に残ったひとつは、

『中東和平という言葉自体が犯罪的だ』

というものです。
これは、「中東和平」という場合、67年の戦争を基準として「和平」を実現しようという主張になっていて、そこでは48年のイスラエル建国の不当さや暴力が不問にされ、イスラエル国家の成立という事態が自明のものとして扱われているから。
48年の不当さとは具体的には、もともと47年の国連のパレスチナ分割決議自体が、自決権を無視した国連憲章違反であるうえに、48年のイスラエル独立宣言は、その決議をも無視する形でなされた強引なものである、という点を強調されていました。


歴史的な見解で、もっとも印象深かったことは、板垣さんのシオニズムに対する見方でした。
シオニズム批判というのは、いろいろな形があると思うのですが、板垣さんはここでは、「非ユダヤ人のシオニズム」という要素、つまり欧米各国の社会が反ユダヤ主義的な圧力や、それぞれの国の政策的な思惑から、シオニズムを利用してユダヤ人をパレスチナに「厄介払い」した、という側面を強調されていました。この意味で、板垣さんは、シオニズムは、たんなる「民族運動」ではない、と言われていました。
ここから、どういうことが出てくるかというと、「償いとしてのイスラエル国家」という説が、一種の政治的な神話であるという批判です。
「償いとしてのイスラエル国家」説というのは、イスラエルの建国をもたらした最大の原因は、ナチズム(ホロコースト)であり、それがあの土地へのユダヤ人の大量入植と「ユダヤ人国家」の成立を不可避にした。その成立や、その後のイスラエル国際法違反を国際社会(とくに欧米、ソ連など)が黙認してきたのは、自分たちがナチスを制御できず多くのユダヤ人を死なせたという罪責感が原因であり、いわばその償いの形として、イスラエル国家とその違法性の容認という現実が続いている、という通説のことです。
これが正しいとすると、イスラエルを支持するにせよ、非難するにせよ、国際社会(そこにわれわれも含まれますが)はイスラエルが行ってきた(いる)不正義や、パレスチナ人の苦難、あの土地での争いといったことについて、「外側」にいるということになる。それら苦悩の原因への関与(責任)は、せいぜいホロコーストへの罪の意識ゆえに暴力を黙認せざるをえなかった、消極的態度の咎(とが)という程度のものにとどまる、ということになります。
板垣さんは、この「償いとしてのイスラエル国家」説というのは、欧米各国が、自分たちが原因となって(シオニズムを利用して)ユダヤ人を19世紀からパレスチナに大量に送り込み、結果としてパレスチナ人の過去と現在の悲惨の状況を作り出したのだという事実、いわば国際社会(われわれ)の直接的・積極的な関与責任を隠蔽するための、欺瞞的な説であると考えるわけです。
つまり、板垣さんがここでもっとも問うているのは、この問題についての欧米社会の自己免責の構造だ、ということになります。


こうした板垣さんの視点について、ぼくも、国際社会の自己免責ということが大きな問題であること、つまり、パレスチナ問題について、第三者的に「暴力の連鎖」とか「対立の悲劇」というふうに語られること、もしくはイスラエルの行為をあたかも自分たちにとって外在的な「悪」のごとくにみなして済ませる態度が、(欧米においても日本においても)問題であろうと考えてきましたが、板垣さんが、国際社会の有責性をシオニズムの歴史全体にまで広げて論じられたことに、目の覚める思いがしました。
また、この視点から、反ユダヤ主義に対する日本の関与ということにも触れられましたが、その詳細は、今週末に千葉で行われるパレスチナ問題についての大きなシンポジウムで語られるそうです。


次に、会場との質疑応答から、少し紹介します。
板垣さんは今のイスラエルの状況について、「今のイスラエルの人たちは、離散の状況のなかで培ってきたはずの本来のユダヤ性のようなものを失っている。むしろその意味のユダヤ性は、今ではパレスチナの人たちに継承されてるのではないか」という風に言っておられました。
こういう考え自体は、この問題に関心のある方のなかでは必ずしも珍しいものではないと思いますが、パレスチナやアラブの側に深くコミットしてきた板垣さんのような人がこのように言われたということが、ぼくには意外であり、感銘を受けました。
イスラエルと国際社会によって抑圧されてきた集団の側に、あれほど深くコミットしおそらく同一化さえされてきたはずの方が、それを言うのは、まったく言葉の重みが違うと思ったからです。


それから、「ナクバ」から60年たった現在の、パレスチナ人の若い人たちの思いや希望はどのようなものか、という質問についての答えも、印象深いものでした。
この質問をされた若い方は、映画『ナクバ』のラストの場面を見て、そういう思いを強くもたれたそうです。板垣さんは、そのことに心を打たれているようでした。
板垣さんが、ここで言われたことのなかからふたつ。
ひとつは、「この30年間、われわれ国際社会は(窮地に置かれ続けている)パレスチナの人たちに、ずっと説教をしてきたのだ」と苦々しく語っておられたこと。そしてそのことのあげく、この人たちは、いまや「万策尽きて」ヴィジョンをもてない状態に陥ってるという事実。
もうひとつは、そういう状況に置かれたパレスチナの人たちが、そのなかでも考えの違いが生じてきて争いさえ起こっていること、それほど疲弊してもいるということを語られ、次のように言われたことです。
『たとえパレスチナの人が「もういい」と言ったとしても、われわれはこの不当な現実を批判し続けねばならない。』
この言葉は、「当事者でないもの(支援者)の越権」のように受け取られるかもしれません。
しかしぼくは、ここで板垣さんは、「パレスチナの人たちには、もういい、という権利がある」と言っているのだと思います。そして、そこへこの人たちを追い込んだわれわれ自身にこそ、この不当さを告発し続ける責務が負わされているのだ。この二つのことは、まったく矛盾していない。そう言っておられるのだと思いました。


全体をとおして、アラブ・パレスチナの人たちに深く関わり、愛情を抱いてこられた板垣さんの、熱情や義憤と、また彼の地の人たちに対する距離をもった畏敬の気持ちのようなものが伝わってくるお話であったと思います。