「生命」の重さ

この裁判をやってたこと自体、知らなかった。


テント撤去訴訟:原告の請求棄却−−大阪地裁判決
http://mainichi.jp/kansai/archive/news/2009/03/25/20090325ddf041040006000c.html

大阪市が06年1月、靱(うつぼ)公園(西区)と大阪城公園中央区)で生活するホームレスのテントを撤去した行政代執行により、住居から強制的に立ち退かされ、生きる権利を侵害されたのは違法として、両公園で生活していた16人(うち1人は死亡)が処分取り消しと大阪市に約1900万円の賠償を求めた国家賠償訴訟の判決が25日、大阪地裁であった。西川知一郎裁判長は「テントの設置は一般の利用を妨げ、倒壊により生命に危害が及ぶ危険性もあった。行政代執行は適法」として、原告側の請求を棄却した。


判決も判決だが、『倒壊により生命に危害が及ぶ危険性もあった』というのは、誰の生命のことか、この文では分からないけれども、野宿者の住居を強制的に撤去する(奪う)ことの方が、はるかに「生命に危害が及ぶ危険性」のある行為のはずである。
おそらく、生存権とか命に関わる問題として行政の対応が非難されるから、それに対抗する意味で判決の中でこういう言葉を出しているのだろうが、よくこの判決の中で、こういう意味でこんな文言が使えるな、と思う。


あの行政代執行のときに、僕も生まれてはじめて地べたにダンボールを敷いて眠ったが、毛布を何枚かぶっても寒くて体が凍りついたようだった。
もちろん眠れるものではない。
住んでいるところを壊され奪われて、強制的に立ち退かされるということは、仮に代替の場所が用意されたとしても、そういう極限的な条件と接したところへ人を追い込むということである。
そのことを本当にまともに考えていれば、人間が住居に住んで暮らしているということの重みをまともに考えるなら、「生命の危険」という言葉を、この判決におけるような空虚な意味合いで用いられるはずがないだろう。


裁判所というところが、また日本の行政とか司法が、人間の生命や生活を、どの程度の重みをもって考えているかということを、如実に示した表現であり、また判決結果であると思う。