非難されるべきこと

麻生首相の一連の発言についてだが、批判のされ方に、ちょっとおかしいと思うところがあるので、書いておきたい。

http://www.asahi.com/politics/update/1127/TKY200811260392.html


「医者には常識に欠ける人がいる」というふうに麻生首相が言ったとき、この発言は医師という特定の職業の人の悪口(偏見)を言ったことに、その最もよくない点があるわけではないのである。
この人(首相)は、自分が病院の経営に間接的に携わるような立場であり、そういう立場の人でありながら、現場でたいへんな思いをして働いている人の困難を全否定するような発言をした。つまり、(現場で)働いている人間をどのように見ているかという感覚がよく示された、「労働者蔑視発言」だったから、許しがたいのである。
要は、この男が、人間というものをどのように見ているか、ということなのだ。


今回の「何で私が払うんだ」という発言にしても、ここには老人や病人をどのような存在として見ているか、社会がそういう人たちにどのような対処をするべきかということ、つまり「効率化のための切捨ての対象」と見なしているという、発言者の考え、人間観のようなものが、その表現の中ににじみ出ていると感じられることが、不快なのである。
医療や社会保障をめぐる「効率化」の議論が、人間の命や健康を尊重するという基本の上で行われるのであればよい。
だが、麻生の言い回しは、老いて病にかかるような人たちを、「自業自得の厄介者」とみなすような冷笑的・破滅的な人間観を「正直に」表出したものである。つまり、そのような人間に対する見方を、為政者が、公の場で開陳し、人々に植え付けることになっている。
この点が、許されないことなのである。


このような発言を「それなりに正論ではある」と言って容認しながら、この男の「言葉遣い」や「教養」のみをしたり顔で論難するような人は、「効率化」をめぐる議論を、自らの冷笑的・破滅的な人間観・人生観の隠れ蓑にしているだけなのであろう。