空虚な言葉

毎日の社説から。


核兵器保有 インドの特別扱いは危険だ
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080811ddm005070039000c.html

日本は毎年、国連総会で核兵器全廃をめざす決議案を提出している。昨年も決議は圧倒的多数で採択され、くしくも米印と北朝鮮だけが反対した。唯一の被爆国として、北朝鮮の核におびやかされる国として、米印協定は身近な問題だ。


この社説は、核兵器の拡散に反対し最終的にその全廃を目指す立場からインドの核保有を認めるなという趣旨ではない。それが日本にとって危険な北朝鮮の核保有の容認につながる恐れがあるから、認めるべきでないという、戦略的な主張である。
「唯一の被爆国として」という言葉を、こういうところで出すから空無化していくのだ。


「唯一の被爆国」というが、その被爆国にした当の相手は、どこの国なのだ?
つまり、現実に核兵器を使用した国はどの国なのだ?
世界最大の核兵器保有国ではないのか?
国連総会でいくら決議案を出そうが、現実に日本はその当の相手と軍事的な同盟関係を結び、他の国々に核兵器を新たに持ったり、手放したりしない口実を与え続けているではないか。


「唯一の被爆国として」というなら、アメリカに核兵器の全廃か、少なくとも大幅な削減をただちに迫り、容れられなければ同盟関係をただちに解消するという外交方針しか、ありえないではないか。
いや、そもそもアメリカの核兵器保有を前提に強固な同盟関係を持ってしまっている時点で、「唯一の被爆国として」というあり方は、国策・外交方針としては、虚偽以外では成立しようがないのだ。
その虚偽の上に立って、いくら核兵器全廃を「めざす」と称する決議案を国連に出し続けても、アリバイ以上のものに見られないことは自明ではないか。
現実に現在の日本の政治も軍事も、アメリカの核を前提として、その下でのみ構想され成り立っているのだから。


「唯一の被爆国」をこの世に存在せしめた当の相手の国の、膨大な核兵器を土台として成り立つ「被爆国」の平和の主張というのは、欺瞞でなくてなんなのだ。
その欺瞞に基づく(この記事のような)戦略的な主張のなかに組み込まれた「核反対」の訴え。
アメリカの軍事力に脅かされる人たちにとっては、それはほとんど、死神の声のようにしか響かないだろう。