北京五輪を見ていて

今回のオリンピック開幕式の入場の様子を見ていて、大変印象深かったことがある。
それは、朝鮮(北朝鮮)の選手団が入ってきたときに、大きな拍手が起こったことである。


なぜそれが印象深かったかというと、中国が市場経済を導入してすっかり経済大国となった今でも、この国(中国)の人たちは、かつて苦しかった時代に一緒に苦労し共に戦った、この隣国の存在を、今でも大事に思っているのだ、と思ったからだ。
つまりそれは、今でも中国の人たちのなかに「第三世界」とか、「被植民地の民衆」という部分が内在しているということを示してるのではないか。
入場のときの実態がどうであったかは知らないが、ぼくはそのように想像するのである。
そして、もしそれが当たっているとすれば、それは掛け値なしに尊い、素晴らしいことだと思う。


そうだとすると、中国の人たちは、やはり尊敬すべき、良いところが多いにある。
このことが、どうもこれまでは、よく見えてなかったかもしれない。中国の、大国主義的な、嫌な面ばかりを見ていた。
これは、相手(表象)の問題であるより、見ているこちらの目に「何が見えないか」という問題だろう。
われわれは外部のない市場経済のなかで自己形成し、生きてきたので、目の前の他人が「第三世界」や「被植民地」の部分を持っていても、それが目には見えないのである。もちろん、自分自身についても。


話は変るが、女子柔道の52キロ級で優勝した中国のセン・トウメイという選手、授賞式のときの振る舞いは、心温まるものだった。
国の違う、ライバルでもある後輩たちを、一人一人ねぎらう大らかな姿。
ああいうものを見ていると、「オリンピックも捨てたものではないな」と思う。
現在のオリンピックは、能力主義国家主義、商業主義が支配する祭典になっていることは確かだが、決してそれらが全てではないということ、それらは競技者によって目指されているもの、見る人々によって願望されているものの、手段もしくは中途地点でしかないことを、教えてくれると思うからである。