これはひどい、毎日の対応

あんまりだと思ったので、書いておく。

英文サイト出直します 経緯を報告しおわびします
http://www.mainichi.co.jp/home.html


経緯について、いろんなことを書いてあるが、要はいい加減な外国人記者に任せきりにしたのがよくなかった、ということのようだ。
本体である毎日新聞社自体の体質についての検証、自己批判のような姿勢は、ぼくには(細部まで読んだが)感じられなかった。
「開かれた新聞」委員会の委員であるという柳田邦男という人の、次のコメントに、この姿勢のおかしさが、よく集約されてると思う。

http://www.mainichi.co.jp/20080720/0720_08.html

今後は、新聞本体と同様のレベルで、外国語を含む自社のすべてのメディアをチェックする体制作りをすることが必要だ。


 私は数年前からネットの負の側面に警鐘を鳴らしてきたが、今回の件はネット社会の落とし穴がどこに隠れているかわからないことを示唆するものだ。ただ、失敗に対する攻撃が、ネット・アジテーションによる暴動にも似た様相を呈しているのは、匿名ネット社会の暗部がただごとではなくなっていると恐怖を感じる。この問題はマスコミのネットとのかかわり方の教訓にすべきであろう。


柳田は、新聞社外部の人間だが、その思考回路のおかしさは、新聞社本体と共有しているようだ。
『新聞本体と同様のレベルで』というが、事件を起こした主体は、「新聞本体」以外の何なのだ?
「外国人記者」だの「ネット」だのを、都合よく商売に利用できそうだからといって、安易に使用し、監督すらまともにせず、都合の悪いことが起これば、トカゲの尻尾のようにその「辺縁部」(柳田)を切り捨てて口元をぬぐう。
その活字(既成)メディアの、いい加減な体質こそが、ここで自ら問われるべきではないのか?


毎日新聞といえば、「格差社会」や、経団連はじめ企業による非正規労働者派遣労働者の使い捨て的な雇用を鋭く批判するキャンペーンを貼ってきたが、今回明らかになった経営体質、そしてこの対応は、そうした一般企業のあり方と、どこが違うのか?
というか、「戦争で労働力が足りなくなったから、朝鮮から人を引っ張ってきて鉱山で働かせよう」とか、「正社員・正職員を雇ってたのでは国際競争や規制緩和に対応できないから、非正規雇用の数を増やそう」とか、「介護労働者の給料を上げたくないから、入管の規制を改正してフィリピンから安い労働力を入れよう」とか、今も昔も変らぬこの国の企業や政府・行政の発想と、どう違うのだ?


『この問題はマスコミのネットとのかかわり方の教訓にすべきであろう』というのは、その通りである。人を人とも思わぬマスコミの経営体質、企業体質が変らない限り、こうした不祥事は決して後を絶たないばかりでなく、使い捨てられ蔑まれる人たちの怒りを増幅させ続けるほかないだろう。