テレ東と柳田国男と社会性の剥奪

テレ東「低予算でも好調」のまやかし 下請けを異常な低賃金で酷使、社員は高給取り
http://biz-journal.jp/2014/11/post_7456.html


朝、出がけにたまたまこの記事を読んで、実状が詳しく書かれていると思って感心した。
この頃の大新聞やテレビの報道では、現象の表面をなぞっただけの、当たり障りのない見解しか述べられていないものがあまりに多いが、それらとは随分違う。
たまたま同じ日の朝日新聞の朝刊に、同じ現象を扱った記事があり、全部は読めなかったが、「テレ東の番組が低予算で高視聴率をあげている」というようなことが、単純に効率性の問題のように書かれているのを見ると、朝日はテレ東以上の大企業であるだけに、そこの記者が書くものがそんな表面的な切り口でいいのかと、上記の記事を読んだ後では思わざるをえなかった。
この記事は、テレ東を問題にしているが、大企業の社員であるマスコミ人と、その現場を支えている下請けの人たちとの、給料や待遇のみならず、意識の上での隔たりということは、広くみられることなのであろう。もちろんそれは、マスコミ業界だけの問題ではない。


記事を読んでいて印象的なのは、下請けの人たちが、待遇が悪いことへの不満だけを言っているわけではなく、むしろ、自分たちには良い番組を作ろうとする熱意があるのに、それがエリート社員たちの中には見られず、自分の成績を上げるための駒か道具のようにしか扱われないことへの憤りが語られていることだ。
これは一つには、経済的な利害や成績を離れて、他人(消費者、視聴者)のために何かを作り上げていこうという、社会的な広い目的のようなものが、特に経済的に恵まれた人たちからは失われているということを、示してるのではないかと思う。
昨日も書いた、『柳田國男対談集』のなかで、柳田は、「他人を喜ばせる」という価値観のようなものが、戦前においても戦後においても、日本の社会から失われつつあることを、繰り返し嘆いている。
たとえば、敗戦直後の中野重治との対談の中では、こう言っている。

一番待ち焦れてることは、あの金のいくらかでもが、国全体の明るさの上に働いてゆくとうことなのです。ところがどうも現在はそう思えないですね。全体に険悪になり、神経過敏になって他人を喜ばせようというようなことはちっとも考えない。偽善かもしれないけれども、旧来の人間の穏健な分子というものは寝ても覚めてもそれを考えてるんですよ。(p144)

狭い意味のエンタテイメントに限らず、商業にせよ、行政のサービスのようなものにせよ、そこには、他人のためになる何かをしようという意志が要る。それは、社会的な意欲と呼ぶべきものだ。
そういう目的を、高給をもらっている大企業の社員のような人ほど、見失っているように見える。もちろん、競争や成績を上げることに精いっぱいで、そんな社会的な意識など持てないということは、階層に関係なく、今日の社会では皆が置かれている現実だろう。
だが、現場を支えてきた下請けの人たちの間には、そういうものがまだ比較的残っているのに比べて、現場を経験したことのないエリート的な人たちは、そういうもの、つまり、「他人を喜ばせる」ために皆で協力して良いものを作っていくというような気持ちを育む機会を持ちがたい。
そこから生じる、意識の隔たり、断絶のようなものを、上の記事からはうかがうことが出来ると思う。
富める者は、富と引き換えに、「他人のために」という社会的な意欲、大きな人間らしい目的のようなものを奪われ、貧しい者は、そうした剥奪に加えて、財や生命そのものさえ奪われようとしている。それが、今の社会のあり様だろう。
社会的な意欲の剥奪など、生命や必要な財の剥奪に比べれば問題にならないというのもその通りだが、一方で、社会的な意識が奪われてしまっているが故に、人は自分の利益だけを追求して、他人を死に追いやっても省みなくなるのだということも、忘れてはならない。
人を、他人から切り離し、効率性と競争の中で「社会」を見失わせ、孤立化・アトム化させようという巨大な力に、いま私たちは蹂躙されている。
「格差」とは、あくまで政治的な目的と論理のもとに作り出されるものなのである。


ところで、こうした社会機構のようなものは、新自由主義の特徴だとも、ファシズムが完成されるための重要な要素だともいえようが、日本は特にそれが成立しやすい国になっているとも考えられる。
やはり『柳田國男対談集』(ちくま学芸文庫)に収められている家永三郎との対談(昭和24年)は、花田清輝も名エッセイ「柳田国男について」で論及した、緊迫感に富んだ内容のものだが、その中では柳田はこんなことを述べている。

一番私が反省しなければならぬと思ってしょっちゅう若い諸君に話しているのは、日本人の結合力というものは、孤立の淋しさからきているのですね。そのためにみなのすることをしないでおっては損だという気持が非常に強いのです。おそらくは島国でなくては味わうことのできないほど、小社会、ちいさい群の制裁というものが強いのですね。それが現われてきて、今のこっちの端からダーッとあっちへ行ってしまうような雷同附和の傾向をつくったのですが、これがいつ頃から起ったか考えたいと思います。これが昔になるともう一段強く、除け者にされるとか、一人だけ反対する奴を圧迫する力がお互いに強かったのです。それが大きな力になってこんどの敗戦なんかもできたかもしれない。(p198)

私は、人を「孤立の淋しさ」に追い込み、そのことによってファシズムと戦争を可能にするような愚かな「結合力」(絆?)を生じさせる制度のようなものは、特に日清戦争に向っていく近代化の初期の過程において、この国に確立されたのではないかと考えている。
今の首相が、この制度を構築した明治の政治家たちと同じく、かつての長州の出身だということは、この国の権力のあり方の変わらなさを物語っているのだろう。