「橋下改革」最終案

大阪府財政再建へ最終案 1100億円、改革維持 治安、福祉は配慮http://mainichi.jp/kansai/hashimoto/archive/news/2008/06/20080606ddn001010003000c.html


いわゆる「橋下改革」について考えたり話すとき、いちばんよくないと思うのは、「将来の破綻を防ぐためには、いま痛みを我慢するのは仕方がない」という言い方によって、自分たちを納得させてしまうことだ。
「仕方がない」で済ませてはならない、現在の「痛み」もある。


過去や現在において直すべきところがあるなら、「将来」がどうなるかとは関係なく直すべきである。「改革」とは、本来そういうものであるべきだ。
そこからごまかしなしにはじめるなら、「仕方がない」で済ませてはいけないことが何なのか、それを解決するために、どこに何を求めていくべきなのかが、本当にクリアになってくると思う。


以下は、6日の毎日新聞(大阪)3面から、事情に詳しい二人の人の感想のコメント。

片山善博・前鳥取県知事の話  橋下知事の意気込みは買っていたが、結果はお役人風の案になったという印象。やりにくいところに手をつけていないからだ。例えば、国の直轄事業は府の負担金も大きいが、削減対象になっていない。国の外郭団体への補助金も同様だ。議会関係の削減も出てこない。議会には、これまでの責任を問わないといけない。結局は、従来型の改革の延長になっている。強い人にものを言わないのでは改革はできない。「維新」というのは大勢を変えること。国にも議会にもものを言うことだ。


本間正明近畿大世界経済研究所教授の話  放漫経営が続いた大阪府政の歴史からみれば、橋下知事の改革は画期的だ。1100億円の収支改善も、PT案の大枠を崩しておらず、筋が通っている。「収入の範囲内で予算を組む」ことは国の財政再建とも軌を一にしており、財政健全化の第一目標として適切だった。警察官定数や医療費助成の削減を見送ったとは言え、治安や医療は大阪が都市間競争に勝ち残っていく上で非常に重要。魅力的な都市を育てるため前向きな種をまいたと言え、府民の理解を得られるのではないか。


橋下知事は、『国の枠組みによる地方自治体のひずみは限界に来ている。道州制導入と国からの財源譲渡しか解決策はない』(同紙29面)と語ったというので、国の姿勢を問うという視点を身につけつつあるのかと思ってたのだが、片山前知事のコメントを読むと、やはり基本のところは進歩がないらしい。


それにしても本間教授の弁だと、治安や医療を切り捨ててはいけない理由は、大阪が競争に勝ち残るためだそうだ。本末転倒もはなはだしい。「財政」は知ってても、「自治」も「公共」も「政治」も知らない。こんな人をブレーンにしちゃ駄目。