「南島」はなぜ欲望されるか


この『柳田國男対談集』では、民族学フォークロア)と民族学エスノロジー)の違いや関係が何度か話題になるのだが、戦前の対談の中で、柳田が次のように定義しているのは、かなり明快だと思った。

自分の人種のことを調べるのがフォークロアで、他人種のことを調べるのがエスノロジーです。(中略)エスノロジーというと文化人類学とはちがうと言う人があるが、これは大体同じなんです。(p051)

民俗学」の主張は、民族学文化人類学といった西洋出自の学問の、主客分離的というか植民地主義的な体質(ニーチェなどが批判してきたもの)に対するアンチテーゼとしては、共感できるところがある。

フォークロアでは、どんなことでも知りたいのです。(中略)エスノロジーではそこまで行かないのです。およそ分類学のどれかに当る。ところがわれわれの方のは、分類してもどこにも入れないというようなもので忘れることのできないものがいくつもある。それを捨てないのです。(p052)

どうもみんなから笑われるくらい私の仕事は迂遠なんだけれども、事実以外のものを材料にしては断定しないという建前ですね。(中略)だから、外国人の書いた書物でやっている学問とはそこに非常な違いがある。(p088)

こうしたことは分かるのだが、問題は、民俗学というもの自体が、「自国のことは自国の人間にしか分からない」という、反近代的な立場に立脚するがゆえに、いわば別種の植民地主義を形作ってしまう面があるのではないかということだ。
それは、民俗学的領域という想像的な植民地を見出し、人々に提供することによって、国家による現実の政治を補完する。そういう面があるように思う。
それを特に考えさせるのは、折口信夫との名高い二つの対談(石田英一郎の司会)の冒頭の部分である。
そこでは、当時(敗戦直後)に話題になった、江上波夫のいわゆる騎馬民族征服王朝説が話題となり、石田がそれについて詳しく理解を述べると、柳田と折口は、次のように反発する。

柳田  いかがですか。これは容易ならぬことで、よほどしっかりした基礎をもたなければいえぬことだと思う。いったいありうることでしょうか。あなたのご意見はどうです。つまり横取りされたということを、国民に教える形になりますが。

折口 われわれはそういう考え方を信じていないという立場を、はっきり示していったらいいのではないでしょうか。そうすると石田さんなどとは、正面から衝きあたることになりますが。(p220)

このあたりで、民族学エスノロジー)の研究においては、『南のほうの関係がどうも北ほどは進んでいない。』(折口)というような発言があり、有名な、戦後の日本民俗学の「南への道」の、その後の発展が示唆されることになるのだが、このいわゆる「南島イデオロギー」の植民地主義的な性格に対する批判や議論は、90年代に盛んに行なわれたはずである。
植民地官僚だった柳田が、現実には朝鮮を失ったから、代わりに「南島」に目を向けた。この解釈は、なるほどと思わせる。
ただ、今回読んでいて思ったことは、「騎馬民族征服王朝説」への反発と「南島イデオロギー」の形成とが、敗戦による米軍の日本占領と、それと表裏をなした朝鮮半島の日本の支配からの解放という現実の状況のもとで、強く意味づけられて出てきた発想だったのではないか、ということだ。
江上の説が衝撃的であったのは、それが、軍事的敗北と従属という現実を、天皇の血統というナショナリズムの「歴史」的核心において、否応なく突きつけるものだったからだろう。
だからこそ、柳田や折口のような人は、それを激しく拒んだ。「騎馬民族征服王朝説」というのは、実際には、日本にとっての「朝鮮」のイメージに関わるものであって、それは屈服や従属という日本の大衆の政治的無意識を強く刺激するのだ。
この刺激の心理的強度から逃れる為に、民俗学は、南島という想像的植民地を欲したのではなかったか?
つまりそれは、現実の政治の過酷さや、政治的敗北の屈辱と恐怖から逃れる為に、「南島」という想像的植民地を消費する、という態度である。
今回の衆院選の後で、「反安倍」の人たちの一部が、沖縄の選挙結果を、日本の希望や誇りのように語ってしまうのを見ていても、こうした心性が私たちにとっていかに根深いものであるかを、思わざるをえないのである。