小泉義之『兵士デカルト』(読書中)

近世と近代との関係など、言いたいこともいくつかあるが、やはり読み応えのある本だ。
珍しく単行本を買った眼力に狂いはなかった。
字面だけ読めば、まさに「小泉劇場」という感もあり、95年という時点で、この内容の本が書かれていたことに驚く面がある。


今日読んだところから、一箇所だけメモ。
デカルトが、法や制度宗教に「服従」していたということについて、著者は『服従という概念においては、内面がそもそも問題にはならない』と言う。

たまたま幼児の頃から教えられた制度宗教に、外面的に服従して外面的に信仰することを批判できるのは、制度化された諸宗教の中でどれかが〈真の宗教〉であるという前提を立てたときか、あるいは、制度宗教とは全く別の〈真の宗教〉があるという前提を立てたときだけである。しかし制度宗教のどれかが真の宗教であるなどとデカルトが信じていたはずはないし、かりにデカルトが制度宗教とは別に真の宗教があると信じていたとしても、制度宗教に外面的に服することによって真の宗教が抹殺されるわけではあるまい。いずれにせよ、どの制度宗教に服するかということは、殆どどうでもよい問題である。(p31〜32)


われわれは、制度への服従しか知らないように見える人(たち)を、たんに無力か愚かな存在のように見なしがちだが、そうとは言いきれない。
その人はひょっとすると、(われわれと違って) 〈真の宗教〉があると心のどこかで信じてなどいない人なのかもしれないのである。


兵士デカルト―戦いから祈りへ

兵士デカルト―戦いから祈りへ