市場と貿易についての簡単なメモ

どうも真剣に相手になってくれないようなので、勝手に考えをひろげてみる。


先日のnatamaruさんのコメントより。

そういうことです、サヨクのひとがよくかんちがいするんですが、日本の繁栄が中国やインドやアフリカ諸国の足を引っ張ってるわけではないってことです。貿易商売なんて顧客の奪い合いですから、たしかにある国(企業)の売上の伸びは同種製品を作る国(企業)の足をひっぱってることになりましょうが、これを悪だといったら国や企業が優れた商品を作る努力自体も悪となってしまい、彼らは何も出来なくなってしまいます。


今の時代は、自然環境が苛酷で余裕が無く、水や明日の飯のゲットなどの直接生産で手一杯で設備投資や技術開発をする暇の無い国(途上国)が、温暖な環境であるためにそれらのことが可能な国(先進国)から受け取ったノウハウ(医薬品、トラクターやバイクのエンジンなど)は、その逆(途上国から先進国へ移動した富)を上回っています。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070920/p1#c1190467310


この回の投稿は、他にも面白いことが書いてあったのだが、ここでは上の文章について考えてみる。
二段あるうちの一段目は、国際貿易の実態を述べてるわけで、ただその通りでしょう、としかいえない。
サヨクの人」がそんなことを言ってるかどうかは別にして、日本の繁栄が他の国の足を引っ張るなんてことは考えにくく、むしろ逆であろう。そして、だからこそ困るのである。歯止めの利かない世界経済のいびつな膨張が、環境破壊や貧困の増大をもたらしているというのが現在の世界の否定できない側面であると思えるからだ。
世界経済の拡大自体は、当然プラスの側面もあるわけだから悪くないにしても、そのあり方を変えるべきであるというのが、当面の主張になる。
市場経済といっても、なんらかの政治的・法的な制度による枠組みがないものは存在しないはずだから、その枠組みを、今のものとは別のものに変えるべきだ、と言ってるわけである。その変えるべき現在の枠組みというのは、もちろん、市場原理主義とか、新自由主義という言葉で名指される傾向に関わっているはずだ。
いま、このことに関して言えるのはここまでで、「新自由主義」的なものが止められればそれでいいのか、ということには答えられない。たぶん、その「止め方」が重要になるのだろうが、ここでは考えない。
ともかく、いまもっとも優勢である傾向のなかに、看過し容認してはいけないものがある。そのことだけを確認しておく。


さて、今日考えたかったのは、じつは二段目の文についてである。
ここで言われているのは、日本などの「先進国」は、アフリカなどの「途上国」に対し、世界経済に組み込むことによって、より多くの富を与えることになったのだ、ということであろう。
これはしかし、ずいぶん変な理屈だ。
「先進国」から「途上国」に渡された「ノウハウ」や、その他たとえばインフラや教育といったものも、基本的には市場経済(交換)を目的として投入されたものだろう。その国が政治的・経済的に安定することで、いい商売の相手になってもらおうとして、お金を融通したり、橋やダムを作ってあげたりするのである。
つまりそれは、贈与ではない。決して、「贈与でないから悪い」と言ってるわけではなく(むしろ、いいことじゃないかと思う)、世界経済の仕組みのなかで国と国とが関係を結ぶというのは、基本的にはそういうことだろう、ということである。
つまり世界経済の仕組みのなかで、さまざまな「ノウハウ」によって「途上国」がどれほど恩恵を受けようと、それは「市場経済」自体からもたらされたのであって、特定の他者(貿易の相手である先進国や企業など)から受けた恩恵というわけではない。市場では誰もが、自分の利益のために行動しているだけだからである*1
ここにあるのは、「贈与」ではなくあくまで「交換」の論理のはずだ。


一方、たとえば植民地時代に『途上国から先進国へ移動した富』というのは、交換ではなく収奪によるものだ。
つまり、「途上国」、とくにかつて「先進国」の植民地であったような国は、かつて「先進国」から多くを奪われたことはあるが、「先進国」から富や財を与えられたことは一度もない、と言える。
市場(世界経済)のなかで得られるものは、恩恵(贈与によるもの)ではないはずだからだ。


世界経済の枠組みに組み込んだことによって、われわれが「途上国」の人たちになにかプラスを与えたように言うのは、論理としておかしいのだ。
プラスを与えたとすれば、それは「われわれ(先進国)」ではなく「市場」そのものであり、つまりそれは「途上国」の人たちが自分の力で手にしたと言うしかないものである。


この「市場」のあり方自体を変えるべき時期に来ていると思われることは、先に書いた。


追記:付け加えれば、現在の「先進国」が現在の「途上国」を、はじめに「世界経済」に組み込んだ(現在の「市場経済」のシステムを、いわば与えた)という行為自体が、自己の利益追求を目的とする「交換」の一環だったはずである。
まあ、付け加えるほどのことでもないけど。

*1:植民地時代に、インフラ整備や教育のような形で財が投入されるのも、投入する側が自己の利益(植民地は自国の領土なわけだし)を見込んで行ったことであり、やはり贈与ではない。