生田武志氏のホームページの文章への不満

なんか、いろいろ懐かしいです。


さて、ちょっと気になることがあるので、書いておきたい。
生田武志氏が、ホームページで雑誌「フリーターズフリー」への反応について、次のように書いてる(7月16日分)。

フリーターズフリー」の販売はわりあい順調だと思うが、気になる反応が幾つかある。大して読まずに(あるいはパラパラッと見た程度で)、「これはダメだ」とか「感心できない」と言う人が、身近に何人もいたことだ。(ちゃんと読んだ上で「ダメ」と言うなら、意見の相違としてそれはそれで別にいいが)。

そのうち公開できるだろうが、直接でもメールででも大変暖かい「応援」がいっぱい来る。一方、ネット上などでは「この人、本当にちゃんと読んでるのか」と疑問に思うような極端に冷淡な反応が幾つか見られる。「平均的な反応」というものがあまりないのだ。


「身近」な人の反応ということだから、そこはなんとも言えないけど、ただ雑誌を「ちゃんと読む」って、どういうことだろう?
ぼくの場合、自慢ではないが、雑誌を隅から隅まで精読したことなんてない。
もちろん、そういうふうに読んでもらったら、作り手としてはありがたいだろう。また、公的な場で雑誌の全体を評価するのに、その一部しか読まずに賛否を述べるというのは、たしかに好ましいことではないかもしれない。
しかし、そこで評価されて当たり前なのが、雑誌という売り物ではないか?
『諸君』でも『世界』でも、『週刊ポスト』でもなんでもいいけど、編集者が読者からの反応について、「全部をちゃんと読んでくれてない」と不満のコメントを公言するなんてことがあるだろうか?
フリーターズフリー』は、同人誌ではないはずである。
期待したようなまともな反応が少ないのなら、「それだけの反応を寄せるに値すると感じた人が少ないのではないか?」、そもそも「全部を読もうという気を多くの人に起こさせる編集が出来なかったのではないか?」とまず自問するのが、あるべき作り手、売り手の態度だと思うが、いかかがであろう?
生田氏の文章を読むと、どうもその辺の自覚が薄いように感じられる。
そしてその不満は、ぼくのあの雑誌全体(経営のあり方を含む)への感想にも関わってると考えられるので、あえてここに書いた。