麻生の発言について

麻生太郎の「アルツハイマー発言」、たしかに謝罪するのが当然のもので、こういう言葉を不用意に使ってしまうところに、この政治家の本質がよく出てると思う。
道義的なこと以前に、公人としての判断能力みたいなものが欠けている。
いま原発についても、それから食品の安全性や、もう忘れられかけてるが「耐震強度偽装問題」にしても、なんでこんな危険なことが平然と行われ放置されてきたのか、と思うことが多いが、ぼくに言わせれば麻生のような人が閣僚をやってること自体が、それと同様の信じられない「危ない話」である。


しかし、この発言は、たしかに批判されるべきものではあるが、たとえば久間前防衛相の「原爆投下は仕方ない」という発言とは、大きく異なる。
つまり、久間発言は、その内容自体が大問題なのだが、麻生の今回の発言は、「例え」が(著しく)不適当だったということだ。
もちろん、どういう「例え」を使うかは、軽い問題ではないだろう。とりわけ上に書いたように、今回の麻生の「失言」は、本人の資質に深く根ざすものだと、ぼくは受け取る。
だが、二つの発言が、同じように扱われ語られるとしたら、それは「内容」について考えられ語られるということが軽視されていること、十分行われないままになってることを意味するのではないか?
それもやはり、取り返しがつかないほどに「危ない話」になる可能性がある。