焼肉と「社会」

去年の年末に書いた「労働」に関するエントリーについて、sumita-mさんに言及・TBをいただいたが、自分にとってすごく身近なテーマなので、そのうちなにかまとまったことを書きたいと思う。


土曜日は、以前バイト先で一緒だった人と、天神橋の焼肉屋で飲み食いしながらしゃべった。
似たような境遇で同年齢、どちらも正社員ではないいわゆる「非常勤」の仕事ということで、現状や先行きについては展望のある話は出てこない。
いま30歳前後の人で、住むところを持たず、ネットカフェなどで毎夜を過ごし、携帯で日払いの仕事を探して日々の生活費を稼ぎながら放浪するといった人たちが増えてるそうだ。仕事そのものは毎日何かはあるので、その日その日はやっていけるらしい。
ネットカフェでは安眠できないので、疲れが溜まってくるとカプセルホテルに泊まるそうである。
そんな人たちの話をしながら、お互い「明日はわが身だなあ」と言い合っている。
すごくリアルだ。
まあ肉は旨かったし、久しぶりに会ってしみじみした話をして、とても楽しかったのだが。


ところで、『自由の平等』はまだおいおい読み返していくつもりだけど、新たに市野川容孝著『社会』を読みはじめた。正直、文体が読みやすいのでホッとする。
まだはじめの方を読んだだけだけど、立岩の本と同様に、「リベラル」「リベラリズム」批判の必要性が述べられているのが面白い。
「リベラル」に対抗するものとして「ソーシャル」の概念を確立していくことが重要だと書かれている。
この本で批判される「リベラリズム」というのは、とくに90年代以降の日本の政治的文脈において出現し「氾濫」した概念としてのそれを指している点が、立岩の本との違いといえるようだが、どちらにせよこの言葉が、現実の政治的な対立を曖昧にし、体制批判を困難にさせるような機能を持つものとして批判されている点では、二人の論者の言うところは似通っているのではないかと思う。
ここで、戦前の戸坂潤の『日本イデオロギー論』や、柄谷の「日本的ポストモダン」批判を思い出したりもするのだが。