市野川容孝『社会』の前半を読んで

前回のエントリーで、自分のことを「非常勤」の仕事と書きましたが、これは「非正規雇用」ということです。書いててなんか違う気がしたんだけど、言葉が出てこなかった。別に学校で教えたりしてるわけじゃありません(笑)。


市野川容孝の『社会』、まだ前半を読んだだけだが、知らなかったことがいろいろ書いてあって、その意味でも面白い。

社会 (思考のフロンティア)

社会 (思考のフロンティア)


たとえば、戦後にできた「社会主義インターナショナル」という国際的な組織が「反共」をひとつの旗印にしていたということも知らなかった。
冷戦下という政治状況、それにアメリカでもイギリスでも概ね労働組合というのは「右派・反共」であるということ、さらに日本でも「民社党・同盟」というのは明確に反共であったということなどを考えあわせると、またドイツなどの文脈においても「社会(民主)主義」と「共産主義(党)」とは歴史的に不倶戴天の敵同士の関係にあることを考えても、「社会主義インター」が反共を標榜したというのは、いわば当然の話なのだろうが、そこがピンと来ていなかった。
ぼくの中では、社会主義共産主義というのは、親戚同士みたいな関係に思えていた。
これは、日本の戦後の左翼に特有の事情によると考えていいのだろうか。
道理で「社共連立」なんてできなかったわけだ。


しかし、「社会主義インター」には社会党も総評も入ってたと思うんだけど、太田薫や岩井章がレーニン勲章だとかスターリン勲章とかをもらってたというのは、そう考えると世界的にはすごく特殊な状況だったということかなあ。
もっともソ連共産党にとっては(また中国の共産党にとっても)、日本の共産党よりも、日本の社会党左派や総評の方が、ずっと好ましかったということはあるだろう。
そうすると、各国の「共産党」のナショナルな性格というものが、また浮き彫りになってくるけど、ただ議会政治に足場をおく社会民主主義勢力にそれを乗り越える意志や可能性があったと、果たしていえるのかどうか。
現実には、日本の場合、ソ連べったりだった社会党の左派にも、自民党以上に反共的だった民社党系にも、その可能性がはらまれていたとは考えにくい。
著者の試みは、その潜在的な可能性を掘り起こそうというものだろうが、それは相当な力業にならざるをえないということだろう。


その国際的連帯のための作業の実現には、自己が属する固有の文脈を把握し、それを引き受けていくという態度が不可欠だろう。
その意味で、著者が書いていることのなかでも、日本の政治的文脈の特異性を強調する次のような記述が、とくに重要なものであると思った。

事実, 第二次大戦までに日本で正式に認められたのは. 社会「民衆」党, 社会「大衆」党等のみで、「社会民主党」だけでなく, およそ「民主」という言葉を掲げて認められた政党は一つもない. このことは、言うまでもなく天皇制と深く関係している. (p60)

(前略)民主主義の長く豊かな伝統のあるフランスと, 天皇制に関する第1条から始まり, 「共和国」であるとの規定はどこにも見当たらない憲法によって今もなお政治の全体が運営されている日本で, 「社会党」という言葉は, はたして同じ意味を持ったと言えるだろうか. (p61)

加えて、アジア近隣諸国に目を向けてみよう. 中華人民共和国. 朝鮮民主主義人民共和国. 自らをともに「民主共和国」と規定する大韓民国(同1987年憲法, 第1条)と中華民国(同1997年憲法, 第1条). 自分で共和国を名乗れぬ人々が, これらの国々の政治的「後進性」を云々しても, さして説得力はない. 「共和国」という漢字にしてわずか3文字の, また「民主」というわずか2文字の言葉の意味を, 私たちはもう一度, 考え直すべきである. (p61〜62)


追記: 社民党を忘れてた。いまの政治状況で、議会政治のなかに具体的に可能性を見出そうとすると、著者の立場では社民党、とくに辻元さんとか保坂さんの線ということになるのかな、やっぱり。たしかに、「議会政治へのコミット=多数をとる」ということではもちろんないだろうし、そういう可能性を常にさぐるということは大事だと思う。いま言えるのは、このへんまでかな。