こんな話題は触れたくないが

あらためて書きたくないけど、ぶっそうな話題ばかりで嫌になる。


もちろん核実験そのものもだが、それに対する日本政府や政治家の対応として、集団的自衛権の解釈のこととか、ミサイル防衛網を強化しようとか、周辺事態法で対処するとか、やっぱりいろいろ出てきた。
これを契機に、改憲して、自衛隊を軍隊にしてとか、その方向に一気にもって行こうということだろう。
それだけでなく、核武装論もいずれ出てくると思う。朝鮮だけならともかく、それに触発されて韓国も核を持とうとするなら、日本の核武装も現実味を帯びてくる。


こういう流れになるのは見え見えなのに、なんで核実験などやるのかと思うわけで、そこから「朝鮮の政権と、日米韓の保守勢力やネオコンというのは、裏でつながってて・・」という、よく聞く観測も出てくるわけだけど、そういう可能性も否定しないが、それにしても今回の日本側の動きというのは、あまりにもあたふたして見える。
予想外のことがいっぱい起こってるんだろう。
日本政府としては、まだ日朝平壌宣言を反故にするつもりはないようだし、周辺国としては当然ながら、戦争につながりかねない無条件の臨検には反対したいのが本音だろう。


それから、日本単独での制裁というのは、そういう措置をとることによって問題を解決しようというよりも、「制裁」という言葉で表現される強い態度を示すことで、国内の世論の支持を獲得し、また世論をそういう方向にますます持っていこうという狙いがあるのだと思う。
「核実験」に対する制裁ということでは、どうもつじつまがあわない気がするのだが、きっとそんなことはどうでもいいのだ。
問題を解決することより、「制裁」というパフォーマンスを行うことに意味がある、というわけだろう。厳罰主義みたいなもので、そういうものが支持される世の中の雰囲気になっているのが、とても嫌である。


今回のことで、日本と朝鮮との外交問題の中心は、完全に「核」の問題に移ったという気がする。そして、日朝関係の全体が、国連の場における問題解決の枠組み、また米朝関係の進行というもののなかにすっぽり入ってしまったという印象を受ける。
これは、東アジアにおける「北朝鮮問題」の全体が、アメリカの主導権の下に完全に入るということを意味しているのかもしれない。
端的な話、今回の「核実験」発表のおかげで、日中・日韓会談の意義というか、ニュース性は完全にしぼんでしまった。これは、小泉の最初の訪朝のときを思わせる展開である。
ともかく、分からないことだらけだし、事情を知ってる誰かにも、展開を読みきれないところがあるのだろう。


実情や思惑がどうであれ、人の命がどんどん薄っぺらに扱われる世の中になっていてるという実感はぬぐえない。
世界全体を見れば、もともとそうじゃないかと言われるかもしれないが、自分や周囲の人の身に直接関わる場所でそういう動きが進むと、やはり身にしみる。
「国際情勢」と、国内や、自分とその周りの生活とが、否応なく連関して、よくない不安な方向に向かっていると思えることが、とても重苦しい。