核実験声明のこと

このところ、7月22日のエントリーをはじめ、コメントがすごく多くて、対応するのにたいへんだが、今日もやっとレスを書き終わったところで、この報道を目にした。
こういうニュースを聞くたびに、一番怒りや不安を感じているのは、在日の人だろうなあと思う。


自分や子どもの身が危険にさらされかねないというだけでなく、したくもない弁護や弁解をしないといけない場合もあるだろうし、日本の人との、また在日の人同士の人間関係もぎくしゃくすることがあると思う。
日本社会の側の問題を差し置いていうと、他人のことだが、まったく気の毒だ。


ぼく自身も、日本にあんなひどい政権ができて、社会保障の削減とか格差拡大とか、教育基本法の改正とか戦争への道とか、自分も他の人の命も危ぶまれるぐらいなのに、それと仲の悪い近隣国の政府の批判を書かなければいけないのが情けない。
いくら追い込まれてるといっても、核実験の宣言とは。よくこれだけ、安倍や麻生の人気をあげる手が打てるものだ。
核はアメリカは何千発も持ってるとか、中国はどれだけ持ってるといっても、そういうことではない。外交的な思惑はどうあれ、結果的には、これは暴力的な破局を推し進める道にしかならないやり方だ。
ネオコンといえば、これほどひどいネオコンはないだろう。(いや、やっぱりアメリカやロシアの方がひどいよな、それは。)


日中・日韓の会談で、どういうことが話し合われるか。
この三国の政権は、国内の経済政策とともに、朝鮮の問題についても、利害がかなり一致しているのではないかと思う。
朝鮮の人たちが再び国を失う悲劇が、繰り返されることが心配だ。