われわれと北朝鮮

きのうのエントリーの内容について、ブックマークでいくつかご意見をいただいたので、それに関連して少し書いておきたい。


文の最後に、朝鮮民主主義人民共和国について、『そして「彼ら」は、まだ「他国」に軍隊を送ったことはない。』と書いたことへの反論、疑問が、いくつかあった。
ぼくもこの最後の一行を書くとき、朝鮮戦争拉致事件のことが頭に当然あったので、こう書くことを迷ったのだが、文に書いた「われわれの側」の危険さへの自覚を喚起したいという意図から、あえてあのような断言的な言い方をした。
このうち拉致事件については、たしかに国家的な「犯罪」ではあるだろうが、他国に出向いて戦闘を行い占領や駐留にいたるという、正式な形での軍隊の派遣とは、やはり別物ではないかと思う。これは、「どちらがよりひどいか」ということではなく、政治的なあるいは法的な概念として異なるのではないか、というのがぼくの認識である。もちろん、拉致が許される行為であるとはまったく思わない。
それから、「カンボジアシアヌーク国王の護衛」ということについては、まったく知らなかった。たしかに、そういうことがあっても不思議でないと思うが、たとえば韓国や東欧諸国のようにベトナム戦争に派兵したりはしていないのは、この国が中ソに対しても、できるだけ独立的な位置を保とうとした表れと見るべきだろうか。


もっと問題になるのは、朝鮮戦争をどう考えるか、ということだろう。この戦争については、「どちらが仕掛けたか」ということについては、今でも議論があると思うが、いずれにせよ朝鮮の人民軍が韓国(南朝鮮)の領内において大規模な戦闘を行い、巨大な被害をもたらしたということはまぎれもない事実だ。
ただ、朝鮮戦争は、南北のいずれにとっても、「他国」の領内における戦争、ということとは少し違うとらえ方をされている面があると思う。あのとき、国際社会の通常の考えから見れば、たしかに南北朝鮮のいずれにも、それぞれ正当性を主張する政府が出来ていたわけだが、それらはいずれも朝鮮半島全体を「わが国土」と考える政権だったはずだ。「北」から言えば、半島の南半分を占領したアメリカの傀儡的な政権を打倒して、朝鮮半島全体を民族の独立国家として解放しようという大義名分があった。もちろん、「南」には「南」の言い分があり、そこには冷戦下のイデオロギー対立という面がたしかに色濃くあったが、どちらの立場にせよ朝鮮半島全体を「わが国土」として解放し統一しようという志向が強かったことは、決して忘れてはいけない点だと思う。
朝鮮半島の分断状況に関して、この「民族的な独立と解放」という理念が根本にあったということ、冷戦という側面だけであの地域の問題を判断すべきでないということがたいへん大事だということを強調したいという思いもあり、あの戦争は「他国に軍隊を送った」ことには当たらないという、やや独断的な表現を用いた。
もちろん、「独立」や「解放」の名のもとに、膨大な死傷者や戦災者を生み出したことは悲惨極まりないことであり、あの戦争が「やむをえなかった」とも「正しかった」とも言うつもりはない。現実には、国家や国際的な体制の論理と、軍事の論理だけが地上を支配した、醜悪な戦争(すべての戦争が、そうであるように)というべきなのかもしれない。だが同時に、「他国」という言葉を単純に使えない、複雑な経緯の重さが、朝鮮(韓国)の歴史にあることも事実だと思う。


いずれにせよ、ぼくがあのエントリーでもっとも言いたかったのは、われわれ(日本、日米同盟)の側が持つ軍事的な「力」の大きさ、その破壊的な暴力性や、他者に対する「脅威」としてのインパクトを、もっと自覚するべきだ、ということだった。
「彼ら」が「われわれ」にとって脅威である以上に、「われわれ」は「彼ら」(に限らないが)にとって巨大で差し迫った脅威なのだ。その脅威を増大させることが、暴力の構造を無くすことに本当につながるだろうか?
これまではかろうじて、憲法9条のような歯止めがあったが、それさえ除かれようとしている今、「われわれ」の存在が「彼ら」にはどう映っているか、もっと想像するべきだ。
この「彼ら」を、政権とかんがえるか、そこに住む人々一般とかんがえるかが、大きな問題になるだろうが。
この両者を単純に分離できると考え、人々を独裁政権から救うために制裁や攻撃をおこなうべきだという主張にも、イラクでの戦争の経緯を見た今となっては、単純に同意できないのではないだろうか。人々と「国」との関係というのは、それほど単純なものではないという気がする。


それはともかく、そうした「われわれ」の側の軍事的な暴力性というもの、それはひるがえってこの社会の内部に生きるわれわれ自身にもはね返ってくる性質のものだと思うのだが、その暴力性への自覚と、朝鮮半島に住む人たちが常に「独立」や「解放」という民族的な理念と感情を持ち、むしろそれに呪縛されてきたという事実を認識することとは、われわれにとって表裏のものとして深く結びついているのではないか、という思いがぼくにはある。
つまり、ここまでこうした民族的な理念や感情を朝鮮の人たちに持たせた大きな原因は、日本の歴史的な行動にあると思うわけだが、それを人々に強いた同じ力が「われわれ」自身にも今ふりかかっており、またその「力」は同時に自分たちの暴力性や現実的な「力」の存在を、われわれに自覚させないような働きもしているということ。つまり、われわれを「力」から遠ざけるような政治的な力が、ここに働いているのではないか、というのがぼくの直感である。
だから、あの国の政権をどう考えるかということは別にして、あの国の人たち(また、韓国の人たち)がずっとこだわり続けてきた、民族的な独立ということの重さを、自分たちに直接かかわる問題として想像しようとすることが、われわれには大切で、その視点を抜きにした「平和主義」や「国際連帯」というのは、結局日本の植民地主義の強力な残滓としてのわれわれの社会に内在する朝鮮人へのレイシズムを乗り越えられないのではないかと、ぼくは考える。


また、こんなテーマで書いてしまった。