kwktさんのエントリーを読んで

kwktさんの大力作を、やっと読んだ。

http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20060315#p1


読んでみると、たいへん分かりやすかった。
じつは、内田さんのブログを、最近まったく読んでなかったので、「こういうことを書いておられるのか」と思い、その意味でも参考になった。
はっきり分からないけど、内田さんは、「人間」とか「人間的」という言葉が、もう意味を持たない社会になってしまったということを言いたいのではないか。そうだとすると、現実認識としては、当たっていると思う。
でも(とりわけ)今の社会では、『〜は「人間」ではない』という言い方は、たしかに危険だが。


こうした社会の変化は、技術革新とか、構造的な理由で最低賃金がどんどん下がっていることと関係していて、そういう現実の条件が変わってきてるのに、「労働」についての近代的な価値観だけを守れるはずがない。
「労働」も「社会」も、そういう意味ではもう守らなくていいと思う。


kwktさんや、(たぶん)内田さんは、近代的な意味での社会を維持し続けるためには、社会的な奉仕(捧げること)が必要だという意見であろう。
でも、現実の社会というのは、企業とか国家の方が、そういう「奉仕の必要性」みたいな考えをうまく利用して、労働時間を大幅に増やしたり、首切りしたり(いま、フランスで騒ぎになってるけど)、たやすく兵隊を集めて戦争したり、ということをやる方向にすすんでると思う。
捧げることの必要性、kwktさんの言われる「贈与の契機」の重要性ということが、そうした現実の大きな流れに回収されないでいることは、すごく難しいだろう。