アーレントの「暗い時代の人間性」から

アーレントの「暗い時代の人間性」という講演録が入った『暗い時代の人々』(阿部斉訳)という本が、ちくま学芸文庫から出てたので、買って読みはじめた。

暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)

暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)

冒頭におかれている講演の記録は、別のところから仲正昌樹というひとの訳で出てるけど、ちくまのほうは、ほかにも色々人物評みたいなのが入ってて、ローザ・ルクセンブルグのこととかも書いたのがあるので、こちらを買った。


まだその冒頭の「暗い時代の人間性」を一回読んだだけだけど、すごい文章だ。
アーレントという人の書いたものは、前に少しは読んだことがあるんだけど、こんな強烈な印象はなかった。
とりあえず、今日読んだところで、とくに印象的だった部分をここに書いておきます。

不幸なことに、ここで問題となっている基本的で単純な原則は、侮辱と迫害の時代にはとくに理解され難いものであり、その原則とは、人は攻撃されている帰属原理によってのみ抵抗しうるということなのです。敵対する世界の側に立って、こうした帰属証明を拒否する人々は、世界に対して非常な優越を感ずるかもしれません。しかし、彼らの優越感はもはやまったくこの世のものではなく、せいぜいのところよく整えられた夢想の国の優越感なのです。(p036)

かくて、第三帝国の状況のもとでのドイツ人とユダヤ人との間の友情を例にとれば、「われわれはともに人間ではないか」と述べることは友人に対して人間らしさを示すことにはならなかったでしょう。(中略)ユダヤ人とドイツ人との交際を禁じた法律は、差別の現実を無視していた人々によって回避されることはできても、反抗されることはできませんでした。現実の堅固な基盤を失っていない人間らしさを、あるいは迫害という現実の真っ只中で人間らしさを保とうとするなら、かれらは相互に「ドイツ人とユダヤ人、そして友人たち」と言わなければならなかったでしょう。(p044)


ふたつめの文章からは、アーレントが、もっとも重要なものとかんがえた「世界」とか「現実」というものが、どういうものだったのかが、うかがえると思う。


ところでアーレントは、この短い論考のなかで、さまざまな角度からの思考を展開し、「対話」させている。とくに、引用したうちの、ひとつめの文章の内容は、彼女がここで表明しようとしている意見の核心とは、ずれているのだが、それでもこうした現実の別の一面があることを示すために、これだけの文章が練り上げられているのだ。
これは、ひょっとすると、この思想家の大きな特徴なのかもしれない。
ともかく、そういう点が、いちばんすごいと思った。