デリダ『歓待について』 その1

歓待について―パリのゼミナールの記録

歓待について―パリのゼミナールの記録

デリダが「歓待」というテーマについて、繰り返して語っているのには、もちろんいくつかの具体的な事情が背景にあると思う。
そのひとつは、言うまでもなく、現在のヨーロッパ社会における移民や難民の受け入れ、という問題だ。自身が一種の移民でもあるデリダが、一人の知識人として、この問題に関心を示さないはずはない。
二つめは、たとえばイタリアのような国では*1、政治的な犯罪歴のある者を自宅に客として招いただけで罪に問われうるという法律が、今でも生きている。だから、ヨーロッパの左派的な知識人にとっては、「歓待」、特にデリダの言う「絶対的な歓待」というテーマは非常に差し迫ったテーマだといえる*2
さらに三つめに、東浩紀が「第二期のデリダ」と呼んだ70年代頃の時代に、デリダフロイトの影響を受けて非常にこだわった「欲望」と「性」の問題、それに「家族」(及び共同体)の権力の問題が、ここに深く関係している*3
というのは、「歓待」とは、基本的に「家(ホーム)」に客を受け入れるということであり、そうなるとこの「主人」(家父長)によって支配されている「家」あるいは「家族」の構造というものが、問われることになってくるからだ。ここで、デリダは「歓待としての欲望」という、重要な概念を提出する。主人(夫、父)は、自己の権力のためにむしろ「客」を招き入れ歓待することを欲望するのだと、デリダは考える。そしてその歓待のための「道具」は、後に触れるように、主人の妻や娘であることがある。
本書におけるこの部分のデリダの語りは、示唆に富むものだと思う。


副題にあるように、この本はパリで行われたデリダによる二つのゼミナールの記録を収めている。
一つ目のゼミナールで語られているのは、主に「絶対的な歓待」と「法=権利による歓待」との二律背反についてである。「法=権利」の枠内で歓待を行う限り、「客」(訪れてきた他者)に名前や身分や出自などを言葉で問いただすという作業は避けられない。その作業がなければ「異邦人」の権利は守られないだろう。だがそれは、「絶対的な歓待」とは矛盾するものだと、デリダは言う。
名前も身分も出自も問いたださず、「匿名の他者」を無条件に受け入れる、それこそが「絶対的な歓待」であるはずだ、というわけである。
この「絶対的な歓待」を現実のなかで実践することは、「法=権利」(たとえば人権)の否定による混乱を帰結してしまうだろう。それは、巨大な暴力だともいえる。
とはいえ、「法=権利による歓待」が腐敗することなく機能するためには、「絶対的な歓待」のいわば介入が常に必要だ。
だから、この両者の関係をどう考えるべきかは、非常にややこしい。

別の言葉で言い換えるならば、絶対的な歓待のためには、私は私の我が家(マイホーム)を開き、(ファミリーネームや異邦人としての社会的地位を持った)異邦人に対してだけではなく、絶対的な他者、知られざる匿名の他者に対しても贈与しなくてはなりません。そして、場(=機縁)を与え、来させ、到来させ、私が提供する場において場を持つがままにしてやらなければならないのです。彼に対して相互性(盟約への参加)などを要求してはならず、名前さえ尋ねてもいけません。絶対的な歓待の掟は、法的な=権利上の歓待、つまり権利としての掟や正義から手を切ることを命じます。正義の歓待は、法的な=権利上の歓待と手を切るのです。といっても、それは法的な=権利上の歓待を非難したり、それに対立するものではなく、反対にそれを絶えまない進歩の運動の中に置き、そこにとどまらせることができるのです。(p64)


この引用の特に前半部分を読めば、デリダがいかに無茶なことを言っているかよく分かるだろう。得体の知れない「匿名の他者」が到来するがままにさせ、自分の「我が家」や「場」を無条件に提供してやることなど、まず出来るものではない。
ともかく、こういう面では非常に過激な物言いをする人である。デリダは、権利を保証された「異邦人」であるよりも、「絶対的な他者」として嫌われながらでもヨーロッパに生きることを望んだ「移民」「難民」だった、といえるかもしれない。


理念的には無条件のものであるべき歓待は、現実の社会のなかでは「法=権利」に規定されて、主人(自己)による身元問いただしと選別の原理のもとに行われざるをえない。
主人(自己)は、歓待の権利を異邦人(客)に与えることをとおして、自分の権力を獲得し強化するのだ。
デリダが「歓待の堕落(=倒錯)の可能性」と呼んでいるのは、このことである。

逆説的で堕落させる掟。この掟は、伝統的な歓待、通俗的な意味での歓待と権力の絶え間ない衝突から生まれます。この衝突は、その有限性における権力、つまり主人や招く人が、招かれる人や訪問者あるいは客、つまり主人が庇護や訪問権や歓待権を付与してやろうと決心するものを選定し、選択し、選別し、選抜しなければならないという必然性のことでもあります。我が家に対する自己の至上権がなければ、古典的な意味における歓待もありません。(p83)


ここで興味ぶかいのは、デリダがヨーロッパで伝統的に「異邦人の権利」として認められてきた「古典的な歓待」を、家族的な共同体の権力の問題と結びつけて論じていることだ。
なぜなら、先ほども書いたように、歓待の権利を与えることは、「家の主人」(家父)の至上権に他ならないからだ。
堕落(=倒錯)した「権力としての歓待」、そして「歓待としての欲望」という錯綜したテーマ*4がさらに詳細に追求されるのは、二つ目のゼミナールにおいてである。

*1:戦後の南ヨーロッパにおけるフランスとイタリアとの位置関係は、いくつかの意味で(特にアメリカ合衆国の存在を媒介として)同時期の東アジアにおける日本と韓国との位置関係と相同的である。この場合鍵を握るのは、「済州島シチリア、コルシカ、サルディニア」の存在だろう。そしてこれらはドゥルーズ=ガタリが明察したように、政治的・歴史的な課題であるばかりでなく、地質学的(火山学的)な問題系なのだ

*2:一般的に言って、フランスの左派系知識人には、投獄されたネグリのようなイタリアの左派系思想家に対するルサンチマンがある気がする

*3:「家族」を重要なテーマとしてジュネとヘーゲルを論じたテクスト『弔鐘』の存在は、ここでも軽視できないものとなろう

*4:これは普遍的なテーマであると同時に、ギリシャイスラエルパレスチナ、そして北アフリカをも含めた「地中海世界」固有のローカルな問題系であることを忘れてはならない。たとえば映画でいえば、テオ・アンゲロプロス、ミッシェル・クレイフィ、そしてフランシス・フォード・コッポラ